目次
まえがき
第一章 戦後再出発における盲・聾教育の一部義務化と特殊学級教育の着手――敗戦から昭和二〇年代(一九五〇年半ば)を中心に
社会の動き
第一節 GHQ主導による特殊教育計画立案と戦前の特殊教育の遺産との関連――敗戦後における教育界の精神的状況とアメリカ的価値観の基準化
第二節 米国教育使節団報告書における特殊教育機関とその責任主体
第三節 国民一体としての特殊教育問題における飛躍の基盤形成と盲学校・聾学校の義務制一部実施
第四節 小・中学校における特殊教育の実践的必要の認識と新しいタイプの教員誕生から平準化へ
第五節 特殊教育における実践・研究の結合と特殊教育の教師教育制度
第六節 特殊教育実践・研究団体、戦後障害当事者運動の創始、特殊教育振興団体の結成
第二章 義務教育の対象外となった養護学校系分野および空白分野における教育の開拓と混迷――昭和二〇年代後半(一九四〇年代後半~一九五〇年半ば)
社会の動き
第一節 特殊学級中心の文部省政策の先駆性と埋没
第二節 敗戦直後における特殊学校および特殊学級の対象論と設置責任主体に関する議論
第三節 新分野としての精神薄弱児教育の開拓と理論的・実践的苦闘
第四節 肢体不自由児養護学校の拡大と独自の教育の蓄積[内田暢一・河合康]
第五節 病弱教育の再建と発展および課題[深澤美華恵・竹田一則]
第六節 学業不振児問題と促進学級[吉井涼]
第三章 高度経済成長下での分離的特殊教育の発展と権利としての障害児教育の提起――昭和三〇年代(一九五〇年代半ば)~昭和五〇年代前半(一九七〇年代)
社会の動き
第一節 特殊教育振興政策の成功およびその経済的基盤
第二節 特殊教育行政の中央集権化――昭和三七年三八〇号通達による中央集権化の確立[中村満紀男・岡典子]
第三節 教員養成制度の確立と教師教育――昭和五〇年代前半まで
第四節 障害者教育運動の新しい問題提起と政治性――権利としての障害児教育と特殊教育整備政策に関する議論の分化
第五節 教育・福祉措置における障害間の序列の発生と全員就学による是正
第四章 福祉施設における学校教育の補完とその独自性――昭和二〇年~五〇年代後半(一九四〇年代後半~一九七〇年代)[蒲生俊宏]
社会の動き
第一節 福祉施設における教育の変遷――『愛護』の記事分析を中心に[蒲生俊宏]
第二節 福祉施設における教育の実際[蒲生俊宏]
第五章 養護学校義務制の実施と特殊教育の改革およびその限界――昭和五〇年代後半(一九八〇年代)~平成一〇年代後半(二〇〇〇年代半ば)まで
社会の動き
第一節 養護学校義務制による分離的特殊教育制度の完成と世界的動向からの逸脱
第二節 盲児と聾児の大学進学と統合教育
第三節 養護学校義務制以降の特殊教育改善への政策的模索
第四節 新分野としての重度・重複障害児教育の可能性と挫折[松田直]
第五節 新しい領域としての養護・訓練から自立活動への転換[河合康]
第六節 特殊教育における教師教育制度の完成と教員不足
第七節 各障害分野における専門性の構築と病因の変化に伴う特殊学校の変容
第八節 盲・聾・養護学校のセンター的機能の追加
第六章 小学校・中学校における特殊教育の孤立から主流への転機――昭和四〇年代後半(一九七〇年代)~平成一八(二〇〇六)年度まで
社会の動き
第一節 学業不振問題の潜在化と浮上と非制度化[吉井涼]
第一節 学業不振問題の潜在化と浮上と非制度化[吉井涼]
第二節 各種の特殊学級の普及と展開
第三節 通学制特殊教育制度としての特殊学級就学者の推移とその意義および通級制度の導入
第七章 特殊教育改革としての特別支援教育制度の発足とインクルーシブ教育への展開の国際的・国内的背景――平成一九年度~現在まで
社会の動き
第一節 特別支援教育制度への転換の制度内的必然性――特殊教育の限界と通常教育中心への重点移動
第二節 特別支援教育からインクルーシブ教育への転換の国際的・国内的背景
第三節 平成二四年中教審初等中等教育分科会報告と平成二五年文部科学省通知の衝撃――インクルーシブ教育への転換
第四節 専門分野としての視覚障害教育の存亡と聴覚障害教育の行方
第五節 知的障害教育の位置の変化とその重要性
第六節 小学校と中学校における教育需要の増大と通級制度・特別支援教室
第七節 特別支援教育の構造が変化した時代の教員養成問題
結章 近代日本における非欧米圏唯一の特殊教育制度の成立と現代日本における障害児教育の隘路と打開可能性
社会の動き
第一節 日本の障害児教育の特長と日本社会との関係
