目次
序 キャンベラへの道
泰緬鉄道――日本語版の出版にあたって
第Ⅰ部 戦争犯罪と責任
第1章 戦争責任を考える――オーストラリア裁判で明らかになったこと[ガバン・マコーマック]
第2章 日本は捕虜をどのように管理したのか[内海愛子]
第3章 動員されたアジア人労働者[村井吉敬]
第Ⅱ部 歴史と回想をとおして戦争を考える
第4章 記憶の中の泰緬鉄道[トム・モリス]
第5章 ぞうと人間と[ヒュー・クラーク]
第6章 鉄道との接点[ディック・ギルマン]
第7章 囚われの旅[トム・ユレーン]
第8章 一九四六年と一九九一年[サー・エドワード・ダンロップ]
第9章 加害者の一員として――朝鮮人元監視員の報告[李鶴来]
第Ⅲ部 個人の体験から国民的歴史へ
第10章 泰緬鉄道考――一人ひとりの人生から国民的歴史へ[ハンク・ネルソン]
史料1 鉄道におけるオーストラリア部隊
資料2 戦争捕虜の死亡率比較
第11章 泰緬鉄道の朝鮮人軍属[内海愛子]
第12章 チャンギ未決拘留の体験――『私の手記』から[李鶴来]
第13章 捕虜たちの賠償請求――今後の課題[デイビッド・バレット]
第14章 歴史から何を学ぶのか[ガバン・マコーマック、ハンク・ネルソン]
第Ⅳ部 戦争と責任
第15章 「責任」の解明――鉄道隊の視点から[奥田豊己、内海愛子]
第16章 泰緬鉄道で交錯した人生[ガバン・マコーマック]
資料・泰緬鉄道
参考文献
あとがき
前書きなど
序 キャンベラへの道
一九四二(昭和一七)年一一月から一九四三年一〇月までの間に、タイのカンチャナブリからビルマのタンビュザヤまで延長約四一五キロにわたる鉄道建設のために、日本帝国陸軍の捕虜六万人(うちオーストラリア人一万三〇〇〇人)と、それを上回る多数(実数は不明)の労働者が東南アジアの近隣諸国から動員された。これらの人々は、当時は“ロームシャ”とか“クーリー”と呼ばれていた。鉄道は、うっそうと茂るジャングルを通り抜ける。ビルマ駐留の日本軍への補給は火急を要していたが、シンガポールの南を回る海路は、連合国の攻撃に脆いものだった。東京の大本営によって鉄道建設は軍事上の要請であるとして決定され、鉄道は建設された。海外における大規模で多国籍の土木工事は、首尾よく完成したが、それは、想像を絶する代償をともなうものだった。
鉄道建設過程で一万二〇〇〇人の戦争捕虜(うちオーストラリア人二八〇〇人)、それを上まわる数の東南アジア人労働者が過重労働・衰弱・殴打や虐待、それにマラリア・コレラ・赤痢やその他、適当な食事と薬さえあれば生き残ったに違いないような病気で死亡した。生き残った者は現在もなお身体や心に、あの体験の傷あとを抱えて生きている。
一九九一年八月、生き残った元捕虜のオーストラリア人六人、捕虜キャンプの監視員だった韓国人一人、彼らよりもっと若い世代のオーストラリアと日本の研究者が、キャンベラに集まった。泰緬鉄道の建設現場で何が起こったのか、どうして多数の連合国捕虜やアジア人が死亡したのか、長い時間を経て理解しあおうとしたのである。歴史家が自分のノートと、入手可能な公文書と当事者の記憶とを比較したりすることは、めったにあることではない。いや、むしろあまりにもなさすぎたのかもしれない。本書は実際の鉄道についての事実関係を明らかにするのと同時に、当事者の回想と忘却のプロセスをも明らかにしている。
(…後略…)