目次
序 章………………………………………………………………………………………林 義勝
第一章 一九世紀後半期の朝米関係……………………………………………………寺内威太郎
はじめに
第一節.アメリカとの接触
一 シャーマン号事件
二 辛未洋擾
第二節 『朝鮮策略』とアメリカ
一 『朝鮮策略』の将来
二 「聯美国」
第三節 朝鮮の対米開国
一 朝鮮のロシア・西欧認識
二 対米開国への転換
三 「親中国」
四 朝米修好通商条約の締結
おわりに
第二章 フィリピンから見た二〇世紀転換期の米比関係――アメリカ・フィリピン戦争を中心に………林 義勝
はじめに
第一節 アメリカ・フィリピン戦争とエミリオ・アギナルド
一 フィリピン独立革命戦争とアメリカの関与
二 アメリカ軍のマニラ入城とパリ講和会議
第二節 アメリカ・フィリピン戦争の展開
第三節 アメリカ・フィリピン戦争と黒人兵士
第四節 シスト・ロペスの言論活動
おわりに
第三章 近代中国教育界から見たアメリカ──地理・歴史教科書の分析を中心に…………………………高田幸男
はじめに
第一節 近代中国の教育とアメリカ
第二節 清朝末期(一九〇一年~一九一一年)の教科書に描かれたアメリカ
一 近代学制の導入と初期学校教科書
二 商務印書館版『小学万国地理新編』
三 商務印書館『中学校用 西洋歴史教科書』
第三節 中華民国北京政府期(一九一二年~一九二八年)の教科書に描かれたアメリカ
一 民国北京政府期の教科書制度と教科書市場
二 商務印書館『新撰地理教科書 第四冊』
三 中華書局『教育部審定 新学制適用 新小学教科書 歴史課本 高級第四冊』
第四節 中華民国国民政府期(一九二七年~一九四九年)の教科書に描かれたアメリカ
一 国民政府の誕生と教科書制度
二 商務印書館『新時代高級小学 地理教科書 第四冊』
三 商務印書館『新時代高級小学 歴史教科書 第四冊』
第五節 中華人民共和国初期(一九四九年~一九五八年)の教科書に描かれたアメリカ
一 中華人民共和国の成立と新たな教科書制度の開始
二 人民教育出版社『高級小学地理課本 第四冊』
三 中国共産党のアメリカ観の変化
四 人民教育出版社『高級小学 歴史課本 第三冊、第四冊』
五 人民教育出版社『初級中学課本 世界歴史 下冊』
おわりに
第四章 アジア系アメリカ人の戦争の記憶——アメリカに内在するアジアの周縁…ゲイル・K・サトウ(寺澤由紀子訳)
はじめに
第一節 アジア系アメリカ文学史──戦争、記憶、表象
一 アジアにおけるアメリカの戦争の文化的再演
二 日系アメリカ人の記憶──カレン・テイ・ヤマシタの『オレンジ回帰線』における移転の再演
三 韓国系アメリカ人の記憶
──ノラ・オクジャ・ケラーの『従軍慰安婦』と
チャンネ・リーの『ジェスチャー・ライフ』における抵抗の再演
四 ベトナム系アメリカ人の記憶
──アンドリュー・X・ファムの『ナマズとマンダラ──ベトナムの風景と記憶をめぐる二輪車の旅』
におけるサバイバルの再演
五 アジア系アメリカ文学と文化的記憶
第二節 椰子の木と空──アジア系アメリカ文学と惑星思考
一 ニュートンの時間+非標準時間──アジア系アメリカ人の戦争の記憶
二 美と不正であることについて──バズワームの 椰子の木
三 美と公正であることについて──マンザナーの空
四 倫理的・審美的公正さ──バズワームとマンザナー
おわりに──二一世紀の太平洋航海図
終 章………………………………………………………………………………………ゲイル・K・サトウ(寺澤由紀子訳)
註と参考文献……………………………………………………………………………………………………………………
索 引……………………………………………………………………………………………………………………………
前書きなど
序 章
本書は二〇〇四年度から二〇〇六年度にかけて、「明治大学人文科学研究所総合研究第一種」として採用された、ゲイル・K・サトウ教授を研究代表者とし、さらに三名の文学部教員が共同研究者として参画した共同研究の成果である。人文科学研究所に提出した申請書にはおおむね次のように本研究が位置づけられていた。一九世紀中葉から第二次世界大戦終了期にいたる時期を対象に、アメリカ合衆国(以後アメリカと略記)を中心として考えた場合の周縁、すなわちアジア人、あるいはアジア系アメリカ人の研究者の視点を活かして、アメリカが掲げている理念やアジア各地に対する個別の政策の意味を問い直すことであった。具体的な研究テーマは、一九世紀中葉から後半にかけての朝鮮とアメリカとの関係やそのアメリカ像、二〇世紀前半の中国で描かれていたアメリカ像、二〇世紀転換期の独立運動が起きていたフィリピンとアジアへの進出を考慮していたアメリカとの関係を想定していた。さらに、アメリカ国内に居住しながらそこでは周縁と位置づけられる、アジア系アメリカ人の視点からのアメリカ像の見直し、以上のテーマから析出されるアメリカ像や地域との関係性に通底するものがあるかどうか考察を試みようとしたのである。
