目次
はじめに
表記について
コンゴ民主共和国と周辺諸国
コンゴ民主共和国 基礎情報
Ⅰ 自然・地理
第1章 コンゴ国家の領域――コンゴ川水系とコロニアルな思惑
第2章 コンゴ盆地の地形・地質、コンゴ川の形成――コンゴ盆地独特の地史とその生態系への影響
第3章 コンゴ盆地熱帯林の生態――マメ科が優占する種多様性の低い森林
第4章 ボノボが暮らすワンバの森の植生――熱帯林がもたらす豊かな食物資源
第5章 コンゴ盆地の固有種ボノボ――メスの進化が意味するもの
第6章 バリ(Mbali)のボノボ研究――ゴリラと同じ草原生態系に暮らすボノボの不思議
第7章 ゴリラの研究と保護の狭間で――チンパンジーと共存していたゴリラたち
第8章 タンガニーカ湖の魚――生態と進化の謎を探る
第9章 ボノボの住む熱帯雨林の空洞化――コンゴ戦争と世代交代がもたらしたもの
第10章 コンゴ民主共和国のREDD+――森林のモニタリングとREDD+活動
第11章 コンゴ民主共和国における自然保護活動――グローバリゼーションで先鋭化する開発と複雑化する自然保護
第12章 コンゴ民主共和国におけるエボラ出血熱――その現状と対策
第13章 コンゴ民主共和国のエイズ――HIV-1の起源に関する未解決の謎
Ⅱ 歴史
第14章 コンゴ自由国からベルギー領コンゴへ――ヨーロッパ人中心の国づくり
第15章 『闇の奥』の現代性――グローバル化された世界の光と闇
第16章 コンゴ動乱の歴史過程――独立、混乱から内戦へ
第17章 コンゴ動乱に対する国際的対応――大国と国連の干渉
【コラム1】ルムンバ
第18章 モブツ政権期(1965~1997年)――国家統一から内戦へ
第19章 カビラ父子政権期(1997~2018年)――紛争終結と東部での継続
第20章 ジョゼフ・カビラ政権末期以降の混迷する政治動向――チセケディとカビラの「結婚」と「離婚」劇
【コラム2】チセケディ父子とUDPS
Ⅲ 文化・社会
第21章 コンゴ民主共和国の言語――多様な民族語と地域共通語、フランス語の多言語使用
第22章 言葉の森――現地語語彙集を編む
【コラム3】ボンガンドの景観語彙
第23章 コンゴ河の旅――カオスの船に揺られ、苦行のさなかにゆるしを学ぶ
【コラム4】喧騒と人混みの街、キンシャサ
第24章 キンシャサ・ロック――苦しければ、踊れ!!
【コラム5】リンガラ・ミュージックで何が歌われているか
【コラム6】コンゴと音楽
第25章 ボノボに対する摂食タブーの変遷――保護区内外での住民の〝ボノボ観〟に着目して
第26章 森の英雄神話――ソンゴーラ人の口頭伝承
第27章 ピグミーと農耕民――しなやかな共生
第28章 ペサ・ンガイ――コンゴ社会における要求と対等性
Ⅳ 生業・経済
第29章 ムブティ・ピグミー――森の民の狩猟と採集
第30章 コンゴ中部熱帯林の生業複合――幅広く、何でもやる
第31章 熱帯林の食文化――緑のサハラからの1万年史
【コラム7】コンゴ盆地の森の地酒を訪ねて
第32章 コンゴ東部の経済――多様な生業と観光
第33章 コンゴ東部の農業――プランテーション農業と焼畑農業
第34章 キンシャサでブタを飼う――メガシティでの新たな生き方
第35章 河の民ロケレ――キサンガニ西方の交易活動
第36章 森林地域と都市の市場のつながり――人の移動と商品の流通
第37章 鉱物資源を売って魚を買う――鉱山都市住民の経済活動
第38章 統計で見るマクロ経済の変遷と実体経済――フォーマルとインフォーマル
Ⅴ 政治・国際関係
第39章 コンゴ紛争総説――国際関係の視点から
【コラム8】1998年コンゴ紛争勃発時の脱出記
第40章 武装勢力――紛争主体たちの系譜
第41章 コンゴ紛争と難民――国境を越えて連鎖する悲劇
第42章 コンゴ東部に対する紛争予防・平和構築の試み――北キヴ州の紛争地域を中心とする日本と国際社会の平和構築支援
【コラム9】バニャムレンゲはコンゴ東部紛争をどう見ているか
第43章 紛争鉱物問題――規制の取り組みとロンダリングの課題
第44章 紛争と性暴力――婦人科医ムクウェゲ医師の救済活動
第45章 南アフリカに新天地を求めるコンゴ人――30年にわたる軌跡と現在
第46章 ルワンダとの関係――バニャルワンダとバニャムレンゲ
第47章 コンゴ北東部におけるウガンダとの関係――対立から協力へ?
