目次
はじめに
Ⅰ 善良なレイシストとは?
Ⅱ 白人を一般化して語ることはなぜ良しとしていいのか?
Ⅲ 聖歌隊はいない
Ⅳ 優しさの問題
Ⅴ 進歩的な白人の言動
Ⅵ 宗教は信じない、けれどスピリチュアル
Ⅶ 「恥」について語ろう
Ⅷ 「私にもトラウマがあります」という白人
Ⅸ 私たちは実はそんなに善良ではない
Ⅹ 「私もマイノリティです」について――人種差別以外の抑圧を経験する白人でもいかにレイシストたり得るか
Ⅺ 進歩的な白人こそが、より有能なレイシストとなる落とし穴
Ⅻ 優しさは勇気ではない――反レイシズムの価値観をいかに言行一致させるか
スタディガイド
解説[出口真紀子]
註
前書きなど
解説
なぜ、北米の白人を想定して書かれた『ナイス・レイシズム なぜリベラルなあなたが差別するのか?』を日本社会に住む私たちが読む必要があるのか。それは、日本人がアジア諸国の中での「白人」だからである。多少乱暴な比較であることは重々承知の上だが、日本人は、アジアにおいて人種・民族的ヒエラルキーの頂点に立っている。また植民地支配の歴史における加害国としての立場も欧米の白人と類似しており、加害の対象となった人々と今も同じ国に共存していながら、歴史をきちんと学ばず、加害性と向き合っていない人が圧倒的多数派である。文化・歴史的背景の異なるアメリカの白人に向けて書かれた『ナイス・レイシズム』をそのまま日本社会に応用するのは確かに難しいかもしれない。しかし、本書は、日本における日本人、特にリベラルを自称する人々(自分を含む)にとって、まだまだマジョリティ性の特権を持つ自分自身と向き合わなくてはならないことを示唆してくれる貴重な本だと思っている。
『ナイス・レイシズム』は二〇一八年に出版された『ホワイト・フラジリティ 私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』(明石書店、二〇二一)に続くディアンジェロの二冊目のベストセラーである。『ホワイト・フラジリティ』では多くの白人がなぜ、白人であることの意味について考えることができないのかといった問いに答え、白人が陥りやすい思考を分かりやすく丁寧に解体してくれている。二五年以上、白人に反レイシズム教育をしてきたディアンジェロは、白人の多くが人種差別を「意図的な悪意ある個々の行為」と定義づけることで、自分自身はレイシストではない、と免責されると考えたがる思考プロセスを長年見てきた。
白人が「白人であることの意味」を語れないこと、それはつまり、マイノリティ側のことを理解するなど到底不可能であることを意味するとディアンジェロは言い切る。二〇二〇年五月にアフリカ系アメリカ人男性のジョージ・フロイドが白人警官によって殺害され、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動に再び火がつくと、アメリカのベストセラー書籍のリストにレイシズムに関する本が一〇冊以上並ぶというこれまでにない現象が起こった。その中でも、ディアンジェロの『ホワイト・フラジリティ』は、白人にとっておそらく耳の痛い話であろう指摘を次から次へと突きつけているにもかかわらず、上位を維持していた。
本書『ナイス・レイシズム』でディアンジェロは、「人種差別には当然反対です」「人種差別をなくすためにできることはしたい」と言い切るリベラルな白人のメンタリティに切り込んでいく。つまりディアンジェロは、『ホワイト・フラジリティ』で彼女が伝えきれなかった善意あるリベラルな白人にメスを入れるのである。リベラルを自称する白人アメリカ人は、礼儀正しく「ナイス」であり、いつでも笑顔で、差別にはもちろん反対します、と積極的に反レイシズムの勉強会やワークショップを開催する。
(…後略…)