ここで、個々の論文の論点を簡潔にご紹介しておきたい。寺内威太郎教授の「一九世紀後半期の朝米関係」の論点は以下の通りである。一九世紀の前半期から、朝鮮周辺に西洋の商船が接近し通商を求める状況になっていたが、朝鮮は鎖国攘夷政策をとっていたので、朝鮮側から主体的に西洋諸国と関係を構築する可能性はほとんどなかった。事態が動くのは一八八〇年代になってからで、清をめぐる国際情勢が関係していた。清は、ロシアの勢力拡大と、日本の琉球処分に脅威を感じ、藩属国朝鮮の重要性を再認識せざるを得なかった。そこで、ロシアの朝鮮への南下と、日本の朝鮮併呑を防止するために、朝鮮にアメリカと条約を締結させて、ロシアと日本を牽制し、あわせて改めて朝鮮との関係を強化しようと図った。結局、朝鮮も清の勧告を受け入れて対米開国へ動き出すことになるのである。
アメリカ側にも、日朝修好条規の締結(一八七六)を受けて、朝鮮と通商条約を結ぼうとする動きがあり、日本の仲介を期待して、朝鮮との直接交渉を試みたが、すぐには実現しなかった。しかし曲折を経ながらも、シューフェルトが李鴻章を相手に交渉を行い、朝米修好通商条約を締結(一八八二)することに成功した。また、朝米関係が開始されるに当たり、朝鮮は清の属国であるが、内政・外交は自主しているという両国関係が、国際的に明示されたことは注目に値する。しかし、上記の両国関係についての清・朝鮮両国の理解に齟齬があり、その相違が、以降の朝中関係のみならず、朝鮮の国内政治にもさまざまな影響を与えることになった。
次に、林義勝教授の「フィリピンから見た二〇世紀転換期の米比関係」の論点は以下の通りである。論文の前半ではアギナルドと対スペイン戦争、その後の米比戦争に関わったアメリカ軍人や外交官との折衝の過程で、アメリカ側がアギナルドのフィリピン独立への強い願望をうまく利用しながら、最終的には独立の動きを鎮圧したことは明らである。また、米比戦争については、ゲリラ戦争の様相を呈したこと、さらに、この戦争を通してアメリカ軍兵士のフィリピン人に対する人種主義に基づいた言動が明らかにされた。一方、こうした米比戦争に兵士として参戦したアメリカ黒人兵とフィリピン人との関係については、複雑な状況であった。アメリカ黒人兵のなかには、フィリピン革命軍に参加した兵士や、戦争終了後もそのまま現地に留まった兵士が存在したことは、彼らがアメリカ社会の中で厳しい状況に直面していたことを物語っていた。また、フィリピン人外交官シスト・ロペスが、反帝国主義者連盟の支援を受けながらフィリピン独立の大義を訴えたことをこの論文は明らかにしている。米比戦争は世紀転換期のアジアでの独立運動を鎮圧することとなり、アメリカ政府の掲げた「友愛的同化」政策との間には大きな矛盾が存在したのである。
次に、高田幸男教授の「近代中国教育界から見たアメリカ──地理・歴史教科書の分析を中心に」の論点は以下の通りである。アメリカは、中国に対し中国の主権を尊重する姿勢と米中の教育文化交流を重視する政策を取ることによって、近代中国の官僚や知識人の親米意識を育んでいった。本稿は、こうした米中関係の下で、中国の教育界はどのようなアメリカ像を描いてきたのか、大手出版社の小学校用地理・歴史教科書の叙述を中心に分析する。
清朝末期(一九〇一年~一九一一年)の小学地理教科書は、立憲改革が目前の課題となっていたため、アメリカ独立革命について抑圧に対する闘いを強調し、大統領と議会、国民の関係、あるいは中央と地方の関係も重視するが、一方で華人労働者や華僑の抑圧に関しても言及する。中学用歴史教科書では、ワシントンやリンカーンを英雄的に描いている。
民国北京政府(一九一二年~一九二八年)の小学教科書は、地理では広大で豊かな工業国の有様を描くだけで、批判的な文言はない。また歴史では、ワシントンやリンカーンよりも、植民地の民衆に焦点を当てて、彼らがなぜ独立戦争を始めたか理解させようとする。
