目次
刊行にあたって……………………………………………マルクス・メッケル/ライナー・エッペルマン
第一章・もろい寄木細工──建国四十年を迎えた東ドイツ
一 東ドイツ的な社会主義
二 社会主義と神経システム
三 混乱する党の文化政策
四 トロイの木馬の役割を果たす教会
五 力を得た反対派活動家
六 東ドイツから逃避していく人たち
七 西ドイツが取ってきた対東ドイツ政策と東ドイツ神話
八 社会主義体制を守るための党の決断
第二章・多くの住民の前で戦わされるようになった党と反対派との対決
一 一九八九年九月――異様な雰囲気
二 綻びの始まった党の包囲網
三 新しい反対派集団の旗揚げ
四 党の指導を拒否する住民
五 ライプチッヒの街頭闘争――初めてのデモ
第三章・開かれた窓──一九八九年一〇月からベルリンの壁崩壊まで
一 革命の序曲──十月二日から八日まで
二 運命の日──十月九日(月曜日)、ライプチッヒ
三 一歩退いた党と党との対話を拒否した市民
四 コントロールを失った社会
五 膨大な対外債務と東ドイツを捨てる人の波
六 新しい政党と市民運動──制約下での活動
七 混乱する社会主義統一党
八 人権支援から介入政策へ転換した西ドイツ政府
九 後手に回る党中央委員会会
第四章・多くの人たちの渇望──ベルリンの壁崩壊から一九九〇年一月まで
一 ベルリンの壁崩壊
二 我々は一つの国民である――権力闘争の激化
三 モドロウ首相が指導する政府の成立
四 国民保安局(旧国家保安省)を占拠した市民――燃え上がった怒り
五 円卓会議の立ち上げ
六 新しいアイデンテティーを求めて
七 一九八九年秋──新しい社会の誕生
八 東欧政策から両独間政策へと舵を切った西ドイツ
九 社会主義統一党の復権を目指した動きとそれを打破した一九九〇年一月革命
第五章・苦悩を増す社会とそれからの解放を目指した選挙──一九九〇年一月から五月まで
一 狭い舞台の両独間政策論争
二 ドイツ問題で国際舞台に登場した西ドイツ
三 市民を代表するのは誰か――様々な政党や組織の発展
四 最初で最後の自由な人民議会選挙――三月十八日
五 初めての自由な地方議会選挙――五月六日
第六章・東ドイツの終焉とドイツの統一
一 経済・通貨・社会同盟条約の発効――七月一日
二 凋落していく東ドイツの社会
三 歴史に基づいた州の再編成
四 変革を経た東ドイツの議会制度と政治
五 統一されたドイツ
おわりに
訳者あとがき
参考文献一覧
人名索引
前書きなど
刊行にあたって
一九八九年に平和裡に推移した革命は、ドイツの歴史において高く評価される出来事の一つです。あの秋の数日間で、東ドイツの市民は社会主義統一党による独裁を打破することに成功しました。かつて自らを壁の中に閉じ込めてしまったドイツ民主共和国は、これまでの全ての事実を告白しなければならない状況に陥り、四十年以上に亘って続いた、一見無限の権力を享受していたかのように見える社会主義統一党は、それに反対する人たちの運動の圧力の下で、そして大衆の平和的なデモによって、トランプのカードで家を作る遊戯が示すように、一直線に瓦解していきました。
一九八九年当初あの硬直した国において、改革の意志もなく、またその能力もない政治指導者でも何かを変えることができる、と考えた市民は皆無でした。そして幾度となく繰り返される出来事は怒りとなって、人々の心に衝撃を与えたのです。これについてはさまざまな例を数え上げることができるでしょう。ハンガリーやプラハを通過して出国していく多くの東ドイツの住民の逃避、平和の祈りを続ける行列、さまざまな主張を公にし、あるいはデモ行進に訴える人たちなどを先ず指摘することができます。党に反対する人たちの集団の旗揚げ、そして大衆の圧力によって可能となったベルリンの壁の崩壊、東ドイツの各地で行われた様々な円卓会議の開催、自由選挙の実施なども列挙しなければなりません。
