目次
井上井月研究/目次
第Ⅰ章 井月俳諧の本質と展開 9
第一節 井月の生涯 11
1 出生年 11
2 出身地 11
3 本名 14
4 出自・家柄 16
5 俳号 19
ア 少年時代と俳号井上井月 19
イ 柳の木と別号の数々 21
6 修行時代 23
ア 学殖 23
⑴漢学 23
⑵佐藤一斎の講義を聴講 24
⑶京都の貞門俳諧に入門 26
⑷貞門俳諧と新在家文字 30
⑸貞門俳諧と古典文法 34
⑹貞門俳諧から芭蕉俳諧へ 35
イ 墨書 37
ウ 与謝蕪村後の俳諧 40
7 長岡藩出奔 43
8 女性観と結婚 45
9 立机 47
10 戸隠神社祈願 51
11 南信濃の地に現れる 53
12 漂泊の姿 56
13 井月の嗜好と千両 64
14 信濃の風土 67
15 小学校の先生の先生となる 70
16 桃青社と日高村での蕉堂開基計画と戸籍問題 73
17 井月と京都俳壇で学んでいる伊那谷の俳人たち 75
18 第二回の東春近村での蕉堂開基計画 76
19 太政官の五榜の定の掲示 78
20 厄介附籍 79
21 塩原本家離れでの第三回目の蕉堂開基計画と開基披露句集編纂作業 85
22 聟養子口上書 89
23 井月の最期 90
24 門人によって『余波のみづくき』開板される 93
25 井月の墓 95
第二節 井月忘失と発掘 98
1 井月忘失 98
2 井月発掘 100
3 井月に私淑した山頭火 109
4 井月再忘失 111
5 井月再発掘 123
第三節 井月俳諧の骨格 128
1 行脚(漂泊)地と俳人の確認 128
⑴ 信濃(長野県)外の俳諧行脚(漂泊)先の俳人数とその確認 128
⑵ 信濃(長野県)内の俳諧行脚(漂泊)先の門人数とその確認 130
⑶ 井月と交流のあった全俳人、全門人の分布表 132
⑷ 井月と交流のあった全俳人、全門人、及びゆかりの場所等 132
2 井月の俳諧之連歌(連句)の姿 133
3 井月の発句の姿 138
⑴ 漂泊の境涯の句 139
⑵ 詠史の句 141
⑶ 挨拶の句 143
⑷ 主観の句 145
⑸ 酒興の句 146
⑹ 茶屋遊びの句 148
⑺ 「てにをは」活用の句 149
⑻ 井月が学びとった芭蕉俳諧の「かるみ」の風体 151
ア 門人に書き与えた芭蕉の発句、俳文 151
イ 門人に書き与えた早川漫々の俳文 154
ウ 「かるみ」への芭蕉の心残り 156
エ 井月が辿り着いた「かるみ」の寂びと幽玄 157
第Ⅱ章 井月作品鑑賞 165
春の部 166
夏の部 174
秋の部 183
冬の部 193
新年の部 200
第Ⅲ章 難解句解説 203
春の部 204
夏の部 211
秋の部 221
冬の部 227
新年の部 232
第Ⅳ章 井月の著作 237
1 句集 238
2 日記 238
3 小文章 239
4 起請文 240
5 書簡 240
6 墨書 243
第Ⅴ章 井月と交流のあった全俳人、全門人、及びゆかりの場所等 245
1 全国行脚で交流のあった俳人たち 246
2 門人――信濃(長野県)の俳人たち 261
3 人格的信頼関係の人々 335
4 漂泊の中で誼みを交わした人々 339
5 酒店や茶店や宿屋等 342
6 奉額の神社仏閣等 344
7 漂泊の中で休んだ小堂等 345
8 ゆかりのあった神社仏閣等 346
第Ⅵ章 四人の井月発掘者の肖像 349
年譜 353
主な参考文献 370
全国行脚略図 376
あとがき 377
井月発句・和歌索引 381
前書きなど
【第1章 第2節 4井月再亡失】等類、同巣の俳句……
