紹介
奴隷制時代から現代まで、人と人の繋がり・絆の変遷の諸相を通して見えてくるもの!?
奴隷制時代の別離や再会という事態に対処しようとした人と人とのつながり(第1章)、
南北戦争後の南部都市で新たな生活を築く人々がコミュニティの人間関係を育む姿
(第2章)、南部出身の「黒人」が多く移住したシカゴでは、一人の実業家のまわりに
様々な人々の輪が幾重にも出来(第3章)、長距離列車のポーターたちは、屈辱的
職場経験を受け入れつつ、それをはね除けるべく連帯を形成し(第4章)、ガーナの
独立からンクルマの政権転覆に至るプロセスにアフリカ系アメリカ人亡命者たちが
見え隠れし(第5章)、ジェイムズ・コーンの神学のように太平洋を越えて川崎市に
おける市民運動とも関わりをもち、さらにアフリカへと心を通わせる人のつながり
を誘う実態(第6章)。そして、21世紀の今日、ニューヨークではさらに多様性を
抱えながら変化している姿を描き(第7章)、様々に変化する絆とコミュニティの
来し方と未来。
目次
目 次/流動する〈黒人〉コミュニティ――アメリカ史を問う
まえがき……………………………………編 者
第一章「その災難がいつ降りかかるのか」
――奴隷制下、黒人家族別離の物語に浮上するコミュニティ……ヘザー・A・ウィリアムズ(樋口映美訳)
はじめに
第一節 別離はいかに到来するか
第二節 親から話された子どもを自ら世話する「仲間」たち
第三節 逃亡奴隷を助ける人々
第四節 家族再会への奮闘――南北戦争後の物語
1 広告で家族の行方を捜す
2 子どもを取り戻そうとする親
おわりに
第二章 外に向かって開かれた家族とコミュニティ
――一九〇〇年、ノースキャロライナ州ダーラム市のアフリカ系アメリカ人たち……佐々木孝弘
はじめに
第一節 白人との比較で見るアフリカ系アメリカ人家族の特徴
第二節 黒人奴隷制度の遺産
第三節 移住の過程で壊される家族
第四節 家族の脆弱性を補完したコミュニティ
おわりに
コラム① 「ダーラムの理髪師」ジョン・メリックとリンカン病院の建設………佐々木孝弘
コラム② アン・ロズモンドとの出会いから…………………………………………樋口映美
第三章 シカゴ・サウスサイドの実業家ジェシー・ビンガと仲間たち……………樋口映美
はじめに
第一節 起業するジェシー・ビンガ――様々な人びととのつながり
1 不動産業からの出発
2 ビンガの結婚
3 「われわれは団結しなきゃね」――広がる仲間作り
4 オヴァトンとアボット
5 「ニグロの大物たち」――ABCの活動
6 ビンガ全盛期の光と陰
第二節 銀行という媒体に集う人びと
1 「経済的協力」に賭けるビンガの「利他主義」
2 口座開設者と「大移動」
3 口座を開設した男性と女性
第三節 サウスサイドの人種模様
1 黒人居住地域の充実と隔離――忍び寄るスラム化
2 ビンガ・アーケイドの建設――人種を超えたつながり
おわりに
第四章 プルマン・ポーターの公共圏
――鉄道サービス労働者のコミュニティと「隠されたトランスクリプト」……藤永康政
はじめに
第一節 プルマン社の寝台車特急事業と黒人鉄道労働者
1 ジョージ・プルマンの寝台事業
2 プルマン・ポーターと人種
第二節 黒人鉄道労働と人種化・ジェンダー化の進行――労働運動と肌の色の阻却条項
第三節 鉄道サービス労働の現場
1 鉄道サービス労働のパラドクス
2 北部都市の階級編制とサービス労働
3 鉄道サービス労働者の公共圏
4 BSCPの闘争――ジョージからニュー・ニグロへ
おわりに
コラム③ ニューヨーク第三六九歩兵連隊とジェームズ・リース・ヨーロップ………藤永康政
第五章 政治コミュニティを追い求めるブラック・ラディカリズム
――ガーナのアフリカ系アメリカ人亡命者たち………………ケヴィン・ゲインズ(藤永康政訳)
はじめに――ガーナとアフリカ人ディアスポラのネットワーク
第一節 冷戦下での模索
1 アフリカの独立
2 赤狩りと黒人ラディカリズム
3 生命線としてのガーナ
第二節 非人種決定論と現実の狭間で
1 反植民地主義同盟
2 コンゴ危機
3 ルムンバ処刑の国際的波紋
4 コンゴ危機とガーナのアフリカ系アメリカ人コミュニティ
