目次
序章
序-1 はじめに
序-2 トン族概説
序-3 問題意識と分析の視点
序-3-1 歌のかけあい
序-3-2 饗宴
序-3-3 多声部合唱(ポリフォニー)
序-4 集まって歌声を合わせること
序-5 研究の方法と調査地の選定
序-6 本書の構成と概要
序-7 用語の説明
序-7-1 村と寨
序-7-2 ワヒェ
第1章 トン族社会の組織と構造
1-1 親族組織
1-1-1 ヤン(然)→オン(公)→チ(基)→トウ(兜)
1-1-2 トウの特徴と機能
1-2 村寨構造
1-2-1 トウと寨
1-2-2 外姓と内姓
1-2-3 義兄弟となること
1-3 婚姻制度
1-3-1 同姓婚と同姓不婚
1-3-2 村内婚
1-3-3 交叉イトコ婚
1-3-4 破姓開親
1-3-5 行歌坐夜
第2章 岩洞村の概況
2-1 基本情況
2-2 地理環境
2-3 村の歴史
2-3-1 祖籍、移動、定住の歴史
2-3-2 伝説の分析
2-3-3 巨人伝説
2-3-4 ミャオ族追放の後難
2-4 村の構造
2-4-1 自然寨
2-4-2 村民小組
2-4-3 鼓楼
2-4-4 薩壇
第3章 トン族歌謡とその生態
3-1 研究意義と方法
3-2 トン族歌謡の概説
3-2-1 南部方言地域の場合
3-2-2 北部方言地域の場合
3-2-3 トン族歌謡関係の文献記録
3-2-3-1 漢・劉向『説苑』
3-2-3-2 宋・陸游『老学庵筆記』
3-2-3-3 明・沈庠『貴州図経新志』
3-2-3-4 明・鄺露『赤雅』
3-2-3-5 清・陳浩『八十二種苗図併説』
3-2-3-6 民国『三江縣志』
3-3 南部方言地域における歌謡の生態
3-3-1 攔路歌
3-3-1-1 攔路歌の構成要素
3-3-1-2 攔路儀式の障害物
3-3-1-3 攔路歌の歌詞表現
3-3-1-4 攔路儀式の構造
3-3-1-5 攔路歌の関連要素
3-3-1-6 攔路歌の変遷
3-3-2 踩堂歌
3-3-2-1 踩堂歌の構成要素
3-3-2-2 踩歌堂の構造
3-3-2-3 踩歌堂の内容構成と歌詞表現
3-3-2-4 踩歌堂の関連要素
3-3-3 大歌
3-3-3-1 大歌の構成要素
3-3-3-2 大歌の歌がけの構造
3-3-3-3 大歌の歌詞表現
3-3-3-4 大歌の関連要素
3-3-4 坐夜歌
3-3-4-1 坐夜歌の構成要素
3-3-4-2 坐夜歌の歌がけの構造
3-3-4-3 坐夜歌の歌詞表現
3-3-4-4 坐夜歌の関連要素
3-3-5 南トン地区トン族歌謡総論
3-3-6 トン族歌謡の発生と変遷
第4章 歌謡の伝承体系
4-1 はじめに
4-2 歌班
4-2-1 歌班の特徴
4-2-2 歌班の分類
4-2-3 歌班の構成
4-2-4 歌班の人数
4-3 歌師
4-3-1 歌師の特徴
4-3-2 歌師の資質
4-3-3 歌の練習
4-4 岩洞の歌師
4-4-1 呉承吉と呉良明
4-4-2 呉培信と呉応清
4-4-3 5人姉妹
4-5 歌班と歌師の現状とゆくえ
4-5-1 学校教育
4-5-2 文芸隊
4-5-3 今後の課題
第5章 ワヒェ
5-1 はじめに
5-2 ワヒェの事例・分類・行程
5-2-1 事例
5-2-1-1 事例1 岩洞村四洲寨
5-2-1-2 事例2 岩洞村公登寨
5-2-1-3 事例3 竹坪村徳大寨
5-2-2 ワヒェの種類(1)
5-2-3 ワヒェの行程
5-2-3-1 主寨と客寨の交渉
5-2-3-2 客寨が自村を出発
5-2-3-3 客寨が主寨に到着
5-2-3-4 滞在期間中
5-2-3-5 客寨が帰村する最終日
5-2-3-6 客寨が自村に戻る
5-2-4 ワヒェが成立する条件
5-2-5 ワヒェの種類(2)
5-2-5-1 月也戯
5-2-5-2 月地瓦
5-3 シントゥ(興度)
5-3-1 村外寨間のワヒェ
5-3-2 村内寨間のシントゥ
5-3-2-1 シントゥの組み合わせ
5-3-2-2 シントゥの行程と特徴
5-4 打同年
5-4-1 広西融水の事例
5-4-2 柱・殺牛祭祀・草荘神
5-4-2-1 柱
5-4-2-2 殺牛祭祀
5-4-2-3 草荘神
5-5 ワヒェの考察
5-5-1 契機
5-5-1-1 婚姻によって親戚ができる
5-5-1-2 鼓楼や風雨橋の新築祝い
5-5-1-3 闘牛
5-5-1-4 ウシの購入
5-5-1-5 バスケットボール大会
5-5-2 時期
5-5-3 期間