第二節 障害児教育制度再編の必要
第三節 特別支援教育政策における弥縫策の限界と根本的再編
結語 二一世紀障害児教育における理論的・実践的展望
註
文献
索引
前書きなど
まえがき[編者・中村満紀男]
問題意識と日本の障害児教育史に関する考え方は、『日本障害児教育史 戦前編』と同じであり、日本の障害児教育の歴史を辿り、それぞれの時代的与件において問題の所在と本質を探ることにより、今後の障害児教育の改善とその方向性に関する示唆を得ることである。端的にいえば、現代の理念を基準とする超歴史的立場と近代欧米を基準としてそれとの近接を評価する立場をとらず、その時代に得られた条件の観点から、障害児教育の方策の意義と課題を究明することである。
(…中略…)
現代日本の障害児教育は、世界的にみて質の高い実践を展開していると思われるが、熟度と体系性とオリジナリティが十分でない。そのため、日本では、国際競争力が弱い珍しい事業分野に属するであろう。また、社会全体からみれば、特別支援教育」はささやかな分野にすぎない。それでも、障害のある子どもや親に役立ち、社会にも貢献することができる事業である。そのことを自覚したうえで、美辞麗句ではない、共有できる「特別支援教育」の社会的価値を確立し、その不可欠な社会的根拠を築いてこそ、国内社会と世界に一層寄与する分野になることができる可能性があることを確信する。しかしそれには、現実認識と改善すべき条件がある。これまでの「特別支援教育」は仲間内の世界に過ぎない傾向が強かった。修飾的に「国際」を冠していても、途上国に知識や技術を提供したり、英語論文を発表したり、国際会議を開催したりする程度であった。特別支援教育がインクルーシブ教育と名称を変えても、うわべだけ先進国の後を追う傾向が強く、日本という社会的・文化的な文脈に位置づけて障害児教育を構築するグランド・デザインに欠けている。
特別支援学校と特別支援学級を中心に展開してきた特別支援教育が、就学者数からみれば小・中学校中心に転換して二〇年を超えるが、理念を追加したり、教育の場や方法を変えれば済むわけではない。教育課程、予算の配分基準、教育行政の再編、教員養成にまで及ぶ教育の制度の全体的・根本的再検討が必要なはずである。また、特別支援教育専門機関と通常教育を並列していくとしても、これまでの教育制度では不十分であろう。中央集権をどの範囲と程度にし、地方の役割と責任を設定するのかについては、実際には地方に権限があるにもかかわらず、実質的・実態的にはほとんど中央集権時代と変わりがない。また、公立学校内で何か事件が起きても、地方教育委員会の事なかれ主義には変化がないようにみえる。現在の市町村教育委員会の多くに、インクルーシブ教育化した特別支援教育を運営できる能力は、どれだけ、どの程度、存在するのであろうか。文部科学省の方針がインクルーシブ教育に転換しても、実体は特別支援教育旧モデルのまま、インクルーシブ教育という用語を必要があればそれを塗して、進行している感が強い。
本書は、戦後七〇年以上経過した現在、戦前の約八〇年間を含めて、以上のような状況認識から戦後の障害児の教育を再検討し、その遺産と問題点を再評価する。そのことによって、日本社会に定着可能で、なおかつ、国際的にも寄与できる障害児教育のモデルを熟考する契機や緒を見出したい。昨今の日本は、編者の個人的認識に基づけば、近代以来の日本有数の危機ではなかろうか。政界・官界は混乱し、大半のマス・メディアはプロパガンダ機関となり、学界もまた木鐸からはほど遠くなってしまった。国民は、社会と世界の混乱のなかで、ある程度共有できる社会モデルを描けず、何が国益かすら一致しないで、諍いの日常を糺すことができない。教育界では、重荷と多忙に耐えられず、保護・育成すべき児童生徒に対する加害者となる教員も発生する。このような時代にあって、障害児の教育・研究に従事する者もまた、時代の大波や逆風から無縁ではいられるはずはない。先人は特殊教育の形を作り、中身を整えて欧米先進国に少しでも近づくことで、障害のある子どもや親への貢献を目ざしてきた。その目標はある程度達成されたが、研鑽を怠り、努力を惜しめば、無意識であっても内部から崩壊させるのは造作もない。結局のところ、欧米への近接による改善という方法では、日本の風土に合った障害児の教育を完成させ、国際的にも寄与できる制度と方法体系を備えた障害児教育を構築するという課題解決はできないというのが、一五〇年におよぶ日本障害児教育の歴史の検討から辿り着いた編者の結論である。
(…後略…)