目次
序章 市川岳仁(本書編者)
なぜ本書を企画したのか――自分らしくいるための9つの処方箋
第1部 アディクト(依存者)から「私」へ
第1章 気をつけていないと見失ってしまいそうな小さなそれを守りながら[ヨコヤマジュンイチ]
1 「文章を書くのが上手」で「日常的に大麻を吸っている」わたし
2 「大麻草を自宅で育てている」わたし
3 「薬物をやめていないけど、やめるために努力を始めた」わたし
小休止
4 沖縄で「リハビリをしている」「ヤク中らしいヤク中」のわたし
5 「ダルクで働く」わたし
6 「夫そして父親」としてのわたし
7 「依存問題の相談員」としてのわたし
8 「就労継続支援B型事業所の管理者」としてのわたし
小休止
9 「社会福祉士の国家試験を受け続ける」わたし
10 「まだ得ぬアイデンティティを想像する」わたし
第2章 切りとられない歩き方[山田ざくろ]
はじめに
1 母×地域――モヤモヤのきっかけ
2 アディクト×病院と自助グループ
3 ヘルパー×介護職/支援員×作業所
4 女性×ダルク
5 学生×学ぶ場所
6 退職×新しい始まり
第2部 アディクション当事者とは誰か
第3章 わたしも一緒だよ[かみおかしほ]
はじめに
1 わたしについて
2 当事者主導ではないことの楽さと寂しさ
3 「仲間」になれない私と「学び」への意欲
4 葛藤
5 専門職者へ――施設で働く
6 地域で専門職として働く
7 専門家に感じる違和感
8 当事者が専門機関で働く時に感じる違和感
9 Aちゃんとの関係
おわりに――専門職として仲間と出会う人たちへ
3年後
第4章 世界一受けたい作業療法[ハチヤタカユキ]
はじめに
1 全ての始まり――ダルク入所
2 なぜダルクを離れたか?
3 専門校入試まで
4 専門校時代から卒業まで
5 心療内科就職編
6 医療に携わって
7 ライフスタイル
8 自分のケア
おわりに
第5章 そのアディクション、誰のもの?[山崎ユウジ]
はじめに
1 自助グループ
2 資格への興味
3 回復施設「ダルク」へ
4 仲間たちの中で
5 混乱の中の救世主?
6 希望のメッセージ
7 変質していった語り
8 自分は一体何者か?
9 始まりは一人の仲間の手助けから
10 社会の制度と回復
11 専門家たちが共有するもの
12 専門家との協働
13 いい加減にやめなくちゃ
14 ダルク退職後の自分
15 どうやって役に立つのか
16 ただ一人の人間として
17 無名に生きるということ
第6章 アディクトを超えて[いちかわたけひと]
はじめに
1 「立ち直り」「回復」とは誰の言葉か
2 ダルクとエンパワメント
3 回復者の社会化と当事者らしさ
4 回復を信じられない専門家たちと、当事者としてしか見ない専門家たちの狭間で
5 当事者が立っている場所の変化
6 当事者が「回復」に語り殺されないために必要なことは何か
第3部 学びへの躊躇とチャレンジ
第7章 学びの物語[佐藤和哉]
1 私という人物
2 ダルク
3 病院
4 いざ大学へ
5 ダルクが好き?
