目次
まえがき[西山教行]
第1部 グローバル化する社会と異文化間教育
第1章 アメリカの相互文化教育運動に対する再評価[張漢業]
1.初の相互文化教育学者デュボワ
2.相互文化教育の政治・社会的背景
3.デュボワの相互文化教育運動
4.集会プログラムと集団対話
5.相互文化教育に対する評価
第2章 異文化間教育とグローバル教育[大木充]
1.はじめに
2.異文化間能力とグローバル・コンピテンス
3.異文化間教育とグローバル教育
4.異文化間教育の必要性はますます高まっている
5.異文化間教育の実践
6.異文化間能力の評価
7.これからの異文化間教育――他者との差異から学ぶ
第3章 日本社会と異文化間教育のあるべき姿[細川英雄]
はじめに
1.異文化間能力とは何か
2.「異文化間能力」は教えられるのか―テーマ生成のための場づくりの可能性
3.改めて「日本社会」とは何か
4.「この私」の世界観をつくる――「よく生きる」という市民性の課題へ
第4章 異文化は理解できるか――私の生きた異文化間性をめぐって[西山教行]
1.私にとってのフランス語のイメージ
2.ルワンダからみたフランス語
3.ギニアからみたフランス語
4.フランス語教育・普及の倫理
5.セガレンから考える「異文化」
6.結語として
編者インタビュー Part 1 外国語教育を支える異文化間能力の育成[ダニエル・コスト、倉舘健一訳]
第2部 外国語教育と異文化間教育
第1章 脱グローバル時代の英語教育に求められるもの[鳥飼玖美子]
1.はじめに
2.「グローバル人材育成」政策が生み出したもの
3.グローバリゼーションの逆流
4.多文化多言語共生社会における英語教育
5.これからの英語教育への試案
第2章 英語教育を越えて――異文化間教育は幸福に満ちているか[仲潔]
1.はじめに
2.英語教育の教育観とコミュニケーション能力観
3.コミュニケーション能力観を問う
4.道徳教育との連携
5.排除される学習者たち
6.おわりに
第3章 教育の潜在的葛藤場面における異文化間能力と言語能力[クリストフ・メルケルバッハ、大山万容訳]
1.導入
2.背景
3.教育環境における伝統的なパラダイム
4.なぜ母語教育か
5.言語政策の新しいパラダイムの必要性
6.第3言語の習得
7.文化的に規定されたプロセスとしての学習
8.言語カリキュラムの課題
9.結論
編者インタビュー Part 2 コミュニケーション能力と異文化間能力の関係[アンリ・ベス、関デルフィン訳]
第3部 諸外国における異文化間教育
第1章 移民の複言語能力――受け入れ社会にとっての課題と利点(スイスの視点から)[ジョルジュ・リュディ、大山万容訳]
1.文脈
2.統合
3.「単一言語イデオロギー」に対抗する
4.複言語主義の相補性モデル
5.複言語主義の利点
6.コミュニケーション方略と複言語話法
7.異文化間教育
第2章 多民族社会・移民社会における異文化間教育――シンガポールの社会科教材から考える[斎藤里美]
1.はじめに
2.シンガポールの多文化政策とその歴史的、社会的背景
3.シンガポールの高校社会科教育と多文化教育の位置
4.官製シチズンシップとしての多文化リテラシー――Upper Secondary Social Studiesにみる「多様性のための教育」
5.おわりに
編者インタビュー Part 3 EUにおける社会的状況と異文化間教育[マイケル・ケリー、松川雄哉訳]
あとがき[大木充]
著者・訳者紹介
前書きなど
まえがき
(…前略…)
グローバル化と異文化間教育
ではグローバル化をめぐる二種類の言説は本書が展開する異文化間教育とどのように関連しているのでしょうか。一つは、国境で隔てられていた世界が一つになり、人々の移動にともない異なる他者との出会いが生まれるという視点があります。また一方では、新自由主義イデオロギーのもとに、市場の自由競争が効率化をうながし、その自由競争は全世界にリアルタイムで展開するため、国際的競争力に優れた人材を育成する必要があり、そのような人材には異文化との対応能力が求められると語られています。このような観点では「世界化」と「グローバル化」のいずれをも異文化との出会いを無視することはできません。そこでグローバル化と異文化間教育の関連を確認したことを受けて、つぎに本書の各論を紹介します。