(前略)
勲は才次郎から『井月の句集』の誤謬表の原稿を受け取ると、直ちに印刷にして、亡くなった龍之介の家族を初め、高浜虚子、内藤鳴雪、寒川鼠骨、小沢碧童、さらに『井月の句集』を贈った久保田万太郎や室生犀星や滝井孝作らへ、自分の調査不十分と杜撰な編集によって迷惑をかけたことを詫び、誤謬表に井月の新発見句を添えて送った。
その井月の新発見句の中に、長野県上伊那郡伊那村(現、伊那市)入舟の船着場での通船を詠んだ、
柳から出て行舟の早さかな井月
という発句があった。
その年の十一月十日、高浜虚子は九品佛吟行で、井月のこの句と似た俳句を発表した。
流れ行く大根の葉の早さかな虚子 出典『五百句』
虚子のこの俳句は「純粋な花鳥風月を純粋に花鳥風月として諷詠し、そこになんらの先入観の色付けを許さないところに特色がある」として、近代俳句創始者正岡子規の写生句の継承者としての地位を得たものとなった。その一方で、山本健吉や平畑静塔らは「思想のない痴呆美」と酷評した。
この俳句が有名になって、下島勲や高津才次郎らの知るところとなるのであるが、この時点では誰もが井月の句と似てはいるが、短詩形なるが故の偶然性と思っていたようだ。
ところが、龍之介死後の虚子の俳句に、次々と井月の感性を種にしていると思われるような俳句が出始めた事によって、あの「流れ行く……」の俳句はどうであったのかというところまで話が遡っていたようであった。
梅が香や栞して置く湖月抄井月 出典『井月の句集』
栞して山家集あり西行忌虚子 出典『玉藻』昭和五年
勲と才次郎は『井月の句集』の誤りを正し、新たに発見した日記や書簡等を加えて、昭和五年(一九三○)に『漂泊俳人井月全集』として白帝書房から出版して、早速高浜虚子らにこの本を贈った。しかし、何故かこの本についても虚子は何の反応も示さなかった。
この頃、虚子の周りで俳句文芸論が起こっていた。昭和六年(一九三一)に水原秋桜子が高浜虚子の『ホトトギス』を離反した。理由は高野素十の「甘草の芽のとびとびのひとならび」の俳句をきっかけに、客観写生といって樹木を凝視して自然の真を求めるのは、科学に属することであり、文芸上の真を求め続けるのが文学であると、高浜虚子の客観写生の瑣末化を批判して、「完全なるもの、純粋なるもの、美しいものへの希求」を謳い、文芸上の真を求めて秋桜子は独立して『馬酔木』を創刊主宰した。
秋桜子の離反は穏当なものではなかったと見え、虚子は「厭な顔」という寓話を発表した。それは織田信長が部下の左近が自分に背いて一揆に加わったことを憤って咎め、処刑したというものである。
「己も折角のお前の言葉に耳を傾けなかったのは悪かったが、お前も其の為に厭な顔をしてすぐ蓄電したのは愚かなことではなかったか。」信長は又左近の其時の厭な顔を思ひ出して笑った。左近は一層首を垂れた。「左近を斬ってしまへ。」と信長は命令した。
『ホトトギス』同人の京極杞陽が虚子にこの登場人物の左近は、秋桜子の事かと尋ねると、実在する人物ではない、秋桜子君の事ではないと答えたという。しかし、折も折であるから秋桜子を念頭に置いたものであろう。
この秋桜子の離反に、次の推測も成り立つように思える。井月発見を与謝蕪村以来の大発見と芥川龍之介が激賞して跋文を書き、虚子が巻頭に「丈高きをとこなりけん木枯に」と絶賛の俳句を贈った『井月の句集』や『漂泊俳人井月全集』を、虚子の門人の秋桜子も当然手に入れて鑑賞し、熟知していたはずである。龍之介が亡くなってから、虚子は井月の発句を俳句創作の種に使っているのではないかという疑いを秋桜子が抱いていたとしても不思議ではない。鋭い文学的感性を持つ秋桜子であれば、むしろ当然とも思える。
