目次
まえがき
ASEAN加盟諸国の概要
東アジア地図
Ⅰ ASEAN生成発展の歴史
第1章 ASEANの誕生――拙速ぎみの機構立ち上げ
第2章 ASEAN拡大の歴史――ASEAN-5からASEAN-10へ
第3章 ASEANの軌跡――奇跡から危機まで
第4章 ASEAN共同体論――地域対話から共同体への里程標
【コラム1】ASEANのシンボル
Ⅱ ASEANの制度と機構
第5章 「バンコク宣言」――わずか500語余りの設立文書
第6章 ASEANの事務組織――合意の円滑な実施を目指して
第7章 ASEAN議長国――合意成立のための仕組みと利害反映の手段
第8章 ASEAN首脳会議・外相会議――最高意思決定機関として
第9章 ASEAN加盟手続き――地域協力への通過点
第10章 トラック2――ASEANの国際的地位を押し上げたASEAN-ISISの活躍
【コラム2】ASEAN事務総長
Ⅲ ASEANの理念と規範
第11章 “ASEAN Way”――「政治的ギプス」から「外交的拘束衣」へ
第12章 「内政不干渉」の意義と功罪――ミャンマー軍事政権への対応をめぐって
第13章 コンセンサス方式――拒否権の尊重から相対化へ?
第14章 東南アジア友好協力条約――地域平和のための基本条約
第15章 東南アジア非核兵器地帯(SEANWFZ)――ASEAN型の安全保障のあり方
第16章 ASEAN憲章――問われる存在意義
第17章 ASEAN共同体――平和・経済発展・社会開発の実現を目指して
【コラム3】国連の理念とASEAN
Ⅳ ASEANの安全保障問題
第18章 南シナ海問題――中国の海洋攻勢と行動規範をめぐる交渉
第19章 域内領土紛争――触らぬ神に祟りなし?
第20章 エスニック問題――華人、ムスリム、ロヒンギャ
第21章 非伝統的安全保障――ASEAN型協力の諸課題
第22章 域内分離独立運動――「国家」の中心と境界の複雑な関係
第23章 ASEAN安全保障共同体――インドネシアの構想とASEAN政治・安全保障共同体への発展
【コラム4】海上保安庁(日本)とASEAN諸国
Ⅴ ASEANの経済統合
第24章 ASEAN経済統合の展開――1976年の域内経済協力開始から経済共同体(AEC)へ
第25章 ASEAN経済統合とASEAN自由貿易地域(AFTA)――東アジアで最初の、かつ最も進んだFTA
第26章 連結性強化――ASEANの競争力強化と域内経済格差是正を目指して
第27章 域内経済格差――差異こそ統合のモメンタムだが底上げは必要である
第28章 経済のデジタル化と経済統合への影響――デジタル化は工業化をすっ飛ばした「カエル跳び」を実現するか
第29章 ASEAN経済共同体――経済共同体の深化に向けた取り組み
【コラム5】ヒトの移動、国際観光と国際人流
Ⅵ ASEANの社会文化協力
第30章 国際化の進展と高等教育における協力・交流――域内外と連携するASEAN高等教育空間の創造
第31章 感染症への対応――新しい共通する課題
第32章 ASEAN人道支援・防災調整センター(AHA)――新たな協力分野の模索
第33章 ASEAN政府間人権委員会――人権と内政不干渉の狭間で
第34章 ASEANと市民社会――国境を越えた連帯と協力の展望
第35章 社会文化共同体(ASCC)――思いやりある社会の実現を目指して
【コラム6】東南アジアの国家建設とジェンダー
Ⅶ ASEANと広域地域秩序
第36章 ASEANの中心性――外交的主体性の模索
第37章 メガFTA――RCEP、CPTPP、IPEFとASEAN諸国
第38章 インド太平洋の地政学――米中の覇権争いとASEANの立場
第39章 東アジア共同体――忘れられた21世紀初めの地域的合意?
