目次
はじめに
Ⅰ 記憶と系譜そして信仰
第1章 狼とテュルク――「蒼き狼」の伝説
第2章 オグズ・カガン説話――テュルクの伝説的君主
第3章 テュルクの系譜――仮想構築された親族関係の体系
第4章 オスマン朝におけるテュルクの系譜――オグズ伝承から「系譜書」へ
第5章 シャマニズムとテングリ信仰――テュルクの基層文化
第6章 祖先崇拝から妖怪まで――目には見えない世界から
第7章 仏教・マニ教・キリスト教――イスラーム化以前の宗教受容
【コラム1】ユダヤ教徒のテュルク――クリムチャクとカライム
第8章 イスラームの受容――改宗の政治的要因
Ⅱ 文学と言語
第9章 英雄叙事詩――テュルクの口承文芸
第10章 アルパムス・バトゥル――ユーラシアを翔るヒーロー
第11章 チョラ・バトゥル――カザン陥落と悲劇のヒーロー
第12章 クタドゥグ・ビリグ――テュルク・イスラーム文学の始まり
第13章 テュルク諸語の分類――系統樹モデルを越えて
第14章 カーシュガリーの『テュルク諸語集成』――最古の「テュルク学」
第15章 オスマン語とチャガタイ語――テュルク・イスラーム世界東西の文章語
第16章 テュルク語とペルシア語――二つの言語の蜜月
【コラム2】ナスレッディン・ホジャ
Ⅲ テュルク系の諸民族
第17章 アゼルバイジャン人(アゼリー人)――シーア派が多数派
第18章 ウイグル人――中国最大のテュルク系民族
第19章 ウズベク人――多様性と共存
第20章 カザフ人――遊牧政権から中央アジア地域大国へ
【コラム3】カラカルパク人――移住の歴史と豊かな口承文芸
第21章 キルギス人(クルグズ人)――中央アジアの山岳遊牧民
第22章 タタール人――ロシア人の身近な他者
第23章 クリミア・タタール人――故郷の喪失から生まれた民族
【コラム4】リトアニアのタタール人、リプカ・タタール
第24章 トルクメン人――尚武の民
第25章 トルコ人――「帝国」から「国民国家」へ
【コラム5】ヨーロッパにおけるテュルク――オールドカマー・ムスリムへの移行
第26章 バシキール人――南ウラルの勇者
第27章 トゥバ人――喉歌で世界を魅了するチベット仏教徒のテュルク
第28章 サハ人(ヤクート人)――テュルク最北東端の民族
【コラム6】日本領南樺太のサハ人――D・ヴィノクロフとイワン・ペトロフ一家
第29章 チュヴァシ人とガガウズ人――ヨーロッパにおけるキリスト教徒のテュルク
【コラム7】エニセイ・キルギスの後裔とシベリアのテュルク化した民族
Ⅳ 世界史のなかのテュルク
第30章 漢文史料に見えるテュルク――高車の登場
第31章 ビザンツ史料に見えるテュルク――テュルクの外交感覚
第32章 古代遊牧帝国――突厥の出現
第33章 ウイグルの興亡――遊牧帝国の変化
【コラム8】ヴォルガの雄――ブルガルの盛衰
第34章 トルキスタンの成立――遊牧民と定住民の融合
第35章 トゥルシュカ――インドのテュルク
【コラム9】カリフを守るテュルク――中央アジアから来た騎馬兵
第36章 テュルク対ビザンツ――マラーズギルトの戦い
第37章 エジプトのテュルク――マムルーク朝
第38章 モンゴル帝国とテュルク――テュルク世界の拡大に果たした役割
第39章 テュルクとロシア――「韃靼人の踊り」と「タタールのくびき」
第40章 ティムール朝の興亡――中央アジアと西アジアの統合
【コラム10】ムガル朝――インドにおけるティムール朝
第41章 コンスタンティノープルの征服――地中海と黒海の覇者テュルク
第42章 ウィーン包囲の衝撃――テュルクとヨーロッパ
第43章 イラン史のなかのテュルク――共存と交錯
第44章 ロシア革命とテュルク――自治の夢とその後
第45章 アタテュルク――蒼き狼
Ⅴ イデオロギーと政治
第46章 ガスプリンスキー――ロシア的教養を身につけたテュルク系ムスリム知識人
第47章 テュルクかタタールか――民族のかたちをめぐる政治
第48章 トガン――東洋学と民族運動
第49章 汎テュルク主義(汎トルコ主義)――「帝国」との関わりのなかで
第50章 トルコにおける民族史の構想――トルコ史テーゼ
第51章 汎トゥラン主義――ユーラシアにまたがる遙かな理想
【コラム11】民族主義者行動党(MHP)
第52章 テュルク系サミット――テュルク系諸国の国際関係
Ⅵ テュルク学――テュルクの歴史・言語・文化に関する研究
第53章 ロシア――テュルク学発祥の地
第54章 フランス――外交政策と学術
第55章 トルコ――国学としての歴史学
第56章 ハンガリー――西遷騎馬遊牧民の終着点のテュルク学
第57章 日本――先達をふりかえる
Ⅶ テュルク世界と日本
第58章 戦前日本の大陸政策とテュルク――アジア主義との関係
第59章 在日タタール人――転遷の歴史
【コラム12】ヨーグルトと煎餅
第60章 日本で活躍したテュルク――在日トルコ・タタール人の戦後
【コラム13】日本人ファンの心をつかんだショル人ボクサー――勇利アルバチャコフ
第61章 現代日本に見られるテュルクの表象――イメージか?現実か?
