目次
まえがき
第1章 苦悩は続く、被災地の浜
相馬の漁師、汚染水に怒る
「試験操業」にかける悲願
風評の影は宮城の海にも
新たな難題、サブドレン
いわきの地魚文化を守る
第2章 三陸の海人たちの試練
復活「十三浜わかめ」の危機
風評を超える力は人の絆に
ホヤ初水揚げにも販路なく
ボランティアに広まった味
共同の名産品づくりで勝負
第3章 農の担い手はいずこに
「原発粉じん」の報に揺れ
南相馬のコメ、再開の行方
「減収1千万円」米価暴落
相馬農高生の魂を受け継ぐ
第4章 飯舘の春 いまだ遠く
松川第1仮設住宅の3年間
居久根の木々が除染を問う
農地除染は進む、されども
山の神は原発事故より強し
失われたオオカミ絵を求め
「までい着」作りに託す命
あとがき
前書きなど
まえがき
「風評は一時の『風』でなく、復興を妨げる『壁』になった」。それが現実であると実感したのは、東日本大震災から4年目を数えた2014年3月だった。宮城県内の水産業に携わる人々が被災地の浜の復旧・復興を議論したシンポジウムで、福島第1原子力発電所からの汚染水流出の影響と被害を訴える、悲鳴のようなメッセージの数々を聴いてからだ。
(…中略…)
冒頭のシンポジウムの後、いわき市四倉町から宮古市重茂半島まで訪ね、取材ノートを埋めていった声だ。14年5~6月に「『風評』の壁 模索する浜」という河北新報の社会面連載にまとめたが、問題がそこで終わるはずはなく、再訪するごとに当事者たちの状況も変わり、続報が積み重なった。2011年以来、震災取材記をつづってきたブログ「余震の中で新聞を作る」(河北新報オンラインコミュニティー、ウェブマガジン『現代ビジネス』に掲載)に、それらを詳報したシリーズ「風評の厚き壁を前に」がこの本にまとまった。
風評は被災地の浜のみならず、14年7月、福島第1原発構内から粉じんが遠く飛散した疑いが報じられ、コメ作り復活に向けて実証試験を重ねていた南相馬市内の農家をも巻き込んだ。「原発粉じん」の原因究明は、しかし、国によってあいまいな結論にされ、やり場のない怒りと新たな風評への疲労感が地元に残された。この「事件」は、原発事故以来4年間、稲作復活の可否を手探りしてきた農家の人々に重くのしかかった。さらに14年秋には全国的なコメ余りを背景に米価(概算金)が下落し、福島県浜通り産コシヒカリは4割減の暴落になった。追い討ちを受けた形の農家は「作るほど赤字。ここにも風評が反映された」と口をそろえる。米価暴落は、水産物への風評を抱えた漁業者と同じ苦境に農家を追いやり、コメの行方のみならず、誰が農業復興を担うのか?──の未来図も不透明になった。
南相馬市の隣、飯舘村では14年春から家屋と農地除染が本格的に始まった。田んぼは耕土を削られて山砂で覆われ、黒いフレコンバッグ(汚染土の袋)の仮置き場が広がる。土作りに歳月を要する田んぼ再生の多難さ、「またコメを作ったとしても、風評でどうせ売れまい」という諦め、そして米価暴落が、住民の帰農、さらには帰村への意欲を揺るがせる。
東北の外で「震災の風化」は進むが、「風評」はなくならず、被災地と消費地を隔てる「壁」になった観がある。しかし、この取材で知り合った漁業者や農家は、そんな二重の苦境の中でも前を向き、安全確認の厳しい検査に努力を注ぎ、試験操業に漁業再生の希望を託し、農地を生き返らせる実験を重ねる。消費者とのつながりを一から模索している。古里の震災と家族の犠牲、原発事故の癒えぬ痛みを抱え、風評払拭の重いコストを背負い、市場原理の過酷な風にさらされ、「対策の前面に出る」との公約を繰り返しながら責任を果たさぬ国に憤る。その姿と声を、伝えなくてはならないと思った。
(…後略…)