目次
はじめに
Ⅰ セルビアってどんな国?
第1章 多様性の国セルビア――地理的特徴と地域の多様性
第2章 セルビアとセルビア人――国内外のセルビア人とマイノリティ
第3章 セルビアとユーゴスラヴィアの複雑な関係――南スラヴ統一国家をめぐって
第4章 セルビアのシンボル――国旗、国章、国歌とその意味
【コラム1】紙幣にみるセルビア
Ⅱ 歴史
第5章 セルビア人以前のセルビア――東西ローマの境界地域
第6章 中世王国の時代――史実と伝説
第7章 オスマン帝国のバルカン進出――何が変わったか
第8章 セルビア蜂起の展開――独立か自治か
第9章 近代セルビア王国の建設――「大セルビア」か南スラヴの統一か
第10章 第一次世界大戦とセルビア王国――南スラヴの統一に向けて
第11章 パルチザンとチェトニク――内戦としての第二次大戦
第12章 社会主義ユーゴスラヴィアにおけるセルビア――高まる「不平等」への不満
第13章 ミロシェヴィチ政権とナショナリズムの高まり――「統一」の達成とその論理
第14章 連邦解体とユーゴスラヴィア紛争――民族の自決と「セルビア人問題」
【コラム2】ギリシアの中のヒランダル修道院
【コラム3】ドナウ川に佇む遺跡
Ⅲ 政治・経済・国際関係
第15章 政治制度の概観、諸政党の概観――現在のセルビア政治
第16章 社会主義からの転換――難航する民営化
第17章 見直される農業――農業立国に向けての期待と課題
第18章 中小企業振興――セルビア経済の鍵を握る中小企業
第19章 紛争とセルビアの責任問題――ICTYとの関係
第20章 コソヴォ問題――錯綜する歴史と現在
第21章 NATO空爆――疑問視される「動機」と「成果」
第22章 10月政変と民主化――2000年以降の政治概況
第23章 対外関係――EUとロシアのはざまで
第24章 存在感を強める中国――経済がおよぼす太い絆
第25章 旧ユーゴスラヴィア諸国との関係――内戦の傷跡を乗り越えて
【コラム4】シャルガンスカ・オスミツァ――観光鉄道の試み
【コラム5】ベオグラードの黄色いバス
Ⅳ 多様な地域、多様な人びと
第26章 首都ベオグラード――セルビア/南スラヴの都となった要塞の町
第27章 ヴォイヴォディナ自治州――民族の博物館
第28章 シュマディヤ――セルビアの心臓
第29章 サンジャク地方――ムスリム文化の色濃く残る地
第30章 アルバニア人マイノリティ――プレシェヴォ渓谷
第31章 セルビアに暮らすロマ――ロマ賛歌発祥の地
第32章 ボスニア、クロアチア、コソヴォのセルビア人――マジョリティからマイノリティへ
第33章 セルビア人ディアスポラ――西欧、北米、豪州などへの移民
【コラム6】ジェルダップ峡谷――多彩な顔をもつ最大の国立公園
【コラム7】知られざる温泉大国――お薦めの温泉地をご紹介
【コラム8】気軽に楽しもう、セルビア・ワイン
Ⅴ 社会と生活
第34章 宗教事情――さまざまな宗派と政教関係
第35章 スラヴァ――守護聖人の祝日
第36章 クムとクムストヴォ――家族と並ぶ強い絆
第37章 家族――人の愛をはぐくむところ
第38章 セルビアの衣食住――素朴という美学
第39章 進む教育改革――ボローニャ・プロセスと高等教育
第40章 メディアの状況――多様化と娯楽コンテンツの全盛
第41章 自然と環境――国立公園や環境保護
第42章 セルビア人の姓名――ミリツァを追うサラ、レナ、アナ
第43章 現代の社会問題――女性差別、同性愛差別
【コラム9】ジョーク大国セルビア
【コラム10】セルビア俳句雑感
Ⅵ 文化と芸術
第44章 南スラヴの口承文芸――グスラールの世界
第45章 ノーベル賞作家の数奇な後生――イヴォ・アンドリッチ
第46章 セルビア語とその方言――豊かな民族文化の源
第47章 民謡と民族舞踊――村の歌と踊りが、人びとに親しまれる芸術になるまで
第48章 修道院――ビザンティンにつながるセルビア人の心の拠り所
第49章 セルビア映画――パルチザン戦から黒い波、そして混乱
第50章 クラシック音楽と大衆音楽――「オリエント」の受容と拒絶
第51章 セルビアの詩人たち――過酷な歴史に咲いた言葉
第52章 スポーツ――対立の舞台、共生の結晶
