目次
まえがき
第一章 「生理的嫌悪感」の正体[今野大輔]
第二章 ニオイの行方――皮革産業を取り巻く言説[岡田伊代]
第三章 「素朴なる民」の民俗学へ――民俗学が生きづらさについて述べるための「非常民」論[入山頌]
第四章 「民俗」は炭坑の暮らしをいかに捉えてきた/こなかったのか――旧産炭地筑豊における「民俗」記述を事例に[川松あかり]
第五章 「当たり前」の「日常」から差別・排除を捉える方法――現象学の複数の動向を導きに[辻本侑生]
第六章 ポストコロニアル民俗学――博物館からのアプローチ[ヘルムト・グロシュウィツ(クリスチャン・ゲーラット、及川祥平訳)]
第七章 「食べもの」の差別と序列化[山田厳子]
第八章 シルバーシート考――モノと分断[及川祥平]
あとがき
前書きなど
まえがき
(…前略…)
第一章「『生理的嫌悪感』の正体」(今野大輔)は、日々の私たちの物言いのなかにある拒絶的な態度のあり方に迫る。第二章「ニオイの行方――皮革産業を取り巻く言説」(岡田伊代)は差別されてきた地域において、「ニオイ」という感覚的問題がどのように扱われてきたかを考えようとしている。
第三章「『素朴なる民』の民俗学へ――民俗学が生きづらさについて述べるための『非常民』論」(入山頌)は、赤松啓介の非常民論を手がかりに「生きづらさ」を分析する。第四章「『民俗』は炭坑の暮らしをいかに捉えてきた/こなかったのか――旧産炭地筑豊における『民俗』記述を事例に」(川松あかり)は、従前の「民俗」という枠組みのもとで炭鉱およびこれをめぐる差別を記述することの課題を明らかにしている。「常民」や「民俗」という概念が帯びる問題点を乗り越えつつ、現代の民俗学は日常学への展開を遂げつつあるが、第五章「『当たり前』の『日常』から差別・排除を捉える方法――現象学の複数の動向を導きに」(辻本侑生)はそうした動向をふまえ、民俗学と現象学との接点を模索する。
第六章には、日常学化したドイツ語圏の民俗学における研究として、ヘルムト・グロシュウィツの「ポストコロニアル民俗学――博物館からのアプローチ」を掲載した(翻訳の初出は『常民文化』四五、二〇二二年)。日本国内の日常における植民地的権力の作動を照射するうえでも示唆に富むものである。他方、日々のなかで誰もが必ず行う「食」を通しても、勾配のある関係は発生する。第七章「『食べもの』の差別と序列化」(山田厳子)は、日常のなかで不可視化されている問題に切り込んでいる。また、多くの人が利用する電車のなかにもたらされる分断とエイジズムを関連づけたのが第八章「シルバーシート考――モノと分断」(及川祥平)である。日常のなかのモノをめぐる軋轢もまた、本共同研究が解き明かすべき課題の一つであった。
問わねばならないこと、整理し精緻化すべき問題の多さ、それらの大きさ・重さ・難しさを前に、本共同研究のメンバーは何度も逡巡し、行き詰まり、書きあぐね、悶々としつつ議論を交わしてきた。本書収録の各論文の試みはささやかなものでしかないかもしれないが、本共同研究の掲げた大きな問いの解決に向けて、いくばくかの貢献を成し得ていれば幸いに思う。