目次
はじめに
Ⅰ 広いロシア 赤の広場から宇宙まで
第1章 モスクワ――つねに新しい時代を夢みて
第2章 サンクト・ペテルブルクに潜る――次に町を訪ねる人のために
第3章 我が家、シベリアだ。――地元の人の観点から
第4章 「ロシア文化」をかたちづくる「帝国的」な多民族性――当たり前のようにそこに「ある」多様な文化
第5章 森と川――その歴史的・文化的な意味
第6章 なぜ宇宙飛行は「人類の夢」なのか?――コスモナフトのふたつの顔
【コラム1】ウクライナとロシア――ウクライナ語とロシア語
【コラム2】ベラルーシとロシア
【コラム3】ジョージアとロシア――グーリャの記憶から
Ⅱ 世の中のしくみ
第7章 ロシアの軍隊と軍事制度――軍事国家の成り立ち
第8章 ツァーリと強い指導者――イワン雷帝からプーチンまで
第9章 流刑と秘密警察――陸の帝国の暴力
第10章 権力と法に縛られたジェンダー平等――ロシア社会における「伝統的家族」の桎梏
第11章 マスコミ――ロシアで規制下を生きるメディア
第12章 地下鉄――大都市の由縁
第13章 学校教育――最後のベルが鳴るまで
第14章 大学――「しっぽ」を残さないように
第15章 世論調査にみる今のロシア――市民の本音は?
第16章 ロシア人とのビジネス――ロシア式ビジネスの特徴と国情
Ⅲ 日常を生きる
第17章 モスクワの一日――「笑顔」でお買い物
第18章 エチケット・マナー――笑顔はなくても!
第19章 出産と育児――ベビーシッターと外国語
第20章 インターネットとSNS――自己表現の自由を求めて
第21章 余暇と休暇――憧れは暖かい海
第22章 笑いとユーモア――「冗談は犯罪じゃない」
【コラム4】マロース「切っても切れない仲」
Ⅳ 魅惑される ロシア芸術・芸能・スポーツの世界
第23章 生活の中の映画――娯楽か、芸術か
第24章 ロシアにおけるアニメ――アニメは誰のためのものか
第25章 クラシック音楽とロシアの生活――伝統と歴史に支えられた音楽文化
第26章 ロシア・ポピュラー音楽の現在――21世紀の動向と分断のゆくえ
第27章 栄光と苦難のロシア演劇――自由に魅せられた俳優たち
第28章 サーカスは魔法の輪――ロシアサーカスの魅力
第29章 生きる伝統との邂逅――ロシアバレエの留学体験記
第30章 スポーツ――スポーツ大国の光と影
第31章 日本文化受容――ロシア歌舞伎公演から100年たって
【コラム5】ロシア演劇の今
Ⅴ ことばの世界
第32章 ロシア語とはどんな言葉か――ロシア語で「偉大で力強い」と言えば
第33章 現代のロシア語――書き言葉の変遷、造語の力
第34章 禁止がなければ生きられない?!――アネクドート(一口話)は不滅です
第35章 ことわざと「翼の生えた言葉」――どこまで文脈を読めるかな
第36章 文学――何よりも大事なもの
【コラム6】日本におけるロシア紹介者――江戸時代から現代まで
Ⅵ 愛する・信ずる
第37章 恋と結婚の内側――恋愛は人生の華
第38章 友人と家族――家族と友人がいるからこそ、人生に意味がある
第39章 正教の国ロシア――信じてないけど信じてる
第40章 信仰と日常生活――結婚指輪は右手に
第41章 生きている祈りの場――正教会の聖堂とイコン
第42章 ラスプーチンとその他の霊能者たち――ロシアと「超能力」
第43章 ロシア魂の謎――ロシアは頭ではわからない?
第44章 ロシアにおける日本の人気――日常の中の非現実
Ⅶ 伝統
第45章 民芸――マトリョーシカだけじゃない
第46章 昔話――昔話の昔から今まで
第47章 迷信――異界に通じる小さな窓
第48章 ロシア民謡と大衆歌謡――収集と普及
第49章 サモワール――家庭の幸福、日常生活の美学
第50章 クリスマス・マースレニッツァ・パスハ――お正月の後に来るクリスマス
Ⅷ 衣・食・住
第51章 食生活――テーブルの脚が折れるほどのご馳走を!
