目次
まえがき
序章 なぜ言語教育における言語・国籍・血統か
第1節 研究背景
1.1 在留外国人の増加と「日本語=日本人」という図式
1.2 「一民族国家」という神話と言語・国籍・血統の関係性への着目
第2節 本書の課題
第3節 本書の構成と用語の定義
3.1 本書の構成
3.2 用語の定義
第1章 「在日コリアン」教師のライフストーリー研究への視座
第1節 「日本語=日本人」という思想
1.1 「国家=言語」の成立と流布
1.2 「日本語=日本人」を内包した「国語」概念の来歴
1.3 「国語」から「日本語」へ
1.4 日本語教育における「日本語=日本人」という思想への批判
第2節 「ネイティヴ」/「ノンネイティヴ」という概念
2.1 「ネイティヴスピーカー」とは誰か
2.2 他の言語教育における「ネイティヴ」/「ノンネイティヴ」概念への批判的検討
2.3 日本語教育における「ネイティヴ」/「ノンネイティヴ」概念への批判的検討
第3節 《言語》と《国籍/血統》との間にズレをもつ「在日コリアン」教師
3.1 「在日コリアン」の歴史的背景
3.2 「在日コリアン」のアイデンティティに関する研究
3.3 「在日コリアン」のアイデンティティと言語意識に関する研究
3.4 「帰韓」した「在日コリアン」とは誰か
3.5 韓国社会の状況と日本語・日本語教育の位置づけ
3.6 「在日コリアン」教師の日本語教育における位置づけ
第4節 アイデンティティを捉える理論的枠組みと研究課題
4.1 「アイデンティティ」という概念に対する本書の立場
4.2 研究課題
第5節 「在日コリアン」教師のライフストーリー研究へ
第2章 研究方法
第1節 ライフストーリー研究法とは
1.1 なぜライフストーリー研究法か
1.2 ライフストーリーへの三つのアプローチ
1.3 「アクティヴ・インタビュー」論と本書の立場
第2節 ライフストーリー研究法の評価基準
2.1 研究の「信頼性」・「妥当性」から「透明性」・「信憑性」へ
2.2 サンプリングと「代表性」の問題
第3節 本研究の調査概要と記述
3.1 研究協力者
3.2 インタビュー調査の方法
3.3 研究倫理
3.4 本書で取り上げるライフストーリー .
3.5 研究者のポジショナリティの問題とライフストーリーの記述
第3章 《言語》と《国籍/血統》のズレと教師たちの戦略が意味すること
第1節 【事例1】カテゴリーを戦略的に利用する教師V
1.1 教師Vの略歴
1.2 「日本語」・「日本語を教えること」の意味
1.3 アイデンティティの変遷
1.4 「在日コリアン」というカテゴリーと日本語教育における位置取り
第2節 【事例2】国民と言語の枠組みの脱構築を目指す教師L
2.1 教師Lの略歴
2.2 【どちらにも完全には属さなくていい】という語り
2.3 【韓国籍の韓国系の日本人】と名のる意味と日本語教育における位置取り
2.4 「日本語」・「日本語を教えること」の意味
第3節 【事例3】「日本語」を「言語資本」として意識する教師E
3.1 教師Eの略歴
3.2 二つの名前の完全な使い分け
3.3 【「有利」な名前】を選択するという語り
3.4 【…てしまって】に隠された意味~通称名使用への【後ろめたさ】
3.5 「言語資本」としての「日本語」と日本語教育における位置取り
第4節 【事例4】「日本語話者」の多様性を「したたか」に示す教師D
4.1 教師Dの略歴
4.2 使い分けなくてはならない名前
4.3 【カミングアウト】という【仕返し】と日本語教育における位置取り
4.4 【純粋な韓国人】でもなく,「日本人」でもなく,【行ったり来たり】する自分
4.5 「日本語」・「日本語を教えること」の意味
第5節 「日本語のネイティヴ」内部のヒエラルキーと「日本人性」が付与された「日本語」の存在
5.1 教師たちのライフストーリーのまとめ
5.2 名前の選択・使用と日本語教育における位置取り
5.3 「日本人性」が付与された「日本語」の存在
第4章 言語教育における言語・国籍・血統
第1節 ここまでの議論の概要
【事例1】:カテゴリーを戦略的に利用する教師V
【事例2】:国民・言語の枠組みの脱構築を目指す教師L
【事例3】:「日本語」を「言語資本」として意識する教師E
【事例4】:「日本語話者」の多様性を「したたか」に示す教師D
第2節 日本語教育における言語・国籍・血統の関係性