東ドイツの住民が長い間期待し続け、それについて再三議論を続けてきたことは、一度に可能なものとなっていきました。それは自由、民主主義、そしてそれに続いて時を経ずして現れたドイツの統一です。それを可能にしたのは平和裡に行われた革命と、一九九〇年にドイツの統一への道を可能とした東ドイツの、自らの手による民主化でした。ドイツの統一とそれに続く欧州の統合プロセスによって目的は達成されました。東ドイツの人たちは夢と考えていたにすぎませんでしたが、ドイツは平和裡に、自由と民主主義の下で統一され、ドイツに接する隣国から尊敬を受け、欧州連合とNATOの一員となったのです。
本書で述べられているのは、東ドイツというドイツの一地域の歴史の幸運な出来事だけではありません。四十年以上に亘る二つのドイツの時代と東ドイツに君臨した共産主義独裁は、ドイツ人全ての歴史の一部であり、東ドイツの住民だけが共有した事柄ということでは決してありません。更に、これは全ヨーロッパ的な次元であることも想起されなければなりません。何故なら、一九八九年から九〇年において、ほとんどの東ヨーロッパは解放されたからです。ソ連の内部崩壊と東欧における民主主義の出発は、驚くべき早さで冷戦を終了させていきました。このことは西側の東側に対する勝利というよりは、欧州の共産主義諸国家に住む人たちの自由への意思の勝利でした。東ドイツの平和革命がドイツの統一を創り出すのと相まって、中・東欧諸国の革命運動は、統一された、民主的なヨーロッパが共同して成長する道を切り開いていったのです。
エールハルト・ノイベルト博士は時代の目撃者として、また現代史家として、私たちを一九八九年から九〇年という一連の事件の一面へと誘って巧みです。本書はあの緊張した日々の、数週間いや数か月の密度のあるモザイクそのものとなっています。読者は東ドイツ住民の大量の逃避や大衆によるデモを目にして、人々が意見を発表したいとする意思、反抗する精神、個々人が示した勇気や英雄的な行動、また不安と期待の目撃者となるでしょう。著者ノイベルトは新しい民主勢力が獲得した選択肢を示し、同時に政治の現実性について明確にしています。そして名のあるなしを問わず、それに係わった多くの活動家と各自の考えが紹介されています。
ここでは政治家の行動だけが記述されているということではありません。著者はこの革命を、ある意味で「下から」見たパースペクティブとしてとらえています。つまり、いかにして住民が「市民」となっていったか、活動を開始して立ち上がっていったか、権力者を前にして恐怖を乗り越えてデモに出ていったこと、頑迷な支配者をその地位から追放して自らの未来を手にしていった過程などが示されています。このようにしてノイベルトは、平和革命を市民の勇気と市民としての意識の結果として指し示し、自由な社会への夢を実現した彼らに対して記念碑を打ち立てています。
この本はドイツの東西に住む人たちのために、二十年という年月を経てもう一度あの出来事に目をやり、想起し、そしてあらためてその意味を検証しようとしています。そしてあの出来事を自らは体験することのなかった若い人たちに対しては、最近の現代史において最も重要な部分を明らかにする好機を提供しています。著者は多様な、一部には複雑に絡み合った現代の印象記を、広い政治的・歴史的な相互関係へと組みかえました。最近の歴史を入念に再構成することで、著者は一九八九年から九〇年の、エポックとなった巨大な変革を人々に想起させるという、重要な貢献をなしています。
社会主義統一党の独裁を検証するための連邦基金は、本書の作成を支援してきました。またその出版を援助しました。この本はドイツとヨーロッパの自由と民主主義の歴史のためになしたあの出来事について、重要な意味を提示しています。
ベルリン、二〇〇八年七月
マルクス・メッケル(ドイツ連邦共和国議会議員)及びライナー・エッペルマン
社会主義統一党の独裁を検証するための連邦基金評議会議長及び執行委員会議長