目次
「イスラーム・ジェンダー・スタディーズ」シリーズ刊行にあたって――6『うつりゆく家族』
はじめに
第Ⅰ部 家族に含まれるもの
第1章 つねに「他人」が家にいる――オマーン移民の家族と「ハーディマ(奴隷/メイド)」[大川真由子]
コラム1 妻の居ぬ間にもう一家族[鳥山純子]
第2章 団欒と社交のある暮らし――イエメン・サナアの事例から[大坪玲子]
コラム2 「母乳の父親」――インドネシアにおける男性の育児参加をめぐる言説[西川慧]
第3章 家族に絡めとられる――モロッコのベルベル人母子にみる家族の捉え方[齋藤剛]
第Ⅱ部 家族に死が訪れるとき
第4章 母という家庭の中心――あるエジプト人母の姿から[鳥山純子]
第5章 上エジプト出身者の葬儀告示から考える家族のつながり[岡戸真幸]
コラム3 家族を喪った悲しみを分かち合う――ウズベキスタンの葬儀と泣き女[今堀恵美]
第6章 妻に家の半分を遺す――エジプトの地方の町に生きたある男性の一生[竹村和朗]
コラム4 ひとりで頑張る――イランの「家族経営」企業[岩﨑葉子]
第Ⅲ部 家族をめぐる法の論理
第7章 ムスリム家族法の近代化と宗教コミュニティ間の対立[伊藤弘子]
コラム5 家族と国籍[伊藤弘子]
第8章 変わりゆく家族のかたち――現代イランの場合[森田豊子]
第9章 名誉殺人と二つの家族像――トルコの刑法改正が映しだすもの[村上薫]
第Ⅳ部 家族に入り込む政治
第10章 議会を牛耳った家族[鈴木恵美]
第11章 出生率低下があらわす家族のかたち――チュニジア南部タタウィーン地域の事例[岩崎えり奈]
第12章 国境を越えるパレスチナ難民の家族――市民権が意味すること[錦田愛子]
コラム6 SNSが大好きなアラブ人と家族のつながり[錦田愛子]
編者あとがき
参考文献
前書きなど
はじめに
本書は、イスラームとジェンダーに対する関心の組み合わせのなかから、イスラームが根づいた諸社会における家族の実態や構成、家族に関するイスラーム法と国家法の関係、家族を組織する制度や政策の諸相を描き出すことを目指した論集である。
家族は、身近に存在するが、地域や文化それぞれの形があり捉えがたいものでもある。その上、イスラームという宗教・文化は、昨今ムスリム(イスラーム教徒のこと。本書では、男性・女性を問わずムスリムと表記する)に接する機会やその教義・実践に関する確かな情報が増えてきたとはいえ、日本社会においてはいまだ「異文化」(大塚 1989)の観がぬぐえない。本書がどのような観点から家族を取り上げ、家族をどのように論じようとするのか、タイトルの「うつりゆく」は何を指すのか、まずは編者が抱いている考えを示しておきたい。
家族は人間社会の根幹をなす集団だと言われる。たとえば、1948年に国連で採択された世界人権宣言は、第16条第1項で、「成年の男女は(中略)結婚し、家族をつくる権利を有する(Men and women of fullage, ..., have the right to marry and to found a family)」とし、第3項で「家族は社会の自然かつ根本的な集団単位(The family is the natural and fundamental group unit of society)」だと述べる。こうした表現は、他の国際規約や合意でも用いられ、世界の諸憲法にも含まれている(同時期のエジプト1956年憲法の第5条「家族は社会の基礎である(al-usra asās al-mujtama‘)」)。
家族・親族について、政治や福祉などの実務領域以外で精力的に取り組んできたのが、さまざまな文化や民族を研究する文化人類学者であろう。多くの人類学者は右の言葉に一定の同意を示しつつも、実態を明らかにすることに情熱を傾け、家族の分類や定義にも問題点があることを指摘してきた(スティーブンス 1971: 2)。1980年代にはアメリカの文化人類学者らによって親族研究の終わりが宣告されたが、生殖補助医療の進展などの変化により90年代頃から新たな関心が芽生え、家族研究は息を吹き返している(河合 2012)。私たちの身のまわりを見ても、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的蔓延に襲われた2020年以降、家族が人間の生命維持にとっていかに重要かが実感されてもいるし、コロナによって家族が分断される状況もある。また、そうしたなかで家族が政治的に利用され、何らかの規制の理由に挙げられることもある。
議論はあれども、世界各地で「家族」と呼ばれる、血縁や婚姻などの紐帯で結びついた人間集団に関する諸観念が存在することは否定できないし、すでにそうした家族に関する報告や分析が積み重ねられてきた。イスラームが根づいた諸社会についても同様で、たとえば中東における家族観の変化(アイケルマン1988; 村上 2018a; 2018b)やイスラーム法の現代的変容(柳橋 2001; 2005)など枚挙に暇がない。中東出身の文化人類学者スアド・ジョセフは、中東の家族研究書誌・論集『アラブ家族研究(Arab Family Studies)』の序文で、「家族はアラブ地域を通じて最も強力な社会的イディオムであり続けている」(Joseph 2018: 1)と述べ、イスラームや国家、女性だけではなく、家族こそを研究対象にするべきだと強調している。
本書は、これらの家族研究の上に積み重ねられた一つである。ただし、本書ではこのシリーズのもととなっている「イスラーム・ジェンダー学」の提案にしたがい、ジェンダーの視点を持ちながらイスラームが根づいた諸社会の家族に接近することを試みる。ジェンダーの視点とは(少なくとも編者にとって)、社会のなかにある権力関係を意識し、これまで顧みられてこなかった存在に光を当て、当たり前に存在する日常世界の歴史性に目を向け、そのなかでの個々人の振る舞いや言動を詳細に検討することを意味する。この視点から家族を見直せば、従来の「イスラームでは家族はこう規定される」「中東では家族はこうだ」といった紋切型の文句に出てこなかった側面や状況が多く存在することに気づくだろう。本書で取り上げ、読者に示したいのは、イスラームが根づいた諸社会における家族のそうした諸側面であり、そうした諸側面を含めた社会の姿である。
なかでも重視しているのは、家族を構築主義的に見ることである。これは、家族をはじめから中身が決まっているものと考えるのではなく、人々が「家族として」行動するなかでその人なりの「家族をつくりあげる」過程に注目し、一つの家族でも時間の経過とともにその内実が変化することを意識し、家族を改変しようとする外からの働きかけと、それに対する抵抗や改変があることを捉えようとする視点を指す。これは、家族というものが既存の観念や慣習、法制度、教育などによりイメージされ、構造化されるものであると同時に、個々人の行為実践によってさまざまに異なる形でつくり出され、修正されるものと捉える見方でもある。この意味において、家族は決まった形があるようでいて、つねに「うつりゆく」ものだといえよう。
本書で取り組むのは、現代のおもに中東の諸社会において、人々がどのような家族観を持ち、誰をどのような理由で自らの家族とみなし、その者にどのような権利を与え、どのような義務を果たそうとしているのか、家族という観念がどのように形作られ、どの形が支持され、どのような状況で変更が加えられてきたのかを明らかにすることである。言い換えれば、それぞれの文脈のなかで、「家族」が経験され、議論され、改変され、つくりかえられていく様を描き出すことが、本書の目的となる。