第53章 スポーツとしてのチェス――過去の栄光をどう活かすか
【コラム11】ベオグラードのオーケストラ
【コラム12】ストイコヴィチ――セルビアのヒーロー、ナゴヤのヒーロー
【コラム13】ジョコヴィチ――「テニス大国(!?)」セルビアの立役者
【コラム14】セルビアの野球事情
Ⅶ 日本とセルビアの関係
第54章 日本とセルビアとの交流史概観――支援活動の積み重ね
第55章 ドゥシャン・トドロヴィチ――ロシア語を教えたセルビア人
第56章 ブランコ・ヴケリッチ――日本にやって来たセルビア人
第57章 ベオグラード大学日本学専攻課程とデヤン・ラジッチ博士――日本の心を伝えて
第58章 日本とセルビアの経済関係――潜在性を生かし切れていない分野
第59章 セルビアの花ベララーダ――蚊取線香との意外な関係
第60章 セルビアから見た日本――七人の侍からナルトへ
【コラム15】音楽を通しての交流
【コラム16】草の根文化交流50年
【コラム17】セルビア語を教えて
セルビアについてさらに知りたい人のための文献案内
前書きなど
はじめに
(…前略…)
「白い町」を意味する都市ベオグラード(人口は166万人)を首都とするセルビアは、その多様性の故か、私たちにとって、はっきりとしたイメージを描くのがむずかしい。そのうえ、セルビアにはユーゴスラヴィア内戦時に付与された負のイメージがつきまとい、なかなか払しょくできない。それでも、近年は「スポーツ大国」として、さまざまなスポーツでその活躍を目にすることが多い。サッカーの名古屋グランパスで選手として観客を沸かせ、監督としても活躍した「ピクシー」ことストイコヴィチ、現在の男子テニス界の頂点を極めているジョコヴィチのことを知らない人はいない。セルビアに「テニス留学」をする若い世代も生まれてきた。
また、セルビアは散在するローマ帝国の遺跡、ビザンツ美術と中世の修道院、オスマン帝国とハプスブルク帝国の遺産、そして海には面していないが、豊かな自然に恵まれている。しかし、日本からセルビアを訪れる観光客の数は微々たるものである。セルビアでの生活体験のある人は誰でも、もう少しこの国に関心をもつ人が増え、現地に赴いて陽気で話し好きの人びとと触れ合い、美味しい食事やワインを堪能する観光客が増加したらよいと思っている。編者としては、この国を対象として研究してみようと志す若い人たちがもっと出てきてほしいと切望する。現在では、東京大学、岡山大学、東京外国語大学、そして語学センターやカルチャーセンターでも、セルビア語を学習できる時代になっている。本書の目的は、このような人たちにセルビアの基本的な情報を提供することである。
編者の柴は今から40年前、1975年から77年まで社会主義ユーゴスラヴィアのよき時代のベオグラードに留学した。もう一人の山崎は20年前、1995年から97年までボスニア内戦終結直後の混乱期に、新ユーゴのベオグラードに留学した。そのほか、本書の執筆者の多くは、外交官として、国際協力機関の職員として、あるいは留学生としてセルビアでの生活体験を持った方々である。セルビアに長年住み、現地で活躍されている方々もいる。執筆者の数が30名におよんだため、当初の刊行予定が大幅に遅れてしまった。早くに原稿を執筆してくださった方々には多大なご迷惑をおかけしたが、類書のないセルビアに関する基本書ができたと自負している。
最後に、本書は各章の理解を助けるための写真、地図、図表をなるべく多く挿入するように努めた。本書がセルビアを旅行する際のガイドブックとして広く利用されること、また、バルカン地域研究の入門書として読まれることを願っている。なお、セルビアの国データ、地図、参考文献については、執筆者でもある鈴木健太さん(日本学術振興会・特別研究員PD)の全面的な協力を得た。写真の一部については、鈴木さんとベオグラード在住のカメラマン、吉田正則さんが快く提供してくださった。この場を借りて両氏にお礼を述べたい。いつも適切に編集作業を進めてくださった明石書店編集部の兼子千亜紀さん、手間のかかる最後の編集作業をこなしてくださったアメイジングクラウドの松本宣行さん、小口恵津子さんにも心からの謝意を表したい。
2015年9月 編者を代表して 柴宜弘