目次
はじめに
Ⅰ 地理
第1章 マリの地理――サハラ砂漠、草原、ニジェール川
第2章 マリのサハラ砂漠――多様な景観と環境変動の遺産
第3章 ゆらぐ気候――頻発する大雨・洪水と干ばつ
第4章 ニジェール川――西アフリカの文明を生んだ母なる川
Ⅱ 歴史
第5章 人間の居住と農耕のはじまり――サハラの乾燥化と農耕の開始
第6章 イスラーム化――サハラ交易によってはぐくまれた国際文明
第7章 ガーナ王国――西アフリカ最古の王国
第8章 マリ帝国――ヨーロッパにまで知られたアフリカの王国
第9章 ガオ王国(ソンガイ王国、ガオ帝国)――西アフリカ史上最大の版図をもった王国
第10章 バンバラ王国――奴隷獲得戦争で栄えた強力な軍事国家
第11章 二つのフルベ・イスラーム帝国――マーシナ帝国とトゥクロール帝国
第12章 サモリ帝国――フランスと渡り合った最後の帝国
第13章 植民地支配――仏領スーダンからマリへ
第14章 独立後の政治――独立後の困難に満ちた歩み
第15章 トゥアレグ人の独立運動――国境線で分断された人々
第16章 2013年の政変とサハラの混乱――混迷をつづけるマリの政情
Ⅲ 民族
第17章 バマナン(バンバラ)――バマナカン(バンバラ語)の浸透
第18章 マリンケ――マンデカンの広範囲な分布
第19章 ソニンケ――伝統を重んじる折衷的な民族
第20章 ソンガイ――誇り高きサヘルの定住民
第21章 フルベ――サヴァンナの牧畜民
第22章 トゥアレグ――その社会組織と個性
第23章 ボゾ――西アフリカ一の内水面漁民
第24章 セヌフォ――その言語、生業、親族、歴史
Ⅳ 四つの世界遺産と主要都市
第25章 ジェンネ――西アフリカ千年の都市国家
第26章 トンブクトゥ――中世イスラーム文化の遺産
第27章 ドゴン――バンジャガラ断崖に守られた山の民の伝統文化
第28章 ガオ――王朝の盛衰を見つづけてきた都
第29章 バマコ――村社会で形成される都市
【コラム1】マリ国立博物館
第30章 モプチ――マリのヴェネチアと呼ばれる水の都
第31章 セグ――歴史と対話できるまち
Ⅴ 生活と社会
第32章 食事――豊かな食文化とにぎやかな食卓
第33章 布――綿栽培が生んだマリ人の着道楽
第34章 女の一生――母として妻として女としてどっしり生きる
【コラム2】トゥアレグ女性のライフサイクルと日常生活
第35章 王の詩と農の音楽――グリオの村の技芸のありよう
第36章 さまざまな「トン」――受け継がれる組織と組織原理
第37章 歴史伝承――文字なしで千年を語り継ぐ
【コラム3】アマドゥ・ハンパテ・バー
第38章 学校教育――小学校の増加と教員の問題
第39章 建築物――有機性と多様性
【コラム4】スーダン様式の建築
第40章 金鉱と呪い――邪術と死のある風景
Ⅵ アートと文化
第41章 音楽――音楽がマリをつくる
【コラム5】ティナリウェン
【コラム6】ナ・ハワ・ドゥンビア
第42章 映画――知られざる秀作映画の数々
第43章 独立後のマリの美術――政治の軛から解き放たれて
【コラム7】生活に根差した造形たち
第44章 仮面――パフォーマンス・アートとしての仮面
第45章 イスラーム――千年におよぶ歴史と伝統
第46章 コーラン学校――イスラームと地域の基盤
Ⅶ 政治と経済
第47章 独立後の経済――慢性的な停滞といくつかの希望
第48章 行政組織と地方分権――三つの共和制と地方分権の進展
第49章 開発とNGO――開発のための枠組みとチェック体制
【コラム8】知恵者マリ人
第50章 農業――サヴァンナ農業、アフリカイネ、樹木畑
第51章 牧畜――サハラ牧畜民トゥアレグとサーヘル牧畜民フルベ
第52章 稲作――3000年以上の歴史をもつマリの稲作
第53章 漁業――かつてはアフリカ一の生産力を誇った漁業
第54章 商業――異なる生態学的ゾーンを結ぶマリの交易商人
第55章 カースト制――手工業の発展を支えたシステム
【コラム9】カースト制 トゥアレグ人のケース
Ⅷ 世界の中のマリ
第56章 出稼ぎ――国をあげての開発プロジェクト
第57章 パリのマリ人――サンパピエから市民へ
第58章 マリと日本――日本の中のマリ人
マリを知るためのブックガイド
前書きなど
はじめに
(…前略…)
マリは西アフリカでもっとも豊かな歴史をもつ国である。現在のマリが歴史の豊かさに見合っただけの経済や文化の成熟を実現しているかは、本書のなかで明らかになるはずである。いずれにしても疑いないのは、現在のマリを知るためにも歴史を理解することが必要だということだ。マリを知るための歴史の要点は、三つあげることができる。