【コラム7】シャングリラ・ダイアローグ
Ⅷ ASEANの対外関係
第40章 対中経済関係――ASEANの対中依存は高まるが
第41章 対中政治関係――中国の対ASEAN分断、関与、懐柔、脅迫・強制
第42章 対米関係――中国へのカウンターバランス
第43章 ASEANの対日関係――真に「対等」なパートナーへ
第44章 対EU関係――二つの地域主義からなるパートナーシップ形成への道
【コラム8】ASEANに対する国際機関・日本・中国の開発資金供与の動向
Ⅸ ASEANの展望と評価
第45章 ASEANの劣化――内憂外患
第46章 経済統合の虚像と実像――多様性を残しつつ統合の成果をあげられるかが問われている
第47章 政治体制の多様性とASEAN――「民主主義の後退」に至る変化とその影響
第48章 周辺から見たASEAN――緩やか結束の地域機構
第49章 拡大する中国の経済協力とその功罪――「国際援助規範」との関係
第50章 ASEANの評価――評価の二極化
【コラム9】ASEANの論客――B・カウシカンとR・スクマ
ASEANを知るための参考文献
ASEAN主要動向・会議関連年表
あとがき(改訂版のための追記)
略語一覧
前書きなど
まえがき
本書は、2015年に刊行された『ASEANを知るための50章』の改訂版である。周知の如く東南アジア諸国連合(ASEAN)という地域協力機構は、1967年に海洋部東南アジア5ヵ国によって創設され、その後逐次参加国を増大して10ヵ国体制を整え、さらに2023年春、東ティモールを11番目の加盟国とすることを原則了承する「ロードマップ」を採択して今日に至っている。
東南アジア地域における地域機構としては、親米派諸国の反共同盟としての「東南アジア条約機構(SEATO)」、英連邦諸国を束ねた「5ヵ国防衛取決め(FPDA)」などがあったが、これらは域外大国主導の反共軍事機構であった。
これらと対照的にASEANは、一つには、東南アジア諸国独自の発意により、域内諸国のみで構成され、運営されたという自発性、もう一つは、域内諸国の友好協力を目的としたという非軍事性において、戦後初めて登場した地域協力機構であった。
創設から57年を迎えてASEANは、初版刊行から2024年の今日までに、広域アジア太平洋に生じた地域・国際環境の変容や、域内のあれこれの政治情勢の変化に起因する多様な挑戦に直面し、これらに対応してその機能と国際的評価とを維持するか、これを果たせず衰退を迎えるかの岐路に立たされている。
奇しくも2023年末には「日本・ASEAN交流55周年記念」を迎えたことから、本書の執筆者諸兄姉は、岐路にあるASEANの基礎を再確認し、直面する問題を解明し、合わせて今後の展望を検討するという課題を設定して執筆に臨んだ。
その基本的認識には、初刊発行以来、域内・域外に生じた主要な変動、両者の相関をめぐる地政学の新潮流がASEANに与えたインパクトが、ASEANにいかなる展望をもたらすかの問題があった。
21世紀冒頭の現在、ASEANは、いまやほとんど全欧州を包摂するに至った欧州連合(EU)に次いで実効的な地域協力機構であるとの国際的評価を確保するに至った。実際、域内10ヵ国をメンバーとし、東南アジアと等身大になったASEANを理解することなしには東南アジアを理解することは事実上不可能であるといっても過言ではあるまい。
もっとも重要なことは、1967年にインドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイの5ヵ国がASEANを結成したことは、第2次世界大戦後の東南アジア地域にとって、ある種の地殻変動の出発点となったという点である。端的には、混乱と紛争、貧困と後進性によって特徴づけられてきた東南アジア―より正確には海洋部東南アジア―に平和と安定、そして成長と発展をもたらす契機を提供したのがASEANだったのである。
1967年に誕生したASEANは、全文わずか500語余りの「バンコク宣言」をよりどころとして地域協力の歩みを始めた。ASEANは、ほぼ唯一の実効的制度ともいえる「定期閣僚会議」(外相会議)を通じて域内の外交エリート間に徐々に対話の機運と相互理解をもたらし、次第に地域的アイデンティティを醸成するところとなった。海洋部東南アジアの平和と安定は、いわばその延長線上に収穫された果実に他ならなかった。
しかし、これによって「東南アジアのASEAN化」や「一つの東南アジア」が実現したというのは、もちろん、過大評価に過ぎる。というのは、何よりもASEANに加盟したのはもっぱら「海洋部東南アジア」の諸国であり、「大陸部東南アジア」に属するインドシナ3国――ベトナム・ラオス・カンボジア――やビルマ(現ミャンマー)はその埒外にあったからである。いうまでもなく、ASEAN結成当時の地域国際情勢の基調は冷戦であり、その冷戦の力学との関連でいえば、ASEANはまさしく「反共諸国の連合」にほかならなかった。その限りでいえば、ASEANの誕生がもたらしたのは、概念的には「二つの東南アジア」――反共のASEANと社会主義のインドシナ――でしかなかったのである。
域内の歴史的遺産ともいうべき複雑な緊張要因を継承したまま成立したASEANは当初、いわば存続そのものを自己目的とせざるをえないほど脆弱な協議体であったが、やがて、域内諸国の友好と連帯のシンボルとなり、外交政策における共同歩調をとるよう調整する力量を獲得し、対外的にも交渉力・発言力・影響力を着実に蓄積していった。とりわけ、1978年末から91年までの13年間におよぶ「国際内戦」たるカンボジア紛争の平和的解決に際して果たした役割はASEANの国際的評価を顕著に高めることとなった。
1980年代末、冷戦構造が崩壊するにいたって、ASEANとしても新たな地域国際環境の下でその役割や位置を模索する必要に迫られた。そのときASEANは、米中両国が影響力を求めて対峙しつつ相互に牽制する間隙をぬう形で「アジア太平洋における広域対話」という方向性を打ち出し、1993年には「ASEAN地域フォーラム」(ARF)などを通じて、弱体な諸国の連合体にもかかわらず――従来は大国のみが担ってきた――地域秩序の構築に主導的な役割を果たすのに成功した。「ASEANの中心性」という自負が登場したのはこのためである。
本書が、読者にASEANへの関心を導き、アジア太平洋地域の複雑で微妙な文脈の中でASEANを理解する視線を養い、あるいは将来のASEAN研究への契機を提供することができれば、編者として無上の喜びである。