Ⅵ 日本との関わり
第48章 1930年代のコンゴ盆地と日本――ベルギー領コンゴへの日本品輸出
第49章 コンゴと日本の開発協力――開発課題は膨大。しかし人的資源に希望の光が
第50章 小学校建設・学校運営を通じての持続的な関係性構築――コンゴでの暮らしから生まれる共感と協働
【コラム10】カオス発のデジタルヘルス革命
コンゴ民主共和国をもっと知るための参考文献
おわりに
前書きなど
はじめに
「アフリカの毒」という言葉がある。毒とは本来体に悪いものだが、ここで言う毒は、摂り続けているとそれなしではいられなくなる、すなわち「中毒」というニュアンスを帯びている。私がその毒にあたったのは、1986年、人類学の調査のために、はじめてコンゴ民主共和国(以下「コンゴ」)の地を踏んだときだった。
琉球大学の安里龍さんと、飛行機で調査地ワンバから400キロの位置にある地方都市ボエンデに到着した。しかし、カトリック・ミッションに預けてあった日本隊のランドクルーザーは、バッテリーが上がってしまってエンジンが掛からない。1週間待ったが結局修理はできず、私たちは押し掛けでエンジンを掛けて出発した。熱帯林の中の悪路を進むが、泥道でスタックしたら、また押し掛けをするしかない。そのあたりは、村の道をわざと悪くしておいて、スタックした車を押して金をせびる人たちがいるという噂であった。私たちは夕方まで何とかエンジンを止めずに走り続けた。17時半頃、坂道で滑って左の溝にタイヤが落ち、エンジンが止まった。荷物を積んだ状態ではジャッキアップも不可能で、車の運転席で眠ることになった。月が出て、蛍が飛んでいた。次の朝5時頃、近くの村から男たちが集まりはじめた。荷物を下ろしタイヤを脱出させたあと、押したり引いたりするがエンジンは掛からない。あと250キロのワンバが、とてもたどり着けない場所に思えてきた。2時間ほど泥だらけになって押したり引いたりを繰り返した後、突然音を立ててエンジンが掛かった。車に手を合わせたくなるが、周りの男たちはすでに服を洗う石鹸代を要求し始めていた。
この旅は忘れようもない。このとき私は確実に、アフリカの、そしてその中でも一番きつい部類に入るコンゴの毒にあたったのだと思う。ひどい目にあって、もう来たくないと思いながら帰国しても、また行きたくなってしまう。行ったらしばらくは幸せだが、またしんどくなる。その繰り返しである。その後カメルーンでも長期の調査をして面白い発見をすることができたが、「毒」という点では若干物足りないのである。都留泰作君がはじめてカメルーンの調査に来たとき、森の道で四駆をスタックから脱出させる練習をしようとすると、一緒にいた小松かおりさんから「木村さんはスタックが好きなんですか?」と聞かれてしまった。それを否定できないのが、毒にあたった身の悲しさである。
前置きが長くなってしまったが、本書にはさまざまな形でコンゴに関わり、その魅力に触れた執筆者諸氏の文章が収められている。第Ⅰ部では、広大な国土の地形・植生、類人猿ボノボ、ゴリラ、タンガニーカ湖の魚類、自然保護、伝染病などについての記載がなされている。一方この国が、宗主国に搾取された植民地時代、独立直後のコンゴ動乱、その後の独裁と、苦難に満ちた歴史をたどってきたこともよく知られている。そのありさまは、第Ⅱ部に詳しく記述されている。第Ⅲ部では、ある種底の抜けた明るさを持つコンゴの文化が多様な側面から語られている。第Ⅳ部では、一方では自然と密着しているが、他方では世界経済につながっている人びとの生きざまが描かれている。第Ⅴ部ではさらに、国際関係の中のコンゴの位置づけが詳説され、最後の第Ⅵ部では、とくに日本との関わりについての記述がなされている。
(…中略…)
いまだ終息の兆しのない東部の紛争、鉱物資源を巡る問題、安定しない政治体制など、コンゴのかかえる課題は多い。そういった事柄に関する報道が、この国のイメージを形作っているのも事実である。しかし一方で、本書で描かれたさまざまな自然や人びとの姿は、私たちを驚かせ、興奮させてくれる。そしてそれ以上に、閉塞感の漂う私たちの社会の未来を考える手がかりを与えてくれると思う。無茶苦茶なところはあるけれど、そこがなにか楽しく、ほっとさせられる。強い「毒」はまた強い「薬」でもあるのだ。