目次
理念なき復興──序にかえて
第1章 被災地からみたこの国のかたち
1 むきだしの民主主義
2 国と地方の関係
3 町長交代
第2章 地域の底力
1 吉里吉里
2 赤浜
3 安渡
第3章 なりわいの再生と新生
1 足踏み
2 被災地の状況
3 大槌で新しい芽
第4章 命を軸にした教育
1 学校再編
2 ふるさと科
第5章 支援からパートナーへ
1 組織化した「民」
2 教育の公民連携
3 役場への助っ人
第6章 ローカルメディアの胎動
1 大槌新聞
2 被災地の地域紙
3 臨時災害FM局
第7章 記憶を継承するということ
1 旧役場庁舎
2 震災検証
3 「生きた証」
第8章 大槌を引っ張る101人
Ⅰ おこす人
Ⅱ まもる人
Ⅲ つたえる人
Ⅳ になう人
抗う──あとがきにかえて
年表 大槌町の歩み(東日本大震災を中心として)
前書きなど
理念なき復興――序にかえて
(…前略…)
私は、2011年3月下旬に初めて大槌町を訪れた。壊滅的な被害を受け、町長も亡くなった町が、ゼロから復興していく様子を、実際に暮らしながら取材したかった。復興のかたちは、場所によっても、被害状況によっても違う。これだけ広範囲の被災地を横断的に取材して串刺しにするより、一つの町の森羅万象を追い続けたほうが、より本質に近づけるのではないかと思った。
滞在先を探そうとしたが不動産屋も流されてない。全日本不動産協会岩手県本部に問い合わせ、町内唯一の業者の家子和男さんを紹介してもらい、自宅を訪ねると「他に住む所を失った人がたくさんいるから」と断られ、半分あきらめていた。しかし、後日、ぎりぎり浸水を逃れた佐々木彰・彰子さん夫妻が、下宿させてもいいと言っていると家子さんから聞いて、飛んで行ってお願いした。
佐々木さん夫妻は、被災地の中で、大槌町の存在は忘れ去られてしまうのではないかと危惧していた。地域紙が被災して廃刊し、親しくしていた地元記者も津波で亡くなった。情報発信してもらうために、マスコミに住んでもらいたいと思ったのだった。
上司に報告すると、朝日新聞社は「大槌駐在」を新設してくれた。以来3年間、そこを駐在にして取材を続けた。4年目からは駐在はアパートに引っ越し、別の駐在記者が赴任した。私は復興担当記者として、東京や他の被災地にも取材範囲を拡大したが、今も大槌を拠点にし、事務所に寝泊まりする生活だ。
ゼロからの復興を取材していると、物事の本質や原点が、むきだしになって見えてきた。町長はなぜ必要か。民意はどう聞けばいいのか。なりわいとは本来どうあるべきか。教育とは、支援とは、情報とは、そして命とは。
朝日新聞の先輩の但木汎記者は、退職を延長して大槌町の取材を続けた。「それまでの41年間の記者生活は、この震災を取材するための助走期間ではなかったのか。ここで力を尽くさなければ、これまでの記者生活が無為に帰すのではないか」と話した。私はその半分しかキャリアはないが、同じ思いでがむしゃらに取材した。
しかし、復興が進まない。
当初の計画では、「集中復興期間」と国が銘打った震災5年間で、少なくても住宅再建の面整備や防潮堤建設はほぼ終わっているはずだった。それが、震災5年を迎える2016年3月で市街地の一部でやっと面整備が終わり、住宅建設が可能になるくらいで、面整備も防潮堤も完成までその後3年はかかる。町の推計では、2017年春になっても、2100戸ある仮設住宅の半分以上がまだ出ていけない状態だ。
なりわいも、創造的な復興どころか復旧も終わっていない。それでも他の自治体に比べ大槌は、新しい事業に挑む人たちが多く、小さく、ゆっくりだが育っている。「結」の心もやせ細りながらもたくましく生きているし、支援というよりパートナーとして、外の力との結びつきも強まりつつある。可能性の宝庫とも言える。
この本は、「税金の無駄だ」と告発する本でもないし、「被災者は可哀想」と同情心をあおる本でもない。5年間で見聞きしてきた大槌町での動きを中心に、復興の方向性について検証した本だ。記したルポからは、復興の課題や希望のみならず、日本の将来が持つ課題や希望を読み取ってほしい。「大槌」を「日本」に置き換えながら、読み進めていただければと思う。