張論文はこれまであまり注目されることのなかった20世紀前半のアメリカの教育者レイチェル・デュボワ(1892-1993)の教育思想を再評価し、デュボワの訴えた相互文化教育の現代性に焦点を当てます。グローバル化する現代世界に先駆けて、多様な民族や文化が集結したアメリカは、異なる人をどのように認識し、共生を考えたのでしょうか。本論文は他国に先駆けて「一つの世界」となったアメリカ社会を対象とする研究です。
大木論文はグローバル化した現代社会の中での教育を正面から論じるものです。ここで前提となるグローバル社会は必ずしも経済的局面に限定されるものではありません。本論文は越境する人々や情報が生み出す異なる文化の所在に私たちのまなざしを向け、そこでの異文化間教育の重要性を訴えるものです。
細川論文はグローバル社会の中での異文化間教育を論じるにあたり、その前提となる日本社会や異文化間教育、さらにはことばの教育や学習とは何かといった、より根源的な課題を論じます。
西山論文もまたグローバル社会を正面から論じるものではなく、自らの越境体験を分析することにより、異文化間能力の所在がきわめて個人的なレベルに展開することを例証しています。
『ヨーロッパ言語共通参照枠』(CEFR)の著者の一人であるダニエル・コストはそのインタビューで異文化間能力を越境する文化や他者との関連から論じ、グローバル化した社会が様々な他者から構築されていることを解明します。ここでのグローバル社会は経済的局面に触れるものではなく、フランス語の「世界化」mondialisationの言説に連なるものです。
第二部の鳥飼論文はタイトルに「脱グローバル時代」を掲げることから推測のつくように、グローバル化を新自由主義的なイデオロギーに支えられた経済活動の一環と捉え、そこから発生した「グローバル人材育成」を批判的に乗り越え、多言語多文化社会へ向かう外国語教育を探求するものです。
英語教育を対象化する仲論文はグローバル化した現代社会を所与のものと捉え、その中での英語教育に認められるコミュニケーション能力観を批判的に検証します。グローバル社会において英語は誰にでも理解され通用する理想的な言語であり、この言語だけを習得することが理想的なコミュニケーションの実現に結びつくのでしょうか。
ドイツの言語教育研究者のメルケルバッハは越境する移民を包摂するヨーロッパ社会の言語教育を論じ、グローバル化によって生まれつつある一つの世界の実態の解明を試みます。
フランス語教育学者ベスのインタビューは異文化間能力を外国語教育の教室での実践から洞察し、異なる他者への関心や配慮をはぐくむ言語教育を構想するもので、新自由主義経済の進める世界観とは異なる観点に関わり、一つの世界へと向けた外国語教育の取り組みを提唱するものです。
これに対してスイスの言語教育学者リュディの論文はヒトやモノの移動が加速する現代社会のなかでの移民の複言語能力に焦点を当てるもので、世界化した社会のなかで経済活動を担う移民の言語能力を明らかにするものです。
斎藤論文はヨーロッパから一転して、アジアの都市国家シンガポールへとまなざしを向けます。シンガポールは多民族の移民社会として既に「一つの世界」を実現した国家であり、その意味で、異なる他者との共生を生きる社会を経験しています。このような社会にある学校教育のなかで、多文化政策をどのように実現することができるのでしょうか。
本書の末尾を飾るイギリス人言語教育学者のケリーはEUという「一つの世界」のなかでの異文化間教育を論じ、イギリスの学校教育における異文化間教育の重要性を検討します。
このように本書はグローバル化した現代社会のなかの異文化間教育を様々な局面から解明するものですが、決して一つのモデルを提示するものではありません。むしろその多様性を示すもので、読者が多様な異文化間教育の広がりを実感し、その上でそれぞれの文脈にふさわしい異文化間教育を構想する一助となれば、編者として望外のよろこびに思います。
(…後略…)