5-5-4 返礼までの間隔期間
5-5-5 規模
5-5-6 接待費用
5-5-7 感謝信
5-5-8 ワヒェの特徴
5-5-9 贈与交換論でみるワヒェ
5-5-9-1 贈与交換システムとの相同性
5-5-9-2 贈答品「尾巴」の家畜をめぐって
5-5-9-3 饗宴をめぐって
5-5-9-4 互酬性をめぐって
5-5-9-5 歌のかけあいをめぐって
5-6 ワヒェの現状とゆくえ
5-6-1 文化大革命まで
5-6-2 改革開放政策以降
5-6-3 文化遺産と観光化
5-7 おわりに
資料
資料1 黎平県岩洞鎮岩洞村の攔路歌
資料2 岩洞鎮岩洞村の「小白口」儀式における呪詞
資料3 黎平県肇興鎮堂安村の踩堂歌
資料4 黎平県口江郷銀朝村の踩堂歌
資料5 黎平県岩洞鎮岩洞村四洲寨上爪の大歌の生態
5-1 初日
5-2 2日目
資料6 黎平県岩洞鎮岩洞村「行歌坐月」習俗の再現記録:琵琶歌と牛腿琴歌
あとがき
引用・参考文献
索引
著者紹介
前書きなど
序章
トン族は天籟の響きを奏でる美しいハーモニーで知られる。「歌の海」といわれるほど歌声が生活のなかに溢れている。
歌好きの民族はどこにでもいるが、トン族は高音部と低音部が積み重なるように立体的にうたわれるポリフォニーに優れている。この多声部合唱が聞こえるのは、男女が集団となって歌をかけあうさまざまな行事のなかである。
たくさんある行事のなかでも、歌声は春節のときおこなわれるワヒェという社交の場において、もっともにぎやかに交わされる。ワヒェはある村が別の村の住民をみんな招待してもてなす大饗宴である。いくら友好的とはいえ、数百人もの人を数日間、寝食ともに接待し、歌舞を楽しむというのは、尋常ではない。
多声性と歌のかけあいをたんなる音楽的特徴として評価するのではなく、トン族の人びとの生活意識や社会の基盤となる機構との相関にまで思考を拡げられないだろうか。饗宴もたんなる娯楽ではなく、人と人を結いあげる「もやい(舫い)」の綱となっているのではないだろうか。
柳田國男は『民謡覚書』の仕事歌を述べたところで、歌の目的が「仕事を心軽く、我々の合同を容易ならしめただけではない。飽きずに万人が永くこれをくり返して、いわゆる世の常を組み立てて行く効果もあった」という。また『民謡の今と昔』では、仕事歌を必要とした事情に「人の心を一心にし、大きな一つの群が働いているという感じに、一同を引き纏める必要があったのである。これが無始の大昔以来、人とわずかな動物とのみに、与えられた生存の悦楽でありまた力であって、いつの世よりかウタと名づけたところの一種特別の音声は、すなわちこの状態を誘導する唯一手段であったのである。人が働くためにこの統一を求めたのは後代のことで、最初はむしろ統一の快楽を味わうべく、戦いもすれば踊りもし、また働きもしたのである」と述べている。
歌声には「人の心を一心にし、大きな一つの群が働いているという感じに、一同を引き纏め」、「合同を容易ならしめる」勢いがあり、それは「統一の快楽」をもたらすが、なによりも「生存の力」となることが重要であった。その力は「世の常を組み立てて行く効果」ともなる、というのが柳田の考えである。柳田は生涯にわたる民俗学の学びのなかで、人びとが心をともにし、支えあう「大きな一つの群」としての共同体の精神をもっとも大切にした。
トン族の歌と饗宴には、柳田が尊んだ共同体の精神があり、「世の常を組み立てる」「生存の力」があるのではないか。その普遍性を明らかにすること。本書の出発点がここにある。
(…中略…)
本書は歌と饗宴という2つのカテゴリーをとおして、トン族における歌のもつ文化的意義や社会的機能を明らかにし、トン族の社会機構に内在する基本的な仕組みと原理をとらえようとした。
ただこの2つの文化カテゴリーは明確に分離できるものではない。歌は饗宴を友として求め、饗宴は歌を糧として求める。重なりあい、補いあい、お互いに関連し、必要としながら組成されるものであるが、本書は実質的な分類の前に、認識上の分類として2つを分け、全体を2つのテーマとした。
書き分けられた2つのカテゴリーは、形成過程の文脈のなかに埋めもどして最終的には一体となり、本書が明らかにしたい課題、すなわちトン族社会において制度化された歌謡、飲食、遊興、社交などの生活の営みをとおした動態的な基本フレームと、歴史・社会的な環境が醸成した原理の課題におよぶはずである。
(…後略…)