目次
序章 「読まれる身体」の近代[村上宏昭]
第Ⅰ部 規格化する視線、数値化される身体
第1章 可読的身体の系譜学――旅券・客観性・人体測定[村上宏昭]
はじめに
1 旅券のなかの身体
2 複数の「客観性」
3 身体の数値化
おわりに
第2章 近代イギリスにおける医療技術と健康管理――一九一八~一九年インフルエンザと体温計測[高林陽展]
はじめに
1 近代までの体温計の歴史
2 一九世紀後半のイギリスにおける体温計の製造と販売
3 一九一八~一九年インフルエンザと体温計
おわりにかえて
第3章 X線の医学的な使用と防護意識の形成――ドイツの事例を中心に[北村陽子]
はじめに
1 X線の発見と医学への応用
2 戦場医学でのX線の使用
3 民間でのX線の使用被曝をめぐる意識の形成
4 放射線防護に関する国際的な動きとドイツにおける防護規定
おわりに
第Ⅱ部 「反社会的身体」への不安
第4章 可視的身体と可読的身体のあいだで――アルフォンス・ベルティヨンの功績[梅澤礼]
はじめに
1 一九世紀前半のフランスにおける捜査
2 一九世紀後半のフランスにおける捜査
3 一九世紀末のフランスにおける捜査の状況
4 ベルティヨン方式の可視的性質
おわりに
第5章 遺伝学者ハンス・ナハツハイムと「遺伝衛生」――一九五〇~六〇年代ドイツにおける優生学の一例として[紀愛子]
はじめに
1 ナハツハイムの経歴
2 ナハツハイムにとっての「遺伝衛生」の必要性
3 ナハツハイムの断種論
4 ナハツハイムの主張に対する反響
おわりに
第6章 生体認証技術と人種主義――現代ドイツにおける移民・外国人管理の事例[昔農英明]
はじめに――現代社会における生体認証
1 難民の「歓迎文化」と排外主義の間で
2 生体認証技術を活用した外国人の送還
おわりに
第Ⅲ部 植民地世界の生体管理
第7章 植民地インドにおける「犯罪的集団」の身体の可読化[宮本隆史]
はじめに
1 植民地インドにおける統治の階調
2 「盗賊」たち
3 囚人の身体の可読化に向けた試み
おわりに――疑似的な「外部」を生み出す仕掛けとしての身体の可読化
第8章 南アフリカにおける指紋法の導入と展開――英領ケープ植民地の医師、警察と身体を中心に[堀内隆行]
はじめに
1 ゴルトン以後のケープにおける医師と警察
2 身体の管理とその限界
おわりに
第9章 「熱帯医学」としてのハンセン病研究――帝政期ドイツの議論から[磯部裕幸]
はじめに
1 「らい病」から「ハンセン病」へ――第一回「国際らい会議」(ベルリン)と「熱帯医学」
2 「外からやってくる災禍」――ハンセン病対策における「中国人」と「黒人」
3 「運命」としてのハンセン病?――ヨーロッパ人が考える病気の原因
おわりに――「文化相対主義」が招く「文化の否定」
終章 身体の情報化に抗して[村上宏昭]
あとがき
人名索引
事項索引
編著者・執筆者紹介
前書きなど
序章 「読まれる身体」の近代
(…前略…)
本書の概要
この章を締めくくるにあたり、最後に本書の内容を大まかに紹介しておきたい。
本書は三部構成で、序章と終章を除いて全九章からなる。まず第Ⅰ部の三章は、可読的身体の歴史的由来やバイオメトリクス以外で見られるその諸形態を考察する。可読的身体の前提にあるのは、真理の認識よりも管理の効率性のほうに至上の価値をおく「規格化する視線」である。この視線は一七世紀の博物学を淵源とするものだが、一九/二〇世紀の工業化時代を通じて社会全体に広がっていった。
第1章は旅券制度や客観性概念、そして諸種の人体測定(骨格・体重・体温計測)を手がかりに、この視線の系譜と軌跡とをたどっている。旅券の歴史に見られる身体の三類型(可述的身体・可視的身体・可読的身体)は、科学や行政における三種の客観性(共同体的客観性・機械的客観性・規格的客観性)に対応している。規格化する視線はこのうち第三の類型に属するが、それは身体の個別性を問う個人識別技術(個人志向)に限るものではなく、むしろ元来、身体の正常性を問う人類学・医学・生理学の研究手法(集団志向)に由来するものだった。
第2章は近代イギリスにおける体温計の販売・消費という観点から、この規格化する視線が社会に普及していくさまを跡づける。いうまでもなく体温計も計測尺度の規格化を前提とした技術である。この技術はすでに一九世紀半ばには開発されていたが、それがとくに社会に広がる契機となったのが、第一次世界大戦末期のスペイン・インフルエンザだった。疫病への恐怖に駆られて人々は体温計測に熱中し、さらにまた薬局店の販促戦略や国家による販売規制が、そうした体温計需要をますます昂進させたのである。
