目次
まえがき
第1章 帰れるか、帰れぬのか――比曽から問う
避難指示解除、帰村への思い
居久根にとどまる高い放射線量
「周辺地区」は置き去りなのか?
課題を残したままの見切り発車
帰村に向けた執念の除染
古里から北へ遠く離れて
「までい」の心に支えられて
第2章 生きる、飯舘に戻る日まで
若妻たちは飛んだ
細腕に勇気ふるい
「までい」の花、咲いた
農業委員会って何だ?
までい民宿『どうげ』繁盛記
何が起きた、村はどうなる
牛たちの哀歌
古里最後の集い、家族の別離
避難者たちの「箱船」
「までい着」誕生
がんとの闘いに耐え
生き直しの選択
第3章 オオカミ絵、よみがえる
第4章 南相馬 苦き風評からの再起
生業復活をかけた「ひまわりプロジェクト」
コメに代わる可能性の模索
菜種に未来を託して
大悲山、祈りの磨崖仏を守る
樹齢1100年の大杉は何を見たのか
古里になった泉沢へ帰る
南アルプス山麓へ、再起のコメ作り
異郷でよみがえる「凍み餅」
エピローグ 沖縄で響いた被災地からの訴え
【コラム】風化と風評をどう乗りこえるか
【コラム】被災地で聞かれぬ言葉、当事者の言葉
あとがき
前書きなど
まえがき
東日本大震災、福島第1原子力発電所事故から5年を過ぎて、頭に去来するのは「この5年間とは何であったか?」という問いです。2011年3月11日午後2月46分から刻まれている「被災地の時間」に生きる人々にとって、「あの日から〇年」という節目とは、その度、何も終わっていない目の前の現実と否応なく向き合わされ、失われたもの、奪われたものに心の痛みとともに見つめ直し、明日を生きていくために再び自らを奮い立たせなければならない、険しくつらい峠越えのような試練です。いまだ旅の終わりが見えぬ、どこまでも「途上」の風景です。
私がいま思い浮かべているのは、この5年の間に通ってきた福島県浜通りの原発事故被災地の風景。住民が避難したままの無人の町や村には除染作業の重機やダンプの音だけが響き、先祖の墓地は雑草に埋もれ、汚染土を詰めたフレコンバッグの山が山野に広がっています。全住民が避難する飯舘村には17年3月末を期日に、政府による「避難指示解除」が迫っていますが、未解決の問題がそのままの姿でさらされた村の風景の1年後を、私はいまだ想像することができずにいます。
集落の隣人が何人戻ってくるのか分からない。しかし、仲間なしでは孤立して生きるほかない地域共同体の再生を苦慮する人、環境省による除染後も残存する放射性物質の除去を訴え、安全な帰還のために自ら除染実験に挑む人。被災地にまとわりつく「風評」の厳しさにあらがい、生業再開の可能性を模索する人。異郷の仮設住宅で心身を弱らせる高齢の仲間たちを、自らも病を抱えながら支えてきた人。原発事故後の混乱で心を痛めて古里を離れる決断をし、慣れぬ風土でコメ作りと格闘している人。
東北の大震災を伝え続けてきた河北新報の記者の1人として、また原発事故被災地となった福島県相馬地方を古里とする者として、私は飯舘村や南相馬市に通いながら、そんな人々と出会いの縁をもらってきました。1本の短いニュースでは「いま」の断片しか見えず、あまりに早い時の流れに消え去ってしまいますが、そこへ通いながら続報を重ねていくことで初めて、人の語る言葉の後ろに連なる長い前史、苦闘から生まれた選択、明日を生き直そうという決断の意味を、被災地から遠い地域の人たちにも伝えられるのではないか、と念じてきました。
(…後略…)