民国国民政府期(一九二七年~一九四九年)も、地理の教科書は北京政府期同様、巨大な先進工業国のようすを描くだけで、巻末で帝国主義について述べるものの抽象的である。歴史教科書では、独立達成ののち連邦制を築く過程が詳しく述べられ、パリ講和会議やワシントン会議におけるアメリカの立場を好意的に描くが、結果に対しては厳しい評価を下している。
人民共和国初期(一九四九年~一九五八年)は、アメリカに対する「幻想」を断ち切るため、地理・歴史ともアメリカの暗部を強調し、とくに歴史は、門戸開放など中国の主権を尊重する政策の「真意」を明らかにし、世界を支配しようとしていると警戒を呼びかけている。
第四論文、サトウ・K・ゲイル教授の「アジア系アメリカ人の戦争の記憶」の論点は以下の通りである。これまでの三本の論文では、「アジア周縁」という言葉は、一般に「環太平洋」と呼ばれる地理的な領域と同義のものとして使われてきたが、ここではアメリカ内部に存在するアジアの周縁について論じる。このアジアの周縁は、アジアからの移民の歴史の結果として、一九世紀中葉からアメリカ内部にアメリカ独自の空間として存在し始め、現在も存在し続けている。こうした「アメリカに内在するアジアの周縁」は、「アジア系アメリカ」という別名を持つが、この言葉の歴史は多くの問題をはらんでいる。
しかし、この論文では右のようにアジアの周縁を定義し、特にアジア系アメリカ人の戦争の記憶を通して、アメリカの国民全体の中、文化的幻想の中における「アジアの周縁」の存在とその意味を検証している。アメリカ現代史は、アジアにおいて、もしくはアジアを敵として戦われた戦争の歴史であるという、単純であるが不幸な理由ゆえに戦争の記憶は、アメリカに内在する「アジアの周縁」を考察する上で有効な手がかりとなる。そうした戦争としては、米比戦争(一八九九~一九〇二)、太平洋戦争(一九四一~一九四五)、朝鮮戦争(一九五〇~一九五三)、ベトナム戦争(一九五七~一九七五)、湾岸戦争(一九九〇~一九九一)、アフガニスタン戦争(二〇〇一~現在)、イラク戦争(二〇〇三~現在)などを数え上げることができる。
先に述べたアジア系アメリカの戦争の記憶を理解するために、サトウ教授は「惑星思考」という概念を導入する。これは考えうる最も広い視点から個別の文学作品を比較する方法である。この概念は二〇世紀から二一世紀への転換期のアメリカで、「アメリカ」文化という固定化した定義を破壊し、アメリカの文化的ヘゲモニーを分解するために生まれ、発展してきたものである。この惑星思考と戦争の記憶は、一見何の関係もないように見えるかもしれないが、両者は、平和主義への力となる文化的な表現として密接に関連している。アジア系アメリカ人の戦争の記憶と文学批評の概念としての惑星思考は、ともにアメリカのアジアにおける破壊的な戦争と、アメリカの世界経済に対する破壊的な支配への必然的な反応として生まれてきたものである。
このようなアプローチを取りながらアジア系アメリカ文学の作品を精読することを通じて、サトウ教授は、アメリカ国内にありながら、まだ地図も作られていない「アジアの周縁」を示そうとしている。そして、サトウ教授は、いまだに地図もないが、われわれの意識的な行動と思考の一部とするために地図のように明確に示さなくてはならないのは、広い意味では汎太平洋の、もう少し限定的にはアメリカの歴史を、アジア系アメリカ文学を通じて理解するにあたっての太平洋の可能性についてであろうと結論付けている。
以上が、本書に採録されている四本の論文の要約であるが、全体として、この共同研究に乗り出した際に、二〇〇四年度から始まる三年間の研究期間の間にできるだけ機会を活かして、アジア人研究者ばかりでなくアメリカ人研究者からもわれわれのプロジェクトへの協力を得られることを期待していた。幸いなことに、日本アメリカ学会が年次大会の際に招待された研究者には、毎年われわれのプロジェクトのために明治大学で講演会を開催して頂いた。また、二〇〇六年度にはアメリカから中国系アメリカ人研究者と韓国から研究者をお招きして、われわれ独自の国際フォーラムを開催することができた。こうした海外の研究者との交流を通して、アジア周縁の視点を活かしながらアメリカの歴史や社会について充実した対話を重ねる機会が得られたことは大きな喜びであった。この三年間に開催された講演会と国際フォーラムの報告の要約については終章で触れられている。