第三節 マルコムXとガーナ
1 アフリカ系アメリカ人コミュニティ
2 マルコム暗殺とンクルマ政権転覆
おわりに
第六章 「黒人神学」と川崎における在日の市民運動――越境のなかの「コミュニティ」…土屋和代
はじめに
第一節 「黒人神学」の形成――ジェームズ・H・コーンを中心に
1 ビアーデンからの出発
2 「キリスト教はブラック・パワーそのものである」
第二節 川崎における市民運動と黒人解放運動/神学
1 川崎市臨海部における在日居住区の形成
2 「寄留の民の神学」と「黒人神学」
第三節 日立就職差別裁判と黒人キリスト者
1 日立就職差別裁判
2 国境を越えた支援運動の展開、日立闘争の勝利
第四節 日立闘争後の市民運動と「黒人神学」の再想像/創造
1 日立闘争後の市民運動
2 抑圧と解放への世界史的視座――「黒人神学」の再想像/創造
おわりに
コラム④ ハイチ人/系がアメリカで出会った人種主義的暴力…………………村田勝幸
(1)ハイチ人/系を取り巻く歴史的・社会的・法的な背景
(2)警察の残虐行為と黒人コミュニティ
第七章 ヘイシャン・ディアスポラからアフリカン・ディアスポラへ
――警察の残虐行為が構築する人種連帯のかたち…………………………村田勝幸
はじめに
第一節 警察の残虐行為という「日常」――アブナー・ルイマ事件とアマドゥ・ディアロ事件
1 一九九七年八月九日未明、フラットブッシュ(ブルックリン)
2 一九九九年二月四日未明、サウンドヴュー地区(ブロンクス)
第二節 ヘイシャン・ディアスポラからアフリカン・ディアスポラへ
――パトリック・ドリスモンド射殺事件
1 二〇〇〇年三月一六日未明、ミッドタウン(マンハッタン)
2 「犠牲者の悪魔化」への反発
3 覚醒するハイチ系、連帯する黒人
4 ドリスモンド事件の教訓
おわりに
あとがき…………………………………………………………………………………編 者
註………………………………………………………………………………………
事項索引………………………………………………………………………………
人名索引………………………………………………………………………………
前書きなど
まえがき
本書の執筆者は皆、大なり小なり、人間社会の営みを理解する試みとして、「国境」あるいは「ナショナリズム」といった概念的束縛から己を解放したいと願っている。なぜなら人と人とのつながりは、「国境」をはじめとする様々な境界線を越えて個別に形成されることが多く、そのとき「ナショナリズム」などのイデオロギーがそのつながりを規定するとは限らない。そこで、境界線をもたない「コミュニティ」に注目してみようということになった。それゆえ本書は、アメリカ史というものを語るとき、「コミュニティ」からの発信がいかなる新たな課題をうむのか、自ら体験してみたいと考えた実験の書である。
そこで本書に通じる大まかな約束ごとを二つだけ取り上げておきたい。一つは、わたしたちが「コミュニティ」を既成のものとは設定していないということである。それは、地理的に限定されたものでもなく、抽象的に言えば人びとが共感や対立を経験して人と人とのつながりを紡いでいった先にできるものであり、「帰属意識」を共有する時期もあるかもしれないが、固定的な人のつながりとして形を成すとは限らない。むしろ、いかに人と人が日常のなかから関係を結んでいくのか、そこにつくられた仲間がどのような関係の変化や拡大や再編成を経験するのか、そうしたプロセスを少しでも具体的に検証することによって、人と人とのつながりという動態を、流動する「コミュニティ」として謙虚に捉えなおしてみたいとわたしたちは考えた。