テュルクを知るための参考文献
前書きなど
はじめに
(…前略…)
それにしても、テュルクとはいわば時空を越えた超域的な存在であり、一見するととりとめもないように見えることも事実です。しかし、テュルクに注目することによって見えてくるものは少なくありません。とりわけユーラシアの歴史と文化、その現在を考える上でテュルクの存在を無視することはできません。本書は、ここから出発しており、構成もこれに沿って考えました。
第一に、テュルクの活動は、中央ユーラシアを中心にその東南の中国、西方の西アジアやロシア、ヨーロッパ、南方の南アジア、さらに北方は北アジアの隣接地域に広く及んでおり、世界史を俯瞰して理解する上ではきわめて重要です。第Ⅳ部の「世界史のなかのテュルク」では、このような歴史の動因としてのテュルクの拡大や台頭を物語るテーマを選びました。これによって、世界史においてテュルクの果たした役割と意義を伝えたいと考えたからです。現代のテュルク諸民族については、第Ⅲ部で個々に扱っています。ここではその名前を冠した国を持つ民族にとどまらず、さまざまな少数民族、歴史の転変のなかでディアスポラの状態に陥ったクリミア・タタール人やドイツをはじめとする西ヨーロッパ諸国への移民もとりあげました。彼らの動向は、現代世界を考える上でも無視できません。
第二に、テュルクというアイデンティティは、大きくとらえれば、古来の伝説や碑文、叙事詩、系譜書などに刻印されながら(これはおもに第Ⅰ部と第Ⅱ部で解説します)、やがて姿を隠し、近現代になって再生するという流れをたどりました。それはたとえ想像されたものであったとしても、ナショナリズムの形成や国際関係に一定の影響を与え、近現代の世界を考える上でも無視することはできません。このことは、おもに第Ⅴ部の「イデオロギーと政治」で扱うことになります。現代との関係で言えば、ソ連解体後のトルコの対中央アジア・コーカサス政策はその一例と言えます。第Ⅵ部の「テュルク学」では、それぞれ特徴のあるテュルク学をはぐくんだ国々の研究動向をとりあげました。先にもふれたように、現代におけるテュルクの認識は、このようなテュルク学の成果によるところが大きいからです。
第三に、テュルク世界は日本とは遠く離れた世界と思われがちですが、目を凝らしてみると、意外なところで関係のあることがわかります。ロシア革命後に日本にやってきたタタール移民については、最近大きく研究が進展していますが、これは戦前日本を相対化してとらえる意味でも貴重な視座を提供してくれることでしょう。さらに食物やスポーツ、文化にも目配りすると、いろいろな接点が見えてきます。第Ⅶ部として「テュルク世界と日本」を設けたのは、このためです。なお、付言すれば、本書は現在の日本におけるテュルク学の最新の成果を収めたものとも言えます。
以上、本書の概要を説明しました。本書はこのように構成されていますが、読者はどこからでも読み進めていただければと思います。どこかでテュルク世界の魅力をお伝えできれば幸いです。最後に、冒頭にあげたカーシュガリーのひそみにならって、テュルクを知れ、そうすれば世界がわかる、と申し上げておきましょう。