しかし、虚子は芥川龍之介が亡くなり、秋桜子が自分の許を去ったことを、これ幸いといったように、より大胆に井月の発句を真似たり種にした俳句を発表し続けた。
淵明も李白も来たり凉み台井月 出典『漂泊俳人井月全集』
京伝も一九も居るや夕涼み虚子 出典『虚子秀句』昭和八年
前者の井月の発句の淵明、李白というのは、酒が好きで俳諧を好み風流を解する長野県南信濃の伊那谷の門人を中国の詩人になぞらえて井月が付けた渾名である。発句の淵明は東春近村(現、長野県伊那市)の飯島山好、李白は同村の久保村権造で、他に劉伯倫は同村の飯島五平である。井月はこれを風流図にして楽しんだ。
井月が書いた「風流図」
狂言寺和尚筆
李太白権造社 酌酒は是\風流の\
劉伯倫五平大神眼なり月を\見るにも\
陶淵明山好神 花を見るにも
「淵明も李白も…」の句意は権造も山好も凉み台にやって来て、三人で酒を飲みながら、中国の本家の淵明や李白が古今の詩を吟じたり、詩作に耽って風流を楽しんだように、我々も芭蕉をはじめ蕉門の名句を口ずさんだり、発句を得ては俳諧三昧の風流な時を過ごしているよと詠んだものである。貞門俳諧の香りのする名句である。
芥川龍之介もこの発句を高く評価し、自らもこの句から前出の「川狩や陶淵明も尻からげ」と親しみの句を作っている。
後者の虚子の俳句の京伝は山東京伝のことで、江戸中期の洒落本作者である。一九は十辺舎一九のことで、『道中膝栗毛』の作者である。ところが、この京伝も一九も『漂泊俳人井月全集』の中の井月の「用文章」に載っている作者たちなのである。
(中略)
偶然では起こりえないような、虚子の俳句の発想も素材も構成も、全て井月の発句や文章にあるのである。虚子は、井月の発句の構成や貞門俳諧の名残りを留める古典文学三昧の感性に惹かれて、そっくり真似たのではないだろうかと疑われても仕方のない俳句である。
句意の面から見ると、虚子は中句に「居るや」として、その詩情は弱まり井月には遥かに及ばない。しかも、卑猥なことを好んで書く京伝が主役である。
ところが、こうした井月の発句や文章を読んでいない現代の俳人たちは、虚子が江戸の洒落本作者たちを並べて夕涼みの風流な構成を為したとして、新鮮で豊かな広い感性に圧倒されたようにこの俳句を絶賛した。この俳句への評価が時代が経つにしたがって益々高くなり、「流れ行く大根の葉の早さかな」の俳句と共に戦後の幾つかの出版社の高等学校の国語の教科書に、現代俳句文学作品として採用された。
(中略)
次も井月の発句の真似や種にしているのではないかと思われている虚子の俳句の数々である。
程近くなればかたげる日傘かな井月 出典『井月の句集』
顔かくし行過ぎたりし日傘かな虚子 出典『新歳時記 花鳥諷咏』
妻によし妾にもよし紅葉狩井月 出典『井月の句集』
妾より美しき妻冬支度虚子 出典『新歳時記 花鳥諷咏』
折れ曲り来る風筋や釣荵井月 出典『井月の句集』
岬より折れ曲り来る卯浪かな虚子 出典『新歳時記 花鳥諷咏』
何処やらに鶴の声聞く霞かな井月 出典『井月の句集』
どこやらに花火の上る良夜かな虚子 出典『高浜虚子全俳句集』
屠蘇の座や立まはる児の姉らしき井月 出典『漂泊俳人井月全集』
弾初の姉のかげなる妹かな虚子 出典『新歳時記 花鳥諷咏』
子供にはまたげぬ川や飛蛍井月 出典『井月の句集』
闘鶏や川飛び越えて人来る虚子 出典『新歳時記 花鳥諷咏』
紐を解く大日本史や明の春井月 出典『井月の句集』
読初や日本外史楠氏篇虚子 出典『高浜虚子全俳句集』
(後略)