2.1 《言語》と《国籍/血統》のズレから明らかになったこと
2.2 「在日コリアン」教師たちの言語経験や言語意識からの示唆
第3節 「調査するわたし」が内包していた「単一性」の前提
3.1 インタビューを振り返る
3.2 「調査するわたし」がもっていた「期待」と「構え」
3.3 「単一性志向」の問題への鈍感さが意味する「単一性志向」の根強さ
第4節 「在日コリアン」教師のライフストーリーからの示唆
4.1 「日本語=日本人」という思想に関する議論に対して
4.2 「ネイティヴ」/「ノンネイティヴ」という概念に関する議論に対して
4.3 「在日コリアン」研究の議論に対して
第5節 言語教育における「単一性志向」
第6節 今後の展望
あとがき
引用文献一覧
巻末資料
前書きなど
まえがき
在韓「在日コリアン」の日本語教師とはいかなる人々だろうか。
彼らは,日本で生まれ育ち,成人してから韓国に渡ったというバックグラウンドを共有しており,その多くが,国籍や血統という観点からすると「韓国人」で,「非日本人」となるが,日本語を「母語」として身につけた,いわゆる「日本語のネイティヴスピーカー」と呼ばれる教師たちである。
このようなバックグラウンドをもつ彼らは,いったいどのような経緯から韓国に渡り,日本語教育に携わるようになったのか。また,旧宗主国のことばである「日本語」に対するまなざしが非常に厳しかった韓国社会のなかで,「日本語」を「母語」としていること,また,その教育に携わるということがどのような意味をもつものであったのか。さらに,「日本語」を「母語」として身につけた「非日本人」という属性が,「日本語は日本人のものである」とする観念が根強く残る日本語教育において,どのような意味をもち,彼らに何をもたらしてきたのか。そして,彼らのライフストーリーから見えてくる日本語教育の空間とはいかなるものなのか…。
彼らが現在居住している韓国では,1945年の「解放」後,約15年間近く,公式的には日本語教育は行われてこなかった。そのため,高校や大学などで教育が再開された1960~1970年代は,「日本語」を教えることができる人材はかなり不足していたといわれている(村崎 1977)。だが,そのような時期に,韓国生まれの韓国人の教師とともに日本語の教育を担っていたのは,日本から韓国に渡った「在日コリアン」教師だった。今日に至っては,韓国にいる日本語教師のなかでマジョリティとはいえない属性をもつ彼らだが,「解放」後に日本語教育が再開され,発展を遂げていく段階においては,「日本語のネイティヴ」教師だったこともあり,重要な位置を占めていたようである。しかしながら,既存の研究において「在日コリアン」教師が取り上げられたことはなく,彼らの経験と意味世界はこれまでまったくといってよいほど注目されてはこなかった。彼らのライフストーリーは可視化されることなく,現在に至るのである。
本書は,こうした在韓「在日コリアン」の日本語教師18名(「在日コリアン」2 世の教師7名,3世の日本語教師11名)に対して,2009年9月から2011年11月にかけて韓国で実施したライフストーリー調査がもとになっている。そのうちの4名の教師たちのライフストーリーを事例として取り上げ,彼らの経験と意味世界を通じて見えてきた,言語教育における言語,国籍,血統の関係性の問題を論じる。それにより,ことばにおける権力関係の議論を提示することを狙いとしている。
だが,本書では,彼らのライフストーリーだけを分析・記述するのではなく,調査のプロセスとそこに関わる調査者に関しても,なるべく詳細に取り上げ,記述するよう努めた。第2章で論じるように,それは,研究の方法論的観点からも必要とされることだが,調査のプロセスを開示し,その調査に臨む調査者自身に関する記述も含めることにより,彼らの経験と意味世界をより深く捉え,彼らが従事している日本語教育の現場の問題をより明確に描き出していくことができると考えたからである。また,教師たちのライフストーリーをもとに論じる言語教育における問題を,どこか遠くにいる特別な誰かが抱えもつ特別なものとしてではなく,より自分に迫った問題として読者の方々に捉え直していただくことが可能になるのではないかと考えたからである。本書の刊行が,ことばにおける権力関係の議論に対する意識化と,より開かれた日本語空間を構築していくための議論の創出に繋がったら幸いである。