目次
「イスラーム・ジェンダー・スタディーズ」シリーズ刊行にあたって――8『労働の理念と現実』
はじめに[岩﨑えり奈]
統計にみるムスリム諸国の女性の労働
第Ⅰ部 歴史と思想のなかの労働とイスラーム・ジェンダー
第1章 イスラームの聖典に読む「労働」とジェンダー――クルアーンとその解釈の可能性[大川玲子]
第2章 前近代イスラーム社会における奴隷と労働[清水和裕]
第3章 イスラーム法と前近代ムスリム社会の「性別役割分業」[小野仁美]
コラム1 カースィム・アミーンにおける女性の労働観[岡崎弘樹]
第4章 「真の労働者」とその母――近代エジプト労働の社会史の一断面[長沢栄治]
コラム2 初期のムスリム同胞団における労働――エジプトの労働問題への取り組み[福永浩一]
第5章 イスラーム銀行の実践からみた労働理念と女性[長岡慎介]
第6章 イランの保健医療・福祉分野におけるボランティア活動と労働[細谷幸子]
コラム3 循環する利他と利己――ギュレン運動における信仰と奉仕[幸加木文]
第Ⅱ部 ムスリム社会の労働の現実とジェンダー
第7章 イランの開発計画と女性の経済的エンパワーメント――女性起業家支援策の意義[村上明子]
第8章 ヨルダンにおける失業問題とジェンダー[臼杵悠]
コラム4 STEM専攻ムスリム大卒女子の高い割合と就労の現状[鷹木恵子]
第9章 「トルコの工場女性労働とジェンダー規範」再訪[村上薫]
第10章 家内と戸外をつなぐ手仕事――アルジェリア女性の家内労働という働き方[山本沙希]
第11章 ケア労働と性別役割分業――エジプトとパキスタンの家族を事例に[嶺崎寛子]
コラム5 時間利用調査によるエジプトの無償労働の評価[松尾和彦]
第12章 インドネシアの「母系社会」における男の働き方・女の働き方[西川慧]
第13章 エジプト人出稼ぎ労働者の働き方から考えるジェンダー役割――湾岸諸国の事例から[岡戸真幸]
第14章 湾岸諸国のフィリピン人家事労働者――なぜ見知らぬ他人の助けに頼るのか[石井正子]
第15章 モロッコの地方村落に生きる女性にとっての労働、移動、都市――「セーフティーネット」としての家族・親族ネットワーク[齋藤剛]
コラム6 映画『ハウス・イン・ザ・フィールズ』にみるモロッコ山村の性別分業[鷹木恵子]
第16章 ジェンダー政策を再考する――ガーナ農村部の女性の地位向上と労働・家計負担の増加[友松夕香]
編者あとがき[岡戸真幸]
参考文献
前書きなど
はじめに
(…前略…)
本書が対象にするのは、ムスリム(イスラーム教徒)社会の国・地域である。イスラームは男女の混在を良しとせず、女性を隔離する傾向が強い宗教とされる。またイスラーム圏の国・地域によっては、女性が働くべきでないとする規範が根強く、実際に女性の労働参加率が低い国があるのは事実だ。しかし、女性労働者が少ないようにみえたとしても、それは性別役割分業に関する近代イスラームの言説と、近代の男性の産業労働こそが「労働」だとする観念のせいで、女性の多様な働き方が軽視されていたためである。「労働」を広くとらえるならば、ムスリム社会において、女性も男性も多様な働き方をしていることが理解されるであろう。
本書は2部で構成され、ムスリム社会における多様な「労働」のあり方を理念と現実の両面から明らかにすることを目的にしている。第Ⅰ部「歴史と思想のなかの労働とイスラーム・ジェンダー」は理念と歴史上の「労働」を扱う。イスラームの歴史において「労働」がどのようにとらえられ、どのような意味をもったのか、近代化のなかで「労働」概念がどのように形成されたのか、現代のムスリム社会において、「労働」が信仰とどのように結びついているのかを明らかにする。第Ⅱ部「ムスリム社会の労働の現実とジェンダー」では、ムスリム社会を対象にする研究者がそれぞれのフィールドワークをもとに、生活のなかで営まれるさまざまな「労働」に目を向け、「労働」の意味を考察する。
ムスリム社会における多様な「労働」を考察することには、次のような意義がある。
①ムスリム社会では、「労働」は経済的な報酬をともなう活動であると同時に、神への奉仕でもある。利益追求と神への奉仕が結びついていることにイスラームの特徴があるが、その結びつき方は時代や地域によって異なる。ムスリム社会の過去と現在における「労働」観を考察することで、私たちが自明のものとしてきた「労働」観を見直すことができるだろう。
②女性が外出時に着用するヒジャーブにみられるように、イスラームは男女隔離、性別役割分業の規範が強い宗教という見方が一般的にある。確かにムスリム社会においては、家庭外の労働が、女性は家にいるべきかどうかといったクルアーンの解釈の問題と結びつけられやすい傾向がある。しかし、現実には、ジェンダーや家族、国家と宗教などさまざまな要素が絡んだ交渉により、家庭内労働と家庭外労働の境界は動き、変容し、場合によっては問い直されてきた。すなわち、多様な「労働」の現実を明らかにすることは、イスラームと一口に言ってもその解釈は時代や社会によって異なり、ムスリム女性だけではなく、男性の働き方も同じく多様であり、境界をめぐる交渉を通じて絶えず変化している社会であることを示すことになるだろう。
③先に述べたように、「労働」の見直しは日本社会のみならず世界共通の課題である。ムスリム社会における男女の多様な働き方を知り、彼らが生活のなかで「労働」をどのように実践しているのかを理解することは、日本の「労働」のあり方を見直すことにもつながるだろう。コロナ禍を機に新しい働き方が問われているなか、本書が私たち自身の働き方を見直す一助となれば幸いである。
(…後略…)