目次
はじめの手紙(関→狩野)
1 被爆と差別(関→狩野)
なぜ戦争体験を語れない! / 半世紀を経ての戦争証言
原爆をきちんと書くということ
2 敗戦による解放(狩野→関)
関さんからのお誘いにのる / 被爆体験を伝えるということ
3 悔いと心の痛み(関→狩野)
「放射能」への思い / 被爆者の心の傷は放射能?
4 これまでのこと(狩野→関)
わたしの略歴―長崎に行くまで / 学徒動員 / 東京の空襲を逃れて長崎へ
5 東京の私立校から広島の県立校へ(関→狩野)
戦中のカルチャーショック / 「贅沢」な東京女学館
6 被爆のこと(狩野→関)
家族の小史 / 被爆体験とその後
敗戦前後のこと
7 八・六から敗戦まで(関→狩野)
「朝鮮人」のこと / 「生き残り」の苦しみ
「差別」の構造に気づく
8 戦中戦後、思い出すこと(狩野→関)
マスカットと石鹸、角田先生のこと/ 浅草と長崎
9 めくるめく秋(関→狩野)
墨塗り教科書 / 原爆は「文化」も焼き尽くした
よみがえる文化 峠三吉さんのこと
10 民主主義と文化(狩野→関)
『振袖の少女』・敗戦の日 / 熊本女専・新憲法
11 戦後民主主義の始まり(関→狩野)
真実の歴史を知る感動 / 戦時中の学習ノートに見る私
「教育」の大切さ、おそろしさ
12 歴史認識について(狩野→関)
少なくとも疑問は持っていた
13 男女共学「一期生」(関→狩野)
草創期の新制高校で/露文科、レッドパージ反対運動
「労働者」の中へ /血のメーデー事件
14 大学をめざす(狩野→関)
関西のOL時代 / 慶應大学苦学生
15 大学に帰り就職にも成功(関→狩野)
不景気だが「就活」は呑気だった/ 恩師・横田先生
大らかだった新聞社の入社試験
16 昭和の長女(狩野→関)
父の死・就職 / 教師の仕事
17 新聞記者の日々(関→狩野)
有楽町に鳩が舞う / 地方支局勤務第一号
「お妃記者」から「ラジオ・テレビ記者」に / 組合婦人部長で奮闘
18 教師の時代(狩野→関)
中学校から定時制高校へ / 全共闘時代とは何だったのか
19 アメリカでの六年半(関→狩野)
ワシントンで出産 / グリニッチ町での〝優雅な〟暮らし
日本語補習校に図書室をつくる
20 初めて世界を見る(狩野→関)
いつも本が読みたかった / 沖縄、スペイン内戦、ソ連への強い興味
21 帰国、市民運動の日々(関→狩野)
PTA、「図書館づくり運動」へ / 父母の死、PTA
「被爆」にとりくむ / 図書館づくり運動「ふみくら」
22 バスクとのより深い出会い(狩野→関)
文筆業に専念する / 「バスクは悲劇の国です」
八〇年代後半からの日本
23 女性専門紙の「記者」として(関→狩野)
「国際婦人年」の高まりの中で / 「全国婦人新聞」の記者となる
『広島第二県女二年西組』の出版 /日の丸・君が代反対
「貧困の女性化」に怒る『この国は恐ろしい国』 / 政教分離訴訟の原告として
24 野上弥生子・最近のテーマ(狩野→関)
PTA / 野上弥生子の世界へ
25 最後の手紙(関→狩野)
性奴隷を生み出す風土 /新自由主義の下での「変容」
再び戦後民主主義の原点へ
26 二一世紀の始まり(狩野→関)
九・一一から始まる戦争と保守化 / 東日本大震災・原発事故
関連年表