目次
はじめに――2016年熊本地震とは
第1章 活断層地震の予測と防災の課題
1.被災地・益城町市街地に立って
2.ましきラボを訪れる
3.熊本地震の謎について
4.活断層とは何か、どのように調査できるか
5.「震災の帯」はなぜできる?あらかじめ予測できる?
6.活断層地震に備えるための今後の教訓は?
第2章 熊本から学ぶ大地震との向き合い方―“できるしこ”―
1.熊本大学で当時を振り返る
2.そのとき地域と生活に何が起こったのか
3.被災者の声から見えてくる熊本地震の姿(1):アンケート調査から
4.被災者の声から見えてくる熊本地震の姿(2):聴き取り調査から
5.「熊本地震の真実」から考える「復興」「伝承」「防災教育」のこれから
第3章 熊本地震を詳しく知ろう
1 熊本・阿蘇の大自然と自然災害
2 布田川断層と日奈久断層との関係
3 3度動いた御船町の活断層
4 熊本市内で見つかった活断層
5 清正公道と地震断層の謎
6 活断層から地震の規模を予測するには
7 地震動予測地図はどのように作られているか
8 地震断層の第一発見者と言われて思うこと
9 日本の活断層災害対策の事例と現状
10 活断層を知るだけでは備えは進まない
11 益城町の住民アンケートはどのように行われ、何がわかったか
12 ましきラボの活動
13 熊本大学デジタルアーカイブ「ひのくに災史録」
14 伝承からレジリエンスへ
15 熊本地震震災ミュージアム「熊本地震 記憶の廻廊」について
16 災害報道で初めて活用された8K
17 ひのくに・熊本への思い――放送大学番組制作の裏話
第4章 活断層地図に見る熊本地震
0 地震断層の痕跡を探してみませんか?
1 南阿蘇地区――カルデラ内まで続いた地震断層
2 西原村付近――布田川断層と出ノ口断層が活動した
3 益城町堂園・杉堂――国の天然記念物に指定された地震断層
4 益城町木山・福原――予想外の地震断層
5 北甘木・御船――前震と本震の際に地震断層が出現した
6 熊本市中央区・東区地区――見過ごされていた活断層
おわりに――熊本地震の「誤解」と「真実」
前書きなど
はじめに――2016年熊本地震とは
(…前略…)
「8つの誤解」
2016年熊本地震は、同じく都市直下の活断層が震源となった1995年兵庫県南部地震から21年後に起きた活断層地震でした。そのため、それまで21年間の地震防災の成果が試されました。果たして地震研究は活断層地震を十分予測できるようになったでしょうか? また防災教育により住民の防災意識は向上して、都市の耐震化は十分進んだのでしょうか? そもそも21年間の地震防災の方向性は適切だったと言えるのでしょうか?
本来、こうした検証はあらゆる視点から、様々な議論を経て行われるべきですが、地震そのものの評価も、地震予測の当否も、対策の是非も、地震直後には関心が持たれたものの、十分な検証が行われないままです。
2016年熊本地震について、以下の8つの疑問があるように思います。
1)熊本地震の前震と本震とは二つの断層が別々に起こしたのか?
2)地震発生を事前に十分予測できていたか?
3)住民の備えが不足したのは活断層を知らなかったからか?
4)震度7が二度起きたために被害が大きくなったのか?
5)揺れの大きさは断層からの距離と無関係だったか?
6)活断層地震防災を考え直さなくて良いか?
7)災害復興に重要なのは「公助」と「自助」だけか?
8)災害伝承は誰のためか?
地震直後にはマスコミも一時的に注目して、様々な検証が一気に進み、その評価も定まったかのように見えました。しかし実のところ、その検証には偏りがあり、様々な誤解が生じている可能性があります。事前の地震予測も対策の妥当性も、実施主体による検証結果のみが報じられました。最近の日本社会は、ともすれば責任を追及しすぎるために、率直な反省がしづらいのかもしれません。マスコミも問題を深く追及しなくなっている感があります。
前述の8つの疑問について本書は次のように考えます。
1)熊本地震の前震と本震は別々の断層が起こしたわけではなかった。
2)布田川断層は今後の地震発生の可能性が「やや高い」とされ、その予測が当たったとの見方もあったが、それは決して十分な確からしさを持っていなかった。
3)実際には大半の住民は活断層の存在を知っていた。それでも備えが十分でなかったのには別の理由がある。
4)二度の震度7が被害を大きくしたわけではなかった。本震がいきなり来ていたら被害はさらに拡大した可能性が高い。
5)断層に近くても揺れは大きくならないと言う専門家もいるが、益城町における地震の揺れは、地表断層に近づけば近づくほど大きくなっていた。
6)これまでは強い揺れはどこでも起きるとして、政府は全国一律の地震対策を求めて来たが、それでは、活断層地震の甚大な被害を軽減できない。
7)「公助」を補うための「自助」が盛んに求められてきたが、被災者が災害から立ち直るために必要だったのは、市民主導の「共助」だった。
8)災害伝承は災害を経験していない他地域の人のためにと考えがちだが、実際には身近な人を守るためにこそ重要である。