まず、遠い過去である。現在のマリの地では、紀元7世紀頃からニジェール川中流域に、ガーナとガオ、マリなどの国家があいついで誕生した。これらの国家を支えたのは、旧大陸最大とされたマリを含む西アフリカの金であった。それに向けてサハラを越えてイスラーム中東文明が運ばれてきたことで、北の砂漠の文化と南のサヘル・サヴァンナの文化が混じりあう、トンブクトゥやガオに代表される独特の都市文化が形成された。それだけでなく、ジェンネの近くのジェノ遺跡の発掘により、ニジェール川流域では紀元前から、長距離交易や職業分化、鉄製造をともなう独自の文化が築かれていたことが明らかになっている。
マリには「黄金の都」としてヨーロッパ中に知られたトンブクトゥをはじめ、日干しレンガの建造物としては世界最大級のモスクを含むジェンネ旧市街地、断崖の上に居を構えて独自の文化を築いてきたドゴン地方、そして16世紀に築かれた巨大なモニュメントが残るガオと、四つの世界遺産がある。これらはそれぞれにユニークなものだが、いずれもマリの人びとが過去に築いた生活と文化の豊かさを今日まで伝えているものだ。
第二に、そうした経済的・政治的発展を実現した結果、マリの人びとは西アフリカ中に移動しながら、各地に綿織物や鉄製造、商業やイスラームを伝えていった。やがて19世紀になってフランスがアフリカ大陸の広い範囲を支配すると、マリの人びとは下級の行政官や商人として各地に散っていった。その結果、隣国のセネガル、コートジボワールには数百万単位でマリ出身の人びとが住んでいるほか、遠く離れた両コンゴやカメルーン、ブルンジ、さらにはフランスなどにも数十万単位でマリ出身者が住んでいる。それらの土地から彼らが送金する金額は、マリの国家予算の5分の1ともそれ以上ともいわれており、今日のマリの経済活動や文化事業を理解する上で不可欠の要素になっている。
第三に、マリを知る上で重要なのは独立後の有為転変を理解することである。旧宗主国のフランスと対立したマリは社会主義路線を歩み、独自の通貨を採用した。その結果、マリは国営企業を中心に計画経済を推進する一方で、文化と歴史の独自性を強調する政策をとった。こうした政策は功罪二つの結果をもたらした。功についていえば、マリは独立後、各地域の文化の発掘と啓蒙につとめ、2年ごとに若者を対象に文化とスポーツのビエンナーレを全国規模で実施した。マリからはサリフ・ケイタやアリ・ファルカ・トゥーレなど、世界的に著名なミュージシャンが輩出しているが、それはこうした独自の文化政策と無縁ではなかった。
他方、罪の部分は経済的停滞を招いたことである。計画経済を採用したマリは、最重要な輸出品目であるワタの取り引きと綿布の製造をはじめ、すべての基幹産業を国営化した。その結果、買い上げ価格が低く抑えられたことを嫌気した農民がワタ栽培に熱を入れないなど、マリの経済は悪化する一方であった。1980年代になってマリが世界銀行の構造調整プログラムを受け入れると、これらの領域は全面的に自由化され、マリの農民の生産意欲はいちじるしく高まった。マリのワタ栽培はアフリカ一の地位を占めるまでになっただけでなく、金の採掘も活発になった。それによって富が農村にまで循環するようになった結果、マリの社会全体が一定の豊かさを達成すると同時に、民主的な社会の実現に成功したのである。
1998年に生じたクーデターによって実現された第三共和制以降、多党制、言論の自由、政治的批判の自由、選挙による平和的な政権の移行など、マリはアフリカ社会の中では例外的な民主制を実現した。残念なことに、リビアでのカダフィー政権の失墜を契機にトゥアレグ人の独立運動が活発化し、それに乗じて「マグレブ・イスラームのアルカイダ」などのテロリスト集団が浸透して混乱が生じた。その結果、2015年の時点でもマリの国土は完全な平和を回復してはいない。
日本とマリのあいだの関係は薄く、マリ大使館が東京に開設されたのは2002年、日本大使館がマリに開設されたのは2008年に過ぎない。とはいえ、マリの人びとの人なつこさと、したたかさの入り混じった親切さは、一度出会ったなら忘れることができないはずだ。また、本書のなかでくわしく論じられる文化と歴史の豊かさもある。今後、日本とマリの関係がいっそう密になり、マリに平和が訪れることを、この本の出版とともに願っている。
(…後略…)