もちろん規格化されたのは、体表面の温度だけではない。第3章はドイツの事例を中心に、X線の被曝許容量の基準値策定をめぐる医療従事者たちの諸動向を扱っている。一九世紀末にレントゲンがX線の発見を報告した直後から、その有害性は医療関係者の間で認識されてはいた。ところがどの程度の被曝量が人体にとって許容範囲なのか、そのしきい値の設定をめぐって各国の思惑が衝突し、国際的な標準化(規格化)は遅々として進まなかった。それが最終的に達成されるのは、ようやく第二次世界大戦後の一九五三年であった。
続く第Ⅱ部の三章は、それぞれ犯罪者・遺伝性疾患者・移民(難民)という、近代市民社会で「反社会的(asozial)」と見なされた身体に対する管理の諸事例を考察する。
第4章はフランスの文学作品を参照しつつ、犯罪者の識別法が可視性から可読性に移行した時期を探る。先述のようにベルティヨン方式は、犯罪者の身体情報を数値化した点で、その管理の仕方を大きく刷新するものであった。だがそれは、可視性に立脚する捜査方法に即座に取って代わったのではなく、むしろベルティヨン自身の認識ではあくまで従来型の目視による捜査を補完するものでしかなかった。犯罪捜査の重心が目に見えて可読的身体へとシフトするには、指紋法の登場を待たなければならなかった。
なお、くり返せば遺伝情報もまた可読的身体の一類型である。それゆえ第5章では、遺伝学者ハンス・ナハツハイムを事例として、戦後西ドイツの遺伝学と、それに依拠した優生思想が扱われる。第二次世界大戦後、遺伝学界の要職を歴任したナハツハイムは、ナチ期の優生思想を変わらず信奉していた人物でもあった。すなわち科学的に遺伝性疾患の発症が予想される者を断種するばかりか、遺伝登録簿の制度を創設し、「劣等遺伝子」保有者を国家が管理することまで提唱していたのである。
近現代社会では移民や難民もまた「危険な他者」として表象され、その移動の管理・規制が行われやすい存在である。第6章は現代ドイツを事例として、EUにおける難民申請者の指紋データベース(ユーロダック)の運用とその問題性を論じる。二〇一五年にケルンで起こった大規模な性的暴行・窃盗事件をめぐる報道は、アラブ系やアフリカ系に対する人種主義的偏見がドイツで根強く残っていることを明らかならしめた。一見中立的な生体認証技術は、じつはそうした偏見にもとづく移民・難民の社会的排除を助長する機能をもつのである。
ところで先述したように、生きた身体に対する管理の視線は西洋世界の内部にのみ向けられたわけではなく、植民地の統治実践においても必要不可欠なものだった。そこで第Ⅲ部では、おのおのの植民地世界における生体管理の諸相が考察されることになる。
現代インドの生体認証システムは、植民地統治時代とまったく同一とはいえない。第7章では、一九世紀の植民地統治という歴史的文脈から、当時のインドにおける個人識別技術導入の意義を考察する。それによれば、指紋法や(ほとんど知られることはなかったが)足跡識別法など当時の個人識別技術は、従順な臣民の身体を管理する目的で使われたわけではない。むしろこの技術は法的論理(法の支配)というより、犯罪部族と目された集団の武力による平定という、軍事的論理(平穏化)で活用されたものだった。
なお南アフリカは、指紋法がその生まれ故郷インドよりもはるかに積極的に統治の技法として活用された地域であった。だがそれはたんに「インドからの道」の延長にあるわけではなく、この地域独自の歴史的背景もあった。第8章は南アフリカにおける医療・警察制度の整備に目配りしつつ、インド・中国系移民を標的とした指紋法の諸実践を論じている。ただ二〇世紀初頭には、指紋採取による生体管理の方法は技術上の制約が大きく、その実用的価値が理解されずに中止に追い込まれたことも多々あった。
続いて第9章は熱帯医学という、それ自体西洋植民地主義の産物である分野に焦点を当て、それがハンセン病(らい病)を「非西洋的」疾患として表象していく過程を論じる。たしかに古来西洋世界でもらい病は知られていたが、一九世紀後半のらい菌発見を機に、この病気はそれまでにない新たな様相を呈することになる。すなわち感染症という定義づけと、それにそぐわない拡散の様態から、アフリカ系住民や中国人の生活様式で感染リスクが高いとされる要因が次々と列挙され、その是正が叫ばれるようになったのである。
最後に終章では、可読的身体の特徴をいま一度振り返る。可読的身体の情報には、集団志向(正常性)と個人志向(個別性)という相反する二つの志向性が見られるが、身体をたんなる数値=情報(データ)に矮小化する点ではいずれも一致している。それゆえこの特異な身体の支配を脱するには、数値化不可能な「生きた世界」に属する現象学的身体を復権させなければならない。看護の現場はそのためのヒントに満ちている。たとえば植物状態患者とのコミュニケーションのあり方も、この観点から見ると一つの意義深い示唆を与えてくれるだろう。