第二に、過去につくられてきた差別用語をいかに使うべきか、使わざるべきかという問題である。とりわけ本書で注目するのが「黒人」コミュニティであるから、なおさらである。本書で言う「黒人」とは、アメリカ合衆国の建国前から始まる奴隷制時代にアフリカ、とりわけ西アフリカの港から奴隷船で強制的に連れて来られたアフリカ生まれの人びと、およびその子孫であり、「黒人」と分類されてきた人びとのことを指す。その人たちは肌の色も個性も多様であるが、一九六〇年代以前のアメリカ合衆国ではその人たちを指す用語として「ニグロ」「カラード」が一般的に使われ、日本語では頻繁に「黒人」と訳されてきた。一九六〇年代半ば以降は、ニグロが社会的に劣位にあるという差別意識を認識させる用語であるという理由から「ブラック」が使われるようになる。最近では歴史的な差別の要因となった肌の色を示す言葉ではなく、先祖の出自を表すアフリカを用いた「アフリカ系アメリカ人」という呼び方が使われることも多い。本書では、アフリカ系アメリカ人という用語も使う一方で、黒人という用語がそうした差別意識を内包して使われてきたことを理解したうえで、その過去の経験を重視する視点に立つ場合には、原則としてアフリカ系アメリカ人を黒人と呼ぶことにする。
こうした過去に使われてきた用語について歴史研究者が再考するようになったのは、最近のことである。たとえば、本書の第一章では、「奴隷」という種類の人間がいたわけではないという反省から、従来のように単に「奴隷」と表記するのではなく「奴隷とされた人々」といった表現も使われている。そこには、歴史のなかで頻繁に使われてきた言葉にどのような意味合いが加味されてきたかを改めて考える必要性を認識する、今日的姿勢がある。
本書で共有されるそうした今日的姿勢を示すために「 」付きで「黒人」と表記したいところではあるが、「 」付きの言葉が多用されるのは煩雑でもあるので、特に読み手の注意を喚起したい場合にのみ「 」を付けることとする。
このように今日では、多くの呼称が、差別意識を込めた過去の分類枠に依拠すると見なされるゆえに、それらを使用すること自体が「差別」再生産の結果をうむとして批判の対象となっている。つまり、わたしたちはそうした批判の針のむしろの上に常に立たされながら、言い換えれば、自己吟味と自己批判を重ねながら、過去を掘り起こす作業をしているわけである。
ここで本書を概観してみると、それぞれの章に叙述される物語はすべて異なる。
第一章(ヘザー・A・ウィリアムズ担当)では、奴隷制時代に奴隷とされた人々が強制的に経験した別離の物語や、別れたままになっていた人々が南北戦争直後において再会しようとする物語のなかに人と人とのつながりの果たす役割が語られる。
第二章(佐々木孝弘担当)では、南北戦争後から二〇世紀初頭にかけてノースキャロライナ州ダーラムという町に移り住んだアフリカ系アメリカ人たちがいかなる人間関係の基に世帯やコミュニティを形成していったかが、描き出される。
第三章(樋口映美担当)は、北部産業都市シカゴにおいて第一次世界大戦期から一九二〇年代にかけて南部から移動した人びとによって増大した黒人住民のつながりを、ジェシー・ビンガという銀行家の「仲間」作りの種々の物語を中心に探る。
第四章(藤永康政担当)は、鉄道会社の方針や白人労働者運動との取り組み、さらには人種やジェンダーに留意しながら、黒人ポーターの組合が形成されるまでのプロセスを、シカゴを中心とした鉄道サービス労働者から成る職能コミュニティの変遷として描き出す。
第五章(ケヴィン・ゲインズ担当)では、ガーナ共和国独立前後の時代を中心に、アメリカ黒人の知識人層が主役と言うより脇役として関わりをもつなかで現地での政治的なコミュニティが形成されるプロセスが語られる。
第六章(土屋和代担当)では、黒人神学者ジェームズ・H・コーンを中心とするアフリカ系アメリカ人のキリスト教者が、神奈川県川崎市の「在日」市民運動に関わることや、コーンのアフリカ認識の覚醒によって、改めて「黒人神学」を再定義することになるプロセスが描き出される。
第七章(村田勝幸担当)では、二〇〇〇年三月にニューヨーク在住のハイチ系住民パトリック・ドリスモンドが警察官に射殺された事件などをめぐって、ハイチ系住民たちが同じくニューヨーク在住のアフリカ系アメリカ人といかなるつながりを紡いでいくか、そのプロセスが描き出される。ここではハイチ系と対比してアフリカ系アメリカ人をアメリカ黒人と呼ぶ場合もある。
こうした七つの物語を、コラムで一息いれながらつないだとき、奴隷制時代から現代までのアメリカ黒人コミュニティのいかなる多様なありようが全体として浮かび上がってくるのか、期待しながら読んでいただければ幸いである。
編 者