目次
はじめに[マイケル・ドーソン/キャサリン・ギドニー/ドナルド・ライト]
ビーバー[コリン・М・コーツ]
カヌー[ジェシカ・ダンキン]
トーテムポール[ジョン・サットン・ラッツ]
北[ドナルド・ライト]
ラクロス[ジリアン・ポールター]
アイスホッケー[クリスティ・A・アラン]
国歌[マイケル・ドーソン/キャサリン・ギドニー]
国旗[ドナルド・ライト]
百合の花[アラン・ゴードン]
メープル・シロップ[エリザベス・L・ジューエット]
カナダ太平洋鉄道[ビル・ワイザー]
騎馬警官[マイケル・ドーソン]
ドラール・デゾルモ[パトリス・グルー]
ローラ・シコード[セシリア・モーガン]
ヴィミー・リッジ[イアン・マッケイ/ジェーミー・スウィフト]
平和維持部隊[ケリー・ファーガソン]
赤毛のアン[マイケル・ドーソン/キャサリン・ギドニー]
ナイアガラの滝[カレン・ドゥビンスキー]
公的健康保険制度[シェリル・クラスニック・ウォルシュ]
エ~?[スティーヴン・ハイ]
プーティン[カロリーヌ・デュラン]
ティム・ホートンズ[マイケル・ドーソン/キャサリン・ギドニー]
謝辞
訳者あとがき
図版出典
索引
執筆者紹介
前書きなど
はじめに
(…前略…)
カナダ人はシンボルをどのように使ってきたのか、カナダ人はシンボルによってどのように形作られてきたのか、そして、(これはカナダ的ではないように思われてしまうけれども)カナダ人はシンボルをめぐってどのような論争をたたかわせてきたのか――これらを探す旅に読者をいざなうのが本書である。
(…中略…)
本書のねらいは、カナダ社会ときわめて密接に結びついたシンボルの多くが、どのようにつくられたのか、どのように用いられているのか、時代をへるにつれてどのように変化したのかを、読者に示すことにある。だが、シンボルがつくられたといっても、ゼロからつくられたというわけではない。現実にカナダは、世界のメープル・シロップの大半を生産している。カナダ太平洋鉄道は、実在する鉄道である。多くのカナダ人は、ホッケーが大好きなのも事実である。むしろ、シンボルは、個人、企業、国家によって生み出され、変容し、用いられるといった方がよい。シンボルは、特別の時間に、特別の理由でつくられたりつくり直されたりしてきた。たとえば、ドラール・デゾルモよりも、ローラ・シコードの名前を耳にしたことのあるカナダ人の方が多い。シンボルとしてのドラールの役割が低下し、その後、消えてしまったのは、今日のケベック州で政治的優先課題や文化的感度が変化したことを多分に映し出している。要するに、シンボルにまつわる興味深い歴史を通して、私たちは、カナダの過去と現在をよりよく理解できる――しかも、将来を展望したり構想したりできるのである。
シンボルのなかには、ローカルな経験の表象としてはじまり、有力者、商業活動、あるいは連邦政府の影響を受けて、「全国的」に広がったものもある。たとえば、プーティンは、ケベコワ〔ケベック州のフランス系〕の文化に深く根差したものだが、ケベック州だけでなく、カナダをも代表する人気料理になっている。ときにシンボルは、国民としてのアイデンティティや運命の望ましい表象として、国内から支持されるものである。シンガーソングライターのゴードン・ライトフットは、カナダ太平洋鉄道を「海から海にいたる鉄の道」として称賛した。他方で、シンボルは、国外からカナダを訪れる人たちによる認知や期待によって強固になる場合もある――馬にまたがる本物の騎馬警官を探しに行ったり、赤毛のアンの家を訪れたりする旅行客たちによって。
シンボルは、つねに選択され続けている。結局のところ、ヴィミー・リッジ〔第1次世界大戦でカナダ兵が多大な犠牲を払った戦場〕のある側面については記憶されているが、他の側面は忘れ去られている。だが、何が記憶され、何が忘れ去られているのかを理解することは、盲目的なナショナリズムや抑制のない愛国心という危険に対して、一般市民が立ち向かえる力やチャンスを与えうるのである。おそらく最も重要なことは、シンボルは盗用されやすいということである。実際、多くのシンボルは、盗用された結果である。だが、ここにも学ぶべき教訓があるし、なかには、興味深くて確かな進展がみられたものもある。先住民は、かつては違法とされたり、ヨーロッパ人の入植者の関心に合わさせられたりした自分たちの文化的慣行を取り戻し、発展させているのである。
カナダのシンボルには、単独で示されるものもある――たとえば、店の棚に置かれた翡翠製のイヌクシュクのように。また、華々しさと馬鹿らしさが一緒くたになっているのもある――警官の制服を着て戯れる北極グマやヘラジカのように。実際、カナダのシンボルは、互いを結びつける理解の網のなかに存在している。その網によって共通のテーマ――厳しい気候のなかで生き残ろうとする闘い、強力な隣国〔アメリカ合衆国〕との違いを出そうとする努力、ますます分裂している世界のなかで共同体を探し求めること、平和的だが力のある国民として認められたいという願望――が強められるのである。以下の章では、これらのテーマ――それ以外のテーマもあるけれども――を探求するが、そのさい、それぞれのシンボルがたどった歴史には思いもよらない紆余曲折があったことを浮き彫りにしていこう。
本書では、カナダのシンボルとして認知度が高く、影響力を持っているものについて、そのいくつかを考察する。そうすることで、数々の問いに答えてみたいと思う――これらのシンボルがどこから出てきたのか。シンボルの意味は時代をへるにつれてどのように変化したのか。シンボルの影響力は強まったのか、それとも弱まったのか。あるシンボルが他のシンボルよりも人気が高くなるのはどうしてなのか。そして、おそらく最も重要なのだが、どのようにして私たちカナダ人は、カナダが持つ特徴的な景観によって、意識的かつ無意識的に形作られているのか。