目次
まえがき
第1章 政府内部3・11のロスタイム
「国は私たちを国民だと思っているんだろうか」
テレビ用やらせ閣議で30分のロス
保安院内で海江田氏に「15条通報」が伝わるまで50分
いったん取り消された1号機の15条通報
上申書の起草に手間取り、時間をロス
菅総理、非常事態宣言を了承しないまま党首会談へ
事故に生かされなかった訓練の教訓
崩壊熱の危険を伝えなかった保安院次長
ベント決定から実施まで5時間もかかった理由
SPEEDI以外のシステムが事故の進展を予測していた
保安院の平岡次長は重要な情報を伝えなかった
第2章 使われなかった緊急冷却装置
主力の緊急炉心冷却装置ECCS
福島事故の9カ月前に起きていた深刻な事故
津波が来る前ならECCSを起動できたはず
専門家も首をかしげる手順のおかしさ
スクラムには「通常停止」と「緊急停止」の2種類ある
かつては行われていたECCSの操作訓練
吉田所長のことばに反応しなかった事故調
虚構のシナリオで立てられた対策
外部電源回復まで30分を超えていた前年事故
電力会社がECCSを使いたくないわけ
美浜で起こった日本初のECCS作動事故
「前科」のある2号機の原子炉
なぜ事故対応は変わったのか
「自動起動だから使わなかった」という説明の不思議
ECCSとRCICを両方起動するのが海外のスタンダード
唯一の冷却装置を誰も使ったことがなかった
報告されなかった1号機のシミュレーション
〈付記〉ECCSについての東電への質問と回答
第3章 原発黎明期の秘密と無法
事故の危険性を深刻に受け止めた損害保険会社
実際の賠償金は保険金支払い上限の48倍に
「事故が起これば国家財政が破綻」大蔵省の懸念
あまりに巨大な原発事故の被害予測
天文学的な被害額を民間保険ではカバーできない
日本でも40年前に行われていた事故の被害試算
チェルノブイリ原発事故後もシビア・アクシデントを想定せず
立地基準を定める前に建設地を決めた福島原発
「当時はそんなものだった」
班目委員長も認めた仮想事故想定のでたらめ
海抜35メートルの丘陵地をなぜわざわざ低くしたのか
津波の予測はわずか3メートルだった
第4章 住民軽視はそのまま変わらない
虚構に依拠した防災対策の最大の被害者は地元住民
国を信じて遅れた富岡町民の避難
今でも悪夢にしか思えない
避難範囲が拡大されても、被曝は防げず
非現実的すぎる放射能拡散予測
新指針でも機能不全を起こしかねないオフサイトセンター
「被害地元」嘉田前滋賀県知事の危機感
避難そのものがあまりにも非現実的
都道府県庁には放射性物質を扱う部署がない
「汚染されないと避難させられない」住民見殺しの論理
「リスクは知らせない」の根本にある父権主義
琵琶湖が汚染されれば被害は近畿全体に拡がる
原子力防災体制の欠陥
事故後も変わらない円形の避難地域設定の問題点
SPEEDIを避難に生かせなかったのは人為的ミス
あくまで当事者は立地地元だけ
中央官庁の縦割りの弊害が生む避難指示問題
第5章 原発事故の進展は予測できなかったのか
「誰も経験したことがないから失敗した」は失当である
事故と被曝の過程は正確に予測されていた
15条通報=住民避難スタートのはずだった
すべてが後手に回ったのは廃炉を避けたかったから
格納容器の破損を考慮しなかった立地検査
「格納容器が壊れない」説が跋扈した理由
このままではまた同じことが起こる
事故調査委員会の追及は真剣さが足りない
バックアップシステム「PBS」が存在した
日本のメーカーはPBSの開発を拒否していた
福島原発事故に活用できなかったPBSの威力
放射能の放出量は事前にわかっていた
1時間に100トン注水できれば原子炉は冷やすことができる
格納容器が破裂すると、避難範囲が100キロを超える
東電の運転員は勉強不足
週に2、3回はPBSのシミュレーションをやっていた
シビア・アクシデントの訓練は歓迎されなかった
「俺の顔をつぶす気か」と怒った元・原子力委員長
情報を見極める力がなかった保安院
汚染の問題は何十年も続く
事故は起こらない、放射能は拡散しないという前提
原子力防災専門官の役割とは
消防の立場から考える原発事故と防災
人間は驚天動地の事態に必ずパニックを起こす
なぜチェルノブイリに学ばないのか
誰も真剣に避難のことを考えていない
あとがき
前書きなど
まえがき
本書の取材を始めたとき、私の念頭にあったプランは「日本で原子力発電が始まった当時にさかのぼって、福島第一原発事故の原因を探っていく」ことだった。
2016年3月11日で、福島第一原発事故は発生から5年を数える。その間、発生直後の2011年春に初めて放射能汚染の被災地を訪ねて以来、もう50回前後はフクシマの現地に取材に足を運んだ。避難者の話を聞くために、福島県内はもちろん山形県、群馬県、埼玉県と避難先をあちこち訪ね歩いた。
そこで、政府が住民を安全に避難させることに失敗し、23万人もの人々が無防備に被曝した事実を知り、衝撃を受けた。すると「なぜこんな失敗が起きたのか」という疑問が頭から離れなくなった。福島第一原発の近くに住み、事故で避難や被曝という被害を受けた人たちは、住んでいた場所が違うというだけで、私自身と何一つ変わらない、ごく善良で平凡な市民だった。彼らの受難は、絶対に「他人事」ではありえなかった。明日自分がその立場になるかもしれない。そうなったらどうするのか。ずっとそう考え続けている。
原発事故を「他人事」ではなく「自分のこと」として捉えるなら「一体なぜ、政府や電力会社はこんな失敗をしたのか」という問いを投げかけざるをえない。その答えを探して、東京でも、当時政府内にいた政治家、官僚や学者の話を聞いて回るようになった。彼らの回顧録が多数出版されていたので、読み、会いに行った。原発を運転していた人、原発のシステムやハードを設計した経験のある人にもたくさん会った。一方で、政府事故調査委員会、国会事故調査委員会など原発事故の原因を調べた委員会が報告を発表し始めたので、それも読み、委員会に取材した。
どうして日本に原発ができたのか。フクシマの未来はどうなるのか。その答えを知りたくて、次は「原発の生まれ故郷」であるアメリカの核施設を取材して歩いた。この5年間に書いた原発事故に関する本は『原発難民』(PHP新書)『原発事故 未完の収支報告書 フクシマ2046』(ビジネス社)など6冊になる。
そうやって、小さくて断片的な情報を少しずつ集め、組み立ててきた。それは、ジグソーパズルのピースを一つひとつ集めては組んでいく作業に似ていた。パズルを完成したとき、何が姿を現すのかわからないまま、ひたすら作業を続けた。
そんな作業を5年続けてみると、おぼろげながら、一つの像が見えてきた。ダ・ヴィンチなのかゴッホなのかくらいの違いはぼんやりと見えてきた。そうした5年間の取材の成果を一つの区切りとして書き、読者に報告しておきたい。それがこの本の意図である。もちろん、この本は「最終報告」などではない。「ポスト・フクシマ」としか言いようのない、長くて暗い現在進行形の時代の、途中経過報告にすぎない。
(…後略…)