目次
はじめに
第Ⅰ部 多文化共生教育の現場から――ホリスティックな学びの芽を生み出す
第1章 授業の成立が困難な学校で「多文化共生」を語る――ゲストティーチャーとしての関わりから
1.はじめに
2.授業の成立が困難な学校における、ゲストティーチャーと協力した多文化共生教育の必要性
3.ゲストティーチャーが行った、在日コリアンや「多文化共生」をテーマとした授業の概要
4.生徒の意識の変容――在日コリアンの印象を問うアンケート結果の分析を通して
5.実践の成果と課題
6.おわりに
第2章 ケアリングの視点を取り入れた多文化共生教育プログラム――学びの環境が厳しい子どもたちとともに
1.はじめに
2.ケアリングの視点を取り入れた多文化共生教育プログラムの必要性――学びの環境が厳しい学校において
3.ケアリングの視点を取り入れた多文化共生教育プログラムの実際
4.多文化共生教育プログラム終了後の子どもたちの意識の変化――最終授業後のアンケート分析を通して
5.ケアリングの視点を取り入れた多文化共生教育プログラムを実施することの意義
6.おわりに
コラム1 一人ひとりの子どもたちに寄り添い人権学習を創ってきた先生方の思いを紡ぎ続ける学校
第3章 「身体知」や「精神性」を取り戻すホリスティックな学びの検討――日本の学校教育における「体験活動」を深化させるために
1.はじめに
2.研究対象と研究方法
3.日本の学校での学びにおける「身体知」と「精神性」の重要性――「表層的な体験活動」から「深化した体験活動」へ
4.「身体知」や「精神性」を重視したホリスティックなプログラムの実際
5.「身体知」や「精神性」を取り戻すホリスティックな学びの意義――日本の学校教育における「深化した体験活動」への示唆
6.おわりに
コラム2 地域の歴史、「多文化共生」の伝承を子どもの頃から学びの中に
第Ⅱ部 民話という伝承知から考える多文化共生教育――ホリスティックな深い学びへ
第1章 伝承民話集『聴耳草子』における「異人」たちと「多文化共生」――日本社会の多文化共生教育のあり方を考える
1.はじめに
2.研究方法
3.「異人」たちの語られ方――「多文化共生」と「いのち」の視点からの考察
4.日本社会における多文化共生教育への示唆
5.おわりに
第2章 韓国民話における「異人」への眼差し――韓国社会の多文化教育のあり方を考える
1.はじめに
2.研究方法
3.「異人」たちへの眼差し――ハン思想における「多文化共生」と「いのち」の視点からの考察
4.韓国社会における多文化教育への示唆
5.おわりに
第3章 沖縄の民話における「異人」たち――日本社会の多文化共生教育をより深化させるために
1.はじめに
2.研究方法
3.民話の中の「異人」たち――共苦の底からの解放の術
4.日本社会における多文化共生教育への示唆
5.おわりに
コラム3 沖縄の伝承を再発見する旅 沖縄本島那覇市首里と南城市
第4章 済州島の民話における「異人」たち――韓国社会の多文化教育をより深化させるために
1.はじめに
2.研究方法
3.民話の中の「異人」たち――人間とバルバロスが混在する、あらゆる境界を越えた共生
4.韓国社会における多文化教育への示唆
5.おわりに
コラム4 ホリスティック教育/ケアから考える2020年
おわりに
前書きなど
はじめに
多文化共生教育とは、多文化共生社会の進行にともなって、さまざまな文化背景をもつ人々が平和に共に生きていくことを目指している。国境を越えて移動する人々の文化的多様性への気づきをきっかけに、すべての人が自分たちのアイデンティティの複合性や流動性について考えていくというものである。
2017年度に出版した前著『日本と韓国における多文化共生教育の新たな地平―包括的な平和教育からホリスティックな展開へ―』(ナカニシヤ出版)では、包括的な平和教育を基底にした多文化共生教育のあり方を考察したが、その中で十分にできなかったことの一つが、ホリスティックな学びの視点から多文化共生教育を捉えて、その思想的な背景や具体的な実践を検討することであった。
ホリスティックな学びとは、Miller, J.(2005)によると、「子どもの知的な側面だけではなく、身体的側面や感情的、倫理的、精神的側面など、子どもの全的な存在にかかわろうとする」教育のことであり、その世界観として「この世に存在するすべてのものは何らかの仕方でつながりあい、支えあっている」と説明する。また、ホリスティックな地球市民教育として吉田(2005)が紹介している「文化的多様性と人類的統合性との両立」の視点を本書でも踏まえてホリスティックな学び、多文化共生教育のあり方について検討している。それは、複合性や流動性を前提とした文化を「多様性を承認することを越えて、相互の開かれたコミュニケーションの通路を保持しつつ、違いの奥に潜む普遍性を探ること」である。
グローバルな人の移動により昨今はウィルス感染拡大への言及がメディアにあふれている。その狭間で、何度も繰り返される特定の民族や国家、出自を攻撃するヘイトスピーチの問題を乗り越えることは依然としてできていない。歴史的、制度的な差別に対して、反差別を掲げたさまざま市民運動や教育の実践を重ねても、これまで十分な解決に到らなかったのはどうしてか。その解決へのヒントがホリスティックな学びにあるのではないかと筆者は考えている。
日本では多文化共生教育が実践されてきた主な時間は、人権教育の時間であったが、さまざまな教育改革の流れの中で先人たちからその思いや内容を受け継いでいく難しさに直面している。そして、これまで積み重ねてきた人権教育や多文化共生教育の歴史を表面的に、形式的に引き継いだ結果、多文化背景をもつマイノリティの言葉や経験が、感動的な逸話として消費され終わってしまうことが多発してしまっているのではないかと危惧する。それは、多文化背景をもつマイノリティの人々やその中で努力して生きている人々の話が、自分自身とは異なるかわいそうな人たちとはっきりと区分してしまうことにつながるからである。このような受け取り方は、自らが所属していると自認する国家の偉人伝を読んで感動し誇りをもち、ナショナルアイデンティティを強固にすることと表裏一体のものであり、ヘイトスピーチを無くしていくこととは別のベクトルが働いている。また、昨今ではウィルス感染拡大の中で、直接多文化背景をもつ人々の話を、体感をもって聞く機会が中止、またはオンライン上での開催となってきている。そのような現状は、上記の傾向をさらに加速させるものと考える。本書では、上記のような多文化共生教育のもつ課題を乗り越える一つの提案としてホリスティックな学びのあり方を提示していく。
(…後略…)