目次
日本語版への序文 あらゆることの、もうひとつの植民地化のために
謝辞
序章
Part Ⅰ
第1章 後期入植者状況のグローバル化
第2章 「ドツボにはまる」ことについて――危機の批評と批評の危機
Part Ⅱ
第3章 批判的人類学の思考とラディカルな政治的想像界の現在
第4章 アラブの社会科学と批判をめぐるふたつの伝統
Part Ⅲ
第5章 民族誌と政治的な感情について――調査地で、イスラエルを嫌悪すること
第6章 オルター・ポリティカルな理性とアンチ・ポリティカルな感情――ファノンの場合
Part Ⅳ
第7章 自己陶酔的(ナルシスティック)な被害者意識について
第7章への追記 私は詩を書くことはないが、どんなときも、詩は、詩ではない。
第8章 占領されざるもの
第9章 反(アンチ)レイシズムをリコールする――根絶可能性の批判的人類学に向けて
第9章への補論 人をゴミのように棄てる(ラビッシング)植民地主義に抗して
第10章 ユートピア的思想という現実に住まうということ
第11章 もうひとつの帰属のあり方
原注
解説 もうひとつの思考と政治に向けて――ガッサン・ハージの人類学を基礎づけるもの[齋藤剛]
訳者あとがき 夢見る知識人の複数的思考――ガッサン・ハージ
文献一覧
索引
前書きなど
序章
資本主義と植民地主義に飼いならされ、支配されてきた世界秩序を批判しようと試みてきた著作の長い歴史に、本書は連なっている。これまでの著作と同様に、本書も、人間や人間でないものを取り巻く環境が過剰なまでに道具化され、搾取され、貶められて、ますます破壊的な様相を呈しているという、グローバルな秩序をつぶさに観察しなおすことから生まれた。この秩序は、とうてい受け入れられない不平等、不正義、周縁化に満ちているが、実は、それらは避けられるのだ。本書は、抵抗しようとすること(アンチ・ポリティクス)と、ありうべき別のあり方を模索すること(オルター・ポリティクス)を、どのように結び合わせていけるのか、ということに関心を向ける。探求すべき別のあり方とは、ありうべき別の経済、地球に暮らし、関わりあう別のあり方、そして他者について、いまとは異なったやり方で思考したり経験したりすることである。本書が、ありうべき別のあり方を模索する政治を、対抗的政治より重視しているとしたら、それは「別のあり方を模索する」契機が「抵抗の」契機より重要だからではない。これから論じるように、それは批判的人類学の思考が、別のあり方を模索する契機ととくに親和的だからなのだ。また、ありうべき別のあり方を模索する政治に陽の目があたっていない状況を憂慮し、強く思い入れているからなのだ。
世界中の反資本主義、反レイシズム、反植民地主義の闘争を特徴づける対抗的な精神と政治は、根本的な弱みを抱えているのではないか。一九六〇年代以降、根源的で批判的な思想のなかで、そのような実感が次第に生まれてきた。それが「抵抗」している政治秩序を覆せたことがあったとしても、自らが覆した現実の別のあり方を、抵抗の政治は自らにうまく構造的に組み込むことができなかった。「真のコミュニズムの実現」だろうが、反植民地闘争を経て実現した社会であろうが、そのような経験のなかで、既存の秩序を丸ごと覆そうとする「抵抗の政治」は、同じように活気に満ちて情熱的な「別のあり方を模索する政治への」思考によって補われなければならず、そこから新たな存在のあり方の基盤が築かれる可能性が生じることが、次第に実感されてきたのである。
「政治的な情熱」という問いは、別のあり方を模索する政治のあり方というこの概念にとってきわめて重要である。本書を構成するいくつかの文章では、抵抗の政治が別のあり方を模索する政治よりも歴史的に優勢だった理由のひとつは、ラディカルな政治的情熱がもっぱら前者に注がれてきたことだと論じている。だからといって、別のあり方を模索する政治にも等しく政治的情熱を傾けなければならない、という単純な話ではない。この情熱そのものが、以前そうであったのとは根本的に異なった政治的情熱でなければならないのだ。この「別のあり方を模索する政治への情熱」こそ、私が自分の仕事を通じて存在する余地をつくり出そうと奮闘しているものなのだ。あらためていおう。問われているのは、抵抗の政治への情熱と別のあり方を模索する政治への情熱を対立させることではなく、両者が共存する場を生み出すことなのだ。本書は、そのような別のあり方を模索する政治への情熱がどのようなものであるべきかについてよりも――これについても第Ⅲ部で取り上げるが――、抵抗の政治への情熱と別のあり方を模索する政治への情熱を批判的関心へと組み合わせていくあり方を例示した文章を、世に問うことを意図している。
(…後略…)