目次
序論 「ジェンダード・イノベーション(GI)」とは[小川眞里子]
はじめに
1.GIという用語のわかりにくさ
2.GI誕生の背景、さらに世界へ
3.具体的なGIの事例
4.世界的な広がりの中で
おわりに
特別寄稿 ジェンダード・イノベーションの新展開[ロンダ・シービンガー]
はじめに
1.ロボット工学――家庭用ロボット
2.環境科学――交差性ライフサイクルアセスメント
3.コンピュータ科学のカリキュラム――「埋め込まれた倫理」
おわりに
第Ⅰ部 ジェンダード・イノベーションへ向けて
第1章 「責任」としてのジェンダード・イノベーション――無知学からヤングの責任論へ[鶴田想人]
はじめに
1.無知学――バイアスが生み出す無知
2.「責任」としてのGI――知識の壁を壊す
3.日本のジェンダー問題――制度と数の壁
おわりに――変化への「責任」
第2章 イノベーション論としてのGIとその多様性[隠岐さや香]
はじめに
1.「科学技術・イノベーション」の一般像に抗う
2.GIはネオリベラル・フェミニズムなのか
3.GIの中にある多様性
おわりに――フェミニズムの葛藤そのものの場としてのGI
第3章 RRIとジェンダード・イノベーション[標葉隆馬]
はじめに
1.責任ある研究・イノベーション(RRI)
2.RRI論の中の「ジェンダー」
3.「ジェンダー」の視点から考えるCOVID-19対応
4.RRIとジェンダード・イノベーション(GI)
おわりに
第4章 生命科学分野におけるジェンダード・イノベーション[佐々木成江]
はじめに
1.歴史的背景
2.疾患に関する性差研究
3.薬の効能や副作用に関する性差研究
4.動物を用いた性差研究の重要性
5.細胞を用いた性差研究の重要性
6.各国の取り組み
おわりに
第5章 EUにおけるジェンダード・イノベーションの展開――性差分析の制度化を目指して[村瀬泰菜]
はじめに
1.EUの科学政策におけるジェンダー平等推進の流れ
2.『ジェンダード・イノベーション』
3.『ジェンダード・イノベーション2』
おわりに
第Ⅱ部 ジェンダード・イノベーションをひらく
第6章 アレクサと音姫[弓削尚子]
はじめに
1.誰の声がいいのか――女性化された(男性化されない)科学技術製品
2.誰のエチケットマナーなのか――「女性に必要(男性に不要)」とされた科学技術製品
おわりに
第7章 近代(男性主導)社会の転換点を前に――ジェンダード・イノベーションの可能性[伊藤公雄]
はじめに
1.男性主導社会としての近代社会
2.民主主義とナショナリズム
3.「ひとつ」にする社会としての近代
4.科学的思考における男性主導の仕組み
5.一九七〇年代以後の社会変容
6.サイボーグ・フェミニズム
7.DE&IとGI
8.ケアの力の欠如した近代社会の男性たち
おわりに――ケアの視点とGIへ
第8章 当事者研究と共同創造[熊谷晋一郎]
はじめに
1.当事者研究とは
2.共同創造とその条件
おわりに
第9章 自閉症とジェンダーの交差性[綾屋紗月]
はじめに
1.経験を表す言葉がない世界
2.自閉症概念の問題点
3.当事者研究で等身大の自己を生きる
4.アカデミアにおける共同創造とその困難
5.ジェンダー化において生じるズレ
6.「超男性脳理論」の問題点
7.女性自閉症者の表現型
おわりに
第10章 ジェンダード・イノベーションを駆動するデザインの力[池田美奈子]
はじめに
1.中心と周縁の転回
2.デザインにおける当事者の役割
3.作り手としての女性
4.ソーシャル・イノベーションを駆動する女性の視点
おわりに――ジェンダーバイアスをイノベーションに
第11章 フェムテックの倫理的課題とジェンダード・ソーシャル・イノベーションの提案[渡部麻衣子]
はじめに
1.「フェムテック」とは何か
2.フェムテックの倫理的課題
3.ポストフェミニズム的課題
4.ジェンダード・ソーシャル・イノベーションへ
第Ⅲ部 ロンダ・シービンガー講演録
1 科学と技術における女性とジェンダー
女性数の確保/組織と制度の整備/知識の再検討/科学のインフラ
2 自然科学、医学、工学におけるジェンダード・イノベーション
研究の背景/性差分析による発見とイノベーション/政策/結論
3 医学、機械学習、ロボット工学におけるジェンダード・イノベーション
性差分析がいかに研究の卓越性と革新性を高めるか/日本にとっての次なる段階
4 ジェンダード・イノベーション――科学技術のさらなる卓越性を求めて
5 ジェンダード・イノベーションの由来と世界的動向
あとがき 科学技術をより開かれたものにするために[鶴田想人・弓削尚子]
索引
前書きなど
序論
