目次
はじめに
1章 人を分けることの不条理
1 狂気と正気の間
2 分けることの意
3 人は誰でも障害者
4 障害者差別
5 「あっち側の人間」
2章 診断とは差別の構造化
1 「診断」から「差別の構造化」
2 登校拒否と不登校の間
3 「発達障害」から「不適応人間」へのレッテル
3章 教育に刷り込まれた優生思想
1 障害の呼称
2 「わが国の特殊教育」について
3 普通学校からの排除
4 障害児教育は落ちこぼれの教育か
5 障害者差別はないと断言する学者
6 新設養護学校建設反対運動
7 やまゆり園事件を越えて
4章 苦難の障害児教育
1 教員の社会的地位の低下
2 苦難の障害児教育
5章 障害児教育賛歌
1 障害児教育者への感謝
2 特別支援学級が学校を変える取組
3 神奈川の支援教育
4 障害児教育を担う人々
5 通常の教育を改革する障害児教育
6 障害児教育が提唱する共生教育
6章 インクルージョンへの道
1 インクルージョンとは何か
2 世界的な動向
3 インクルージョンを阻むもの
7章 戦争と障害
1 戦争と障害
2 戦争と宗教
3 天皇と戦争
4 戦争の犯罪者とは誰か
5 文化と戦争
8章 差別を本能的に好む人間
1 パラリンピックは障害者差別を解消したのか
2 違いよりも同じを認める
3 障害者差別の究極にあるもの
4 障害者の信仰
おわりに
前書きなど
はじめに
差別と排除そして分断。現在の社会はこれらの言葉に象徴されるものとなって久しく、私たちの身近なものとなっています。差別や排除による分断は社会を引き裂き、人々の心を混迷に陥れ、憎悪と悪意による他者への糾弾が尽きない状況が続いています。一つにまとまることの難しさ、他者を受け入れる度量が余りに小さくなりすぎていると思わざるを得ません。
(…中略…)
私は障害児教育を専門とする教師として生きてきました。障害者に対する差別や排除を日々感じながら教育者として活動してきました。私の教育公務員としての最後の仕事は、新設の特別支援学校の設立でした。この時起こったのは、地域住民による新設校設置反対運動でした。障害者が大挙して地域にやってくる、子どもたちの安全は守られるのか、犯罪は起こらないのか、そして何よりもこの地域の地価は下がらないのか、という様々な不安と危機意識を持った地域の人たちへの対応を迫られました。新設校の記念すべき開校の日、地域住民によって校門の前に大きな車が止められ、通行止めの状態にされました。
それを見た保護者は皆泣きました。これほどの差別や排除がここにはあることを知って。新設校のある政令指定都市の町づくりの標語は、「共生の町」「人権の町」でした。その標語を横目で睨めながら、「嘘だ!嘘だ!」と私は叫んでいました。障害者を差別し排除する町が、どうして共生の町、人権の町なのでしょうか。
私は新設校を立ち上げる際に起こった差別に対して、どう戦うかを考えました。持てる武器は「インクルージョン」の理念です。西洋の福祉哲学から生まれたインクルージョンの理念の展開を、この地ではじめようと思いました。「差別や排除しない地域に」。これが学校教育目標の最初に掲げられました。子どもたちをどう教育するかより、地域の人たちをどう変えるかを優先する学校にすると決めたのです。その具体的な展開が本書の中に記されています。
また私は川崎市南部にある小さなキリスト教会の伝道師・牧師を務めてきました。桜本教会と言いますが、今日では「ホームレスの教会」として知られるようになりました。三〇年間、木曜日と日曜日の週二回の食事や衣類の提供、相談の受理等に関わってきました。その中でも地域住民による差別や排除が起こりました。「ホームレスがくると町が汚れる」「犯罪が起こる」「子どもたちや女性が安心できない地域になる」と。町内会から教会の支援活動を中止する依頼が届いたこともあります。教会の玄関先に鳥の死骸やごみがばらまかれるなどの露骨な嫌がらせがありました。革新系の市会議員が町内会の意志をくみ取り、ホームレス支援を続けるなら、教会が移転して欲しいとの要望を伝えに来たこともあります。私は思わず、あなたはどちらの味方なのかと叫びました。裕福な町内会員か、飢えて貧しいホームレスか。結局選挙の票にならない人々には政治家の関心が向かないのです。
その後、教会は地域を変える取組に着手します。
そして教会の置かれた地域は、在日朝鮮人の多住地区でした。ヘイトスピーチを目の当たりにすることも多く、地域の小学校の校長から、ヘイトスピーチが子どもたちにどんな悪影響を与えるかを懸念する声を聞いてきました。
このように私自身が差別事象に直接・間接に関わってきた者として、本書では差別・排除問題を語ります。中心は障害者への差別・排除ですが、様々な問題にも触れています。
最後に私はここで二人の高齢女性について語っておきたいことがあります。ある意味で二人は日本社会の分断の中心にいる人たちです。
一人は特別支援学校の新設についての説明会に出席した高齢女性です。私は新設校の校長として、障害者を受け入れない地域の人々に対して、何十回も新設校の説明をして、受け入れをお願いしてきました。もちろん、中心にあるのはインクルーシブな地域社会をつくることです。私はインクルージョンの哲学に出会い、「すべての人は障害者」という考えに至り、それを分かりやすく話してきました。人間は健常者と障害者に二分することはできない。障害と言おうが、ある種の欠けと呼ぼうが、人はみな障害を持っている。「常に健やかなる人」などどこにもいない、人は年齢を重ねていけば高齢者ではなく障害者になる、それは持っていたものが明らかになることだと話してきました。説明会後、その女性は、「この地域に障害児が多く集まることに不安を抱いていたが、今日の説明を聞いてよく分かった。「人はすべて障害者」の言葉を理解した。もうあの人たちを特別な人とは思わない。自分たちの仲間だと思って仲良くしていきたい」と感想をくれました。
もう一人の高齢女性は、その後私が勤めた大学院の「インクルージョン」の授業を取った人の友人です。彼女は「津久井やまゆり園事件」の一報聞いたとき、飛び上がって喜んだといいます。障害者不要論を唱え、「障害者は社会に役立たないどころか、税金を無駄にしている、こういう人が出てきて欲しかった」と喜んだそうです。
同じ地域に住んで、なぜこんなにも違いが出てくるのでしょうか。それは地域の問題ではなく、同じ人間でありながら、この極端な考え方の相違は一体どこから生じてくるのでしょうか。分断と排除の社会の姿を示していると思わずにはいられません。
本書は、そのような差別や排除についての様々な事例や私論を述べますが、是非一緒に考えて頂ければ幸いと思います。