紹介
言語教育とは、誰が誰のために、何のためにするものなのでしょうか。
今、言語教育は形を変えようとしています。たとえば、日本語教育は、日本政府の「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」(2018)に日本語教育の推進が明記されて以降、「社会」と急接近しています。
また、英語教育をはじめとする外国語教育は、「グローバル化」の旗を掲げ、大学の生き残りをかけて、戦略的にそのあり方が模索されるようになっています。
本書では「公共性」(公的なもの、開かれたもの、共通するもの)を軸として、言語教育と公共の接点を探ります。そして、「ことばの活動」として再提起することにより、未来志向(フィードフォーワード)型の議論を展開します。
目次
はじめに
序章 ことばによって生きるための公共性[細川英雄]
第Ⅰ部 ことばの活動と教育のあり方
1章 クリティカルな思考が「自己犠牲」につながるとしたら――公共性-複数性を志向する教室と、アレントの教育論[有田佳代子]
2章 コロナ禍における留学生交流事業の取り組み――「第三の故郷を見つける農家民泊」再開までの軌跡[市嶋典子]
3章 教室の外から大学におけるインクルージョンを考える――ヒューマンライブラリーを通じて自分や他者の「普通」に向き合う対話[中川正臣]
第Ⅱ部 言語の自由と活動
4章 連句活動における公共性――文芸的公共圏としての座の文学[白石佳和]
5章 英語と私と公共性――批判的応用言語学の視点から[田嶋美砂子]
第Ⅲ部 公助の視点の意味
6章 差別や偏見の「壁」を越える――ベトナム人留学生による技能実習生支援の実際から[秋田美帆・牛窪隆太・徳田淳子]
7章 移動家族が弱さと信頼の親密圏を育てる――日本で育つ移動家族の子どもの語りから見えるもの[松田真希子]
第Ⅳ部 個と社会を超える
8章 日本語教育の鏡に映る「多文化共生」の姿から学ぶこと[福永由佳]
9章 店の「カウンター」が引き寄せるコンヴィヴィアリティと公共性――言説の空間を超えて[尾辻恵美]
第Ⅴ部 忘れられた存在が「現われ」るとき
10章 公共性から考えるサハリン残留日本人――帰国者支援の変遷と永住帰国者の語りから[佐藤正則・三代純平]
11章 閉じられたスキー宿に公共性の風が吹く[福村真紀子]
第Ⅵ部 アレントとハーバーマスから考える
12章 言語教育をことばの活動へと広げる「公共性」――ハンナ・アレントが重んじる複数性、開放性、自由を手がかりに[福村真紀子]
13章 ことばの教育と「公共」の接点を探る――ハーバーマスの公共圏における言語観をもとに[牛窪隆太]
ダイアローグ
ダイアローグ01[有田佳代子/福村真紀子]
ダイアローグ02[市嶋典子/牛窪隆太]
ダイアローグ03[中川正臣/牛窪隆太]
ダイアローグ04[白石佳和/福村真紀子]
ダイアローグ05[田嶋美砂子/牛窪隆太]
ダイアローグ06[秋田美帆/福村真紀子]
ダイアローグ07[松田真希子/牛窪隆太]
ダイアローグ08[福永由佳/牛窪隆太]
ダイアローグ09[尾辻恵美/福村真紀子]
ダイアローグ10[佐藤正則/福村真紀子]
ダイアローグ11[福村真紀子/牛窪隆太]
ダイアローグ12[細川英雄/牛窪隆太・福村真紀子]
おわりに
編著者紹介
前書きなど
はじめに
1.「公共性」を考える、それはなぜか
本書は、ことばの活動を「公共性」という切り口で見つめ直し、そのあり方を読者とともに考えるためにつくられています。本書の構想は、日本語教育と「公共性」の関係について考えることからスタートしました。しかし、当時執筆を予定していた日本語教育の関係者たちで勉強会を開き、「公共性」について検討しているうちに、日本語教育という器では言いたいことを盛るには小さすぎることが見えてきました。そこで、韓国語教育、英語教育、文学教育の専門家にも執筆メンバーに加わってもらいました。そして、それぞれが執筆を終えてみると、言いたいことの真髄は「言語」という枠を超え、人と人とのコミュニケーションの方法をもっと広くとらえた「ことば」へと拡張していました。また、執筆者の視野は、「教育」にとどまらず、「教育」を含む「活動」へと広がっていました。本書の執筆者たちは、ことばの教育を人間の外に現れる言語形式を磨くだけの営みとは考えておらず、人間と社会を形成する営みと考える立場に立っています。人は他者とともに社会で「よりよく」生きていこうとする存在です。「よりよく」とは、あらゆる他者と対等に価値づけられ、自由である状態だと考えられます。「序章」で細川が言及している、イヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアル・ソサエティ(自立共生社会)」も、他者とともに生きる人びとが「公共性」を意識しつつ形成していく世界と言えます。本書は、さまざまなことばの教育に携わる者たちが「公共性」という概念に接近し、既存の枠組みを乗り越えて完成した本だと言えるかもしれません。
本書の目的は、「公共性」の意味に迫り、ことばの教育の価値と意義を問い直すことであり、ことばの活動によってよりよく生きる人間をつくることです。ひいては、そのような人間たちがよりよい社会をつくることができると考えられます。よりよい社会を構成する人間たちが身につけていくものが「市民性」であり、「市民性」を身につけた人間たちがつくっていく社会に「公共性」が芽生え、根づいていくのではないかと思います。