(…前略…)
初めてこの用語に出会ったとき、筆者はやや戸惑いを感じました。読者の中にも同じような気持ちを抱く方がおられるかもしれません。戸惑いというのは以下のようなものです。これまでフェミニストたちは、男女の同等、とりわけ女性が劣るとされてきた理工系の能力について、素質に本質的な差があるわけではないと主張してきました。ところが、なぜここに来て両性の違いが強調されるのだろうかという思いが頭をよぎるのです。後にそれが浅薄な理解であったことを悟ることになるのですが。
名詞のジェンダーでもわかりにくいのに、ジェンダード・イノベーションではこれが動詞の過去分詞形となってイノベーションを形容しています。スタンフォード大学のGIのウェブサイトには、最初にWhat is Gendered Innovations? とあり、「GIは、発見とイノベーションのために、性差分析・交差性分析の創造的な力を活用します。セックスやジェンダー、交差性を考慮することで、研究に価値ある視点を加えて新たな方向に導くことができるかもしれません」と説明されています。しかし、これは効用であって定義ではありませんから、いまいちGIが何を指しているのかはわかりづらいかもしれません。伊藤公雄は、ジェンダーという言葉の概念変遷を丁寧に跡付けた後、GIを「生物学的・生理学的性差への配慮と共に、社会的に構築された性別の双方にきちんと目配りすることで新たな技術を生み出すこと」とし、加えて「性差による差別や排除、不利益や不平等が生じない社会をどう作り出すかもまた課題として設定」と述べておられます(伊藤 二〇一八:四七)。わずか二単語のこの用語に深い意味合いを付与し、とくに課題として付け加えられた部分は、GIが最終的に科学・技術の倫理性向上を目指していることから考えて、きわめて適切な読み込みです。
わかりにくさのさらなる原因は、その抽象性にあります。科学とジェンダーを問題にするとき、シービンガーは改善策として、①女性数の増加、②組織や制度の整備、③知識の再検討の三点を挙げます。①は人材の問題であり、②は女性が研究を継続できる環境整備です(先に述べた二〇一六年頃の関心はまさしく①と②)。この二点は具体的ですが、③は知識の問題で抽象的なため想像しにくいのです。シービンガーは科学と技術に埋め込まれたジェンダーバイアスの克服を目指しており、その中心をなすのがGIだというのです。
(…中略…)
最後に本書の構成を簡単に説明して、本稿を閉じたいと思います。
本書を企画するにあたり実に多彩な執筆者からのご協力を得ることができました。その専門領域をあげると、科学史・ジェンダー史をはじめ、科学技術社会論、生物学、社会学、障がい学、デザイン学などで、執筆者の年齢の幅も広く、GIと出会った経緯もさまざまです。
まずはシービンガーの特別寄稿として「GIの新展開」を掲載します。シービンガーは本書の出版企画を知って、日本でも大いにGIの議論が活発になることを期待し、日本の読者に向けて論考を寄せてくれました。
続く第Ⅰ部では、「GIへ向けて」として、GIを支える理論やGIへつながる諸研究が論じられます。正義論やフェミニズム、多様性の概念や「責任ある研究・イノベーション(RRI)」に踏み込み、生物・医学分野における性差研究や性差分析を要件とする研究推進政策も取り上げます。
第Ⅱ部では、「GIをひらく」と題して、GIの具体的な科学技術を考察するとともに、女性だけではなく、男性や障がい者にも視線を投じることで拓かれる、GIの発展可能性を提示します。多様な当事者像を前提とすることはイノベーションの鍵であり、インターセクショナリティ(交差性)を重んじる視点が不可欠です。身近なテクノロジーへの眼差しから男性学や当事者研究の知見を経て、さまざまな立場にある人びとがデザインや社会全体を変えてゆくイノベーションの提案に関わるなど、GIは今後、新たな領域と結びつくことが期待されるのです。
第Ⅲ部では、これまでシービンガーが日本で行ったGIの講演記録を再録しました。
本書の執筆者は、わかりやすい表現に努め、読者に語りかけるような口調で書いています。科学者や技術開発者といった専門家だけではなく、ふだんの生活で科学技術製品を利用する一般の人びとや一〇代の若い人びとにもGIに関心をもってもらいたいという思いからです。また、これまで理工系研究者から注目されることの多かったGIに対して、歴史的、哲学的、倫理的な側面から考察を加えたことも本書の特徴です。
多様なバックグラウンドをもつ日本の研究者が集まり、GIの可能性について論考を寄せた試みは、本邦初のことだと思います。本書によって、日本のユニークなGI推進が進むことを願っています。