6 「法」とダルク
7 暴走とブレーキ
8 メディア
9 専門職としての顔
おわりに
第8章 無限の可能性[鈴木かなよ]
はじめに
1 高校リベンジ
2 ダルクに居続けたい気持ち
3 自立準備ホームの仕事
4 念願のダルクスタッフ
5 20歳の女の子との出会い
6 ダルクスタッフを続ける不安
7 大学に行きたいと思う気持ち
8 大学進学のチャンス
9 辛かった大学生活
10 コロナウイルスの影響
11 仲間の存在
12 長期高度人材育成制度
13 大学での出会い
14 大学卒業
おわりに
第9章 専門職への道のり[みつはしかずあき]
はじめに
1 ダルクでのリハビリ後
2 ダルクスタッフを始める
3 ダルクスタッフの不安
4 資格取得への躊躇
5 専門学校に入学し「学び」を始める
6 辛かった試験勉強
7 資格を取って何を得たのか
8 専門職となって変化した仕事
おわりに
終章 むすびにかえて[市川岳仁(本書編者)]
1 「地域」で一人の人として生きる――回復の第二の物語の存在
2 「当事者」としての役割を期待する力
3 何者になってもいい
4 越境者たち――これからの時代に向けて僕たちが取り組んでいきたいこと
付録――執筆メンバーによるメタローグ
コラム:韓国における依存症専門家養成政策
前書きなど
序章
僕はアディクションの当事者である。20代の半ばにダルクにつながり回復がはじまった。ダルクでは同じような体験を持った仲間たちに支えられ、僕もまた彼らを支えることで互いを尊重しながら生きてきた。ダルクにつながる以前、僕はアディクトである自分自身を受け入れられないでいたが、ダルクに来てからは……正確には、僕に深い影響を与える何人かの仲間との出会いと僕自身が仲間を受け止める経験を経て……自分自身を肯定できるようになった。それは、アディクトでなくなるというよりは、アディクトであることを誇りに思う感覚とでも言おうか。ダルクや自助グループでは、自分の経験してきたことを隠す必要はなく、むしろ、それが誰かを勇気づけたり、希望を与えることができることに気づいて自分を恥じなくなった。自分が生きてきたことの経験とその体験を語ることは、自分と仲間をつなぐ大切な方法となった。
だが、いつ頃からかアディクション当事者として、体験談をもとに自分を表すことに胡散臭さと閉塞感を感じるようになっていた。何かの経験があることをもって「当事者」であるとして、実際のところ、僕たちは、いつまで当事者なのであろうか。こうした疑問は、すでに2007~2008年頃には感じており、それをテーマに大学院で修士論文としてまとめたのは、2010年のことである。
人前で体験を語ることにも少し疲れていた。僕の〈語り〉に価値を与えてくれるのは、つまりは、その特殊性である。それを際立たせるためには、最もひどかった時代を語らなければ物語が成立しない。けれども、実際にはそうした時代からすでに10年以上の年月が経っていた。当時のことを臨場感をもって語ろうとすると、どうしても不自然な感じがつきまとう。でも、聴衆はそれを待ち望んでいる。僕は「当事者」だからこそ必要とされ、さまざまな場所に呼ばれるのだ。時々、終身刑を言い渡されたような気分になった。僕は一生、「アディクト」でしかないのか。
(…中略…)
本書の企画は、有り体に言えば僕たちが生き残っていくための連帯(コミュニティづくり)である。アディクション当事者であることに安心感と役割意識を得た人が、今度は逆にその当事者性によって閉塞感やしんどさに駆られたとき、そこからどう自分をエスケープさせて生き延びていくことができるか。そのプロセスを複数の人の経験から書き残しておくことは、きっと役に立つと考えた。それを紡ぐために、これはと思う仲間たちに声をかけた。
第1回の集まりは、2020年、11月に名古屋で行われた。そこには、回復者であり、さらに「学び」を経験し専門資格を取得した、もしくは取得しようとしているメンバー約10人が集まり、自分たちの存在についてや、いわゆる当事者ではない専門家との違い、それぞれの領域で昨今感じている違和感などについて語り合われた。そして、このメンバーで何か執筆してみるアイデアが生まれたのである。以降、数回のオンラインミーティングと1回の合宿が行われ、そこで多くのことが分かち合われた。
本書は、単に当事者であるだけでもない、単に専門家でもない僕たち(しかし、多くの場合において、「当事者」なのか「専門家」なのかという、立場の分離によって不可視化される)がたしかにそこにいて、その独特のポジションから見えるものの記述である。僕たちはこの集まりの中で、当事者でもあり、当事者としてのみ生きていないことに起因する、日々感じる違和感や視点をたくさん共有してきた。本書は、そこで分かち合われた事柄の削り出しである。
アディクションの「当事者」として、一旦強くアイデンティファイされた人が、それと異なる立ち位置を得るための、もっともシンプルな方法の一つは、資格などを取ることによって、わかりやすい別のアイデンティティを手に入れることだろう。自分の存在と社会的役割が同一化して、さらにそれが固定化されてしまいやすい環境にいる人にとって、資格の取得はとてもわかりやすいそこからの離脱の手段となる。それが本書が有資格の回復者で構成されている理由である。もっとも、本書は資格を取ることを奨める本ではない。この本で表したかったのは、かつて当事者であることに強く依拠していた僕たちが、人生における多様な自分の側面(多面性)に気づいたり、自由を手に入れていったその過程のほうだ。
本書の企画をするにあたり、僕からのインタビューではなく共同執筆という形式を採ったのは、インタビューという〈聞き手〉〈語り手〉という関係を避けたかったからだ。語りを求められた人は、それが無意識であれ聞き手の意図を感じ取り、その期待に応えるべく語りを開くことになるだろう。もっとも、執筆という形を採ったとはいえ、そういった影響が皆無にはならないかもしれないが、それでもインタビューという形を採るよりは、各々に自由に書いてもらったほうが、より自然なのではないかと考えたからである。
(…後略…)