目次
編者まえがき[姜信子]
第Ⅰ部 「在日」の思想
一在日朝鮮人の独白(一九六九年)
民族の自立と人間の自立――いま私とは何か(一九七一年)
文学における“抵抗”とは何か(一九七四年)
「民族虚無主義の所産」について(一九七九年)
「在日」とはなにか(一九七九年)
「在日」の思想(一九八一年)
○「猪飼野」消滅について(一九七三年)
○これでもフェミニスト願望(一九八五年)
第Ⅱ部 故国への問い――「四・三事件」と「親日」問題
なぜ「四・三事件」にこだわるのか(一九八八年)
『火山島』について(一九八八年)
「親日」について(一九九二年)
○しごとの周辺(一九八七年)
○ベートーヴェンについて一言(一九九一年)
○酒について(一九九三年)
第Ⅲ部 韓国行と「国籍」
「在日」にとっての「国籍」について――準統一国籍の制定を(一九九九年)
○「国籍」と精神の荒廃(一九九九年)
鬼門としての韓国行(抄)(二〇〇四年)
解説 金石範の訪韓紀行文について(趙秀一)
第Ⅳ部 「解放空間」の解放へ
記憶の復活(二〇〇三年)
四・三の解放(二〇一五年)
解放空間の歴史的再審を――解放空間は反統一・分断の歴史の形成期(二〇一七年)
記憶は生命である――記憶の死と復活(二〇一八年)
資料1 「張龍錫から金石範への手紙」
資料2 「転向と文学」
本巻解題[趙秀一]
偶然が必然だった――本書のあとがきに代えて
前書きなど
編者まえがき
諸事情のため、第Ⅰ巻文学・言語編の刊行から四年の歳月をはさんでの、第Ⅱ巻思想・歴史編の刊行となりました。まずは、金石範文学を読み解くうえで、きわめて重要な思想的営為、それを貫く歴史観、その核にあるものが、こうして一書にまとめられたことを喜びたいと思います。
編者として数々の論考を読むことは、同時に一表現者として、在日する者のひとりとして、表現することへの覚悟を突きつけられ、生き方を問われることでもありました。たとえば、こんなふうに。
おまえには、その身の内に共に生きる死者はいるのか?
おまえは、その死者が求めてやまなかった世界にたどりつく言葉を追い求めつづけているのか?
その死者に恥じない生き方をしているのか?
それは、九十八歳(二〇二三年現在)になった今も、現役の作家として正統性なき権力による「偽史」に抗して書きつづける金石範自身の身の内に渦巻き、響きつづけている声でもありましょう。(そもそも正統なる権力=暴力などというものがあるのだろうか?)
金石範が在日であることの意味を問うのも、韓国の権力にも北朝鮮の権力にも抗して無国籍(朝鮮籍)を貫くのも、権力の甘い誘いに転んだかつての同志たちに厳しく対峙するのも、植民地の支配権力の犬であったいわゆる朝鮮人親日派を断罪し、仕える相手を大日本帝国から米国へと鞍替えした犬たちによって建国された国家に異議を唱えつづけるのも、建国の過程で引き起こされ、それを語ることすらタブーとされてきた済州四・三を書きつづけているのも、金石範と共に生きつづける死者ゆえのこと。その名は、張龍錫(チャン・ヨンソク)。
本書には、解放後すぐのソウルから大阪に戻っていった若き金石範へと、解放空間(植民地支配からの解放後より大韓民国建国までの米軍政下の時空間)に生きて闘って死んでいった友・張龍錫が送りつづけた二十二通の手紙が収められています。折に触れ、金石範がエッセイや小説で触れてきた極めて貴重な手紙の全文が、初めて公開されたのです。
そこには、金石範と同様に文学を愛した一青年の、解放とは名ばかりの朝鮮半島に在ることの苦悩を吐き出す声、絶望の底で未来を眼差す声、共に闘うことを呼びかける声、生きることに惑う声が刻まれている。
(…後略…)