目次
第一章 夢に向かって
海外に興味を持つようになった経緯
いじめで形作られた意識
いじめ問題に対応するために
夢に向かって
青年海外協力隊に参加するまで
フランス語からスペイン語へ
第二章 チュニジアという国
良好なチュニジアの治安
チュニジアと日本の関係
ジャスミン革命について
フランス語表記の地名とカタカナ表記
チュニジア人の名前
チュニジアの国勢、ディナールの変動
第三章 ボランティア時代
大雪の成田空港で一晩を明かす
フランスでの語学研修
アフリカの大地に降り立つ
職業訓練校に勤務
チュニス中心街の古びたアパート
湯沸し器で一酸化炭素中毒事故に遭う
手製の物づくり
大臣宅での修理
政変が起きた日
第四章 人々の暮らしと季節の変化
交通事情と挨拶の習慣
労わりあう社会
雨季と乾季に分かれる気候
真夏の熱中症
砂漠の熱風シロッコと四七度を記録した日
真冬の食中毒で緊急入院
雹が降る
北アフリカ最北端の雪
隕石が頭上に落ちる
フランス語のCoopérant(コーペらン)
フランス語混じりの歌で大笑い
フランス人は母国語を守っている
第五章 イスラーム社会
ラマダンの夜の賑わい
ラマダン中の昼間のカフェ
ラマダン期間中の夕方の静けさ
ラマダン明けのチュニス郊外のレストラン
イスラエルがPLO本部を爆撃
湾岸危機から湾岸戦争中の滞在
第六章 チュニジアの日々
観光立国チュニジア
辛い料理と甘いコーヒー、紅茶
料理の楽しみ
中央市場に並ぶ地中海黒マグロ
黒オリーヴに夢中
ミカンの王様トムソンと豊富な果物
見知らぬチュニジア人からの贈り物
アーモンドの花とサボテンの実
飲酒が認められた国
チュニジアの結婚式
シナゴッグと結婚式
イスラームの葬儀に参列
第七章 技術協力専門家として
在チュニジア日本国大使館との協力
自動車整備士の技量
AMラジオ回路訓練機作り
訓練生への指導
フランスの技術協力者から見た日本の協力
校長も色々、訓練局検査官との信頼関係
新案件への準備協力
公式活動後の個人協力を決断
チュニジア日本国大使からのもてなし
新たな覚悟
個人活動中の大怪我
幸せだった十年の任期
映像スタジオ工事
チュニジア以後
第八章 チュニジア国内めぐり
チュニジアの歴史を少し
遺跡巡りの交通手段
チュニジアのホテル群
チュニスのメディナ見物
九か所の観光地点
カルタゴ(カルタージュ)遺跡
水道橋とザグアンの水源
ケルアンの北アフリカ最古のモスク
チュニジア最大の遺跡があるエル・ジェム
マグレブ三か国の比較
海外旅行時の注意点