第52章 ロシアにおける外食の諸相――レストランからファーストフードまで
第53章 寒冷地の生活の知恵と北国の飲み物――ミョード、ワイン、クワス、ビール、ウォッカ
第54章 ザクースカで幕が開くロシアの食卓――キャビア、チョウザメ、ピロシキ、ペリメニ
第55章 ボルシチとその他のスープ――スプーンが倒れないほど具だくさん!
第56章 スイーツ・アイスクリーム――デザートにカーシャはいかが?
第57章 住宅事情――集合住宅から見る現代ロシアの暮らし
第58章 ロシアの建築の二面性――建築政策と都市計画の変遷
第59章 ダーチャのある暮らし――心豊かに過ごすロシア式セカンドハウス
第60章 日常の衣服・ファッション――限られた期間で思いっきりおしゃれを楽しむ!
【コラム7】ペット事情
おわりに
ロシアの暮らしと文化を知るための参考文献
前書きなど
はじめに
この「はじめに」を書いている2024年9月現在、ロシアは異常な事態にある。改めて解説するまでもなく、プーチン政権下のロシアは2022年2月に独立国であるウクライナに対して軍事侵攻(特別軍事作戦)を開始し、いまなおロシア・ウクライナ間の戦争は続き、停戦・和平への道も見えてこない。
その結果、日本ではウクライナに同情する世論が急速に高まると同時に、ロシアに対する嫌悪感が強まった。戦争を背景に対ロシア感情が悪化するのは避けがたいことだとしても、戦争に直接関係のないロシアの芸術や文物まで忌避する傾向さえ一部に見られるようになったのは憂えるべき事態ではないだろうか。
当たり前のことだが、ロシアが何世紀にもわたって築いてきた素晴らしい文化や芸術がすべて戦争のせいで突然価値を失うはずはないし、戦争のさなかでもロシアの人々は普通に人間としての日常の営みを続けている。むしろ、「謎の国」ロシアを理解するためには、国際的ニュースの陰に隠れて外国人には見えにくい普通のロシア人の暮らしや文化をもっとよく知ることが必要ではないだろうか。そもそも最近の日本ではロシアはもっぱら戦争報道で取りあげられるばかりで、大統領の顔はよく知られているが、普通の暮らしを営むロシア人の素顔はあまり知られていない。考えてみれば、人はよく知らないものを好きになることはできないだろう。多くの日本人がロシアをなんとなく恐ろしい国だと思い、好感を抱かないのも、実はロシア人を知らないからという面もあるのではないか。
本書はこういったことを念頭に置きながら、ロシアの暮らしと文化に焦点を当てたものである。扱う時代は、19世紀以前にさかのぼる場合もあるが、大部分は20世紀以降から現代を視野に入れている。ロシアを知るためのガイドブックの類はこれまでもかなり出ているし、本書の編者たちもこれまでそういった本の編纂に携わってきた。しかし、本書が従来の類書と異なるのは、普通のロシア人が何を食べ、何を考え、何を楽しみ、何を大事にしているか――要するにどのように生きているのかを描き出すことに努めている点である。現代的な感覚を生かすために、各章はなるべく若手のロシア事情通に書いていただいた。ここには専門的知見や情報が分かりやすく盛り込まれているが、可能なかぎり執筆者の個人的なロシア経験や生活感覚を生かすような書き方になっている。そのほか時節柄、やむを得ず何人かは匿名での参加になったが、ロシア人にも執筆していただいた。
本書は初めから順番に通読する必要はない。読者の皆様には興味を惹かれた章から気の向くままに読んでいただきたい。どの章を読んでも、きっと巨大で多様なロシアの知られざる一面が見えてくるだろう。
本書を通して浮かび上がってくるのは、決して100%バラ色の理想的なものではないにせよ、ロシア人が創意工夫を凝らし、可能なかぎり豊かで人間的な生活を送っている姿ではないかと思う。
日本での対ロシア好感度の低さとは対照的に、ロシアでは日本文化の人気は高く、日本との文化交流は意外にも盛んに行われてきた。しかし、残念ながら、複雑な歴史的経緯から日ロ関係は正常とは言えず、両国間には平和条約さえ結ばれていない現状である。政治的な問題はさておき、この困難な時代にも文化交流の火を絶やすことなく進めていくことこそが大事だろう。ただし、ここで言う文化交流とは、国家的プロパガンダのためのものではなく、あくまでも人間と人間の心が通い合うような交流のことだ。本書もそのための一助となれば幸いである。そして、最後に、今なお続いている戦争が一刻も早く終結し、ウクライナとロシアの両方の人々に平和な暮らしが戻ってくることを願って、「はじめに」を結ぶこととしたい。