目次
はじめに
序章 学習するコミュニティの構築に向けて
第1節 現代社会における教育政策の動向
第2節 なぜ「社会教育」なのか
第3節 制度・政策としての社会教育の意義に関する研究動向
第4節 本書の構成
第1章 学習するコミュニティのガバナンスとは
第1節 社会教育をめぐる公共性概念の再検討
1.1 課題設定
1.2 「権利としての社会教育」論の憲法論的基礎
1.3 「公教育」とは何か
1.4 教育における公私二元論の構造と課題
1.5 公教育の共通概念の構築に向けて
第2節 コミュニティ・ガバナンスとシティズンシップ
2.1 なぜ「ガバナンス」なのか
2.2 シティズンシップをどう学ぶのか
2.3 社会関係資本と社会教育
第3節 小括
第2章 シティズンシップへの学習と社会教育の効果
第1節 社会生活における学習活動の阻害要因
1.1 課題設定
1.2 先行研究と仮説
1.3 分析
1.4 まとめと考察
第2節 政治的関与に対する社会教育の効果
2.1 問題設定
2.2 先行研究
2.3 仮説
2.4 変数
2.5 分析結果
2.6 まとめと考察
第3節 社会関係資本に対する社会教育の効果
3.1 問題設定
3.2 先行研究
3.3 仮説
3.4 変数
3.5 分析結果
3.6 まとめと考察
第4節 小括
第3章 教育行政組織の再編と社会教育
第1節 社会教育における教育委員会制度の意義と課題
1.1 問題設定
1.2 社会教育関連事務の所掌に関する政府見解
1.3 出雲市の組織機構改革過程
1.4 まとめと考察
第2節 都市における教育行政組織機構の再編と公民館の位置づけ
2.1 研究の目的と課題
2.2 枠組み
2.3 政令指定都市・中核市における組織機構再編の動向
2.4 豊田市における行政組織再編
2.5 まとめと考察
第3節 小括
第4章 学校と地域の連携によるシティズンシップの向上
第1節 学校と地域の連携によるシティズンシップ教育とガバナンス
1.1 研究の背景と目的
1.2 課題設定と先行研究
1.3 事例の概要
1.4 飯田市座光寺地区の事例
1.5 まとめと考察
第2節 学校・家庭・地域連携施策におけるコーディネーターの力量形成
2.1 研究の背景と目的
2.2 課題設定と先行研究
2.3 事例調査の概要
2.4 コーディネーターの仕事内容と教育的効果
2.5 社会関係資本の構築過程
2.6 コーディネーターの力量形成過程
2.7 まとめと考察
第3節 小括
第5章 コミュニティ・ガバナンスと社会教育
第1節 青少年行政の総合化と公民館の機能
1.1 研究の背景と課題
1.2 調査概要
1.3 事例1:島根県出雲市
1.4 事例2:愛知県豊田市
1.5 まとめと考察
第2節 青少年事業のネットワーク化とコーディネーターの役割
2.1 課題設定
2.2 大分県佐伯市の青少年育成組織再編の経緯と現状
2.3 ネットワーク分析
2.4 まとめと考察
第3節 小括
終章 総括:得られた知見と残された課題
第1節 本書のまとめ
第2節 本研究から得られた知見と残された課題
第3節 本研究の示唆
引用・参考文献一覧
初出論文一覧
あとがき
前書きなど
はじめに(佐藤智子)
人は様々な場で学んでいる。ひとりで過ごす時間の中で学ぶことも、親しい仲間と、あるいは、その場限りの出会いの中で共に学ぶこともある。それが意識的に行われている活動の場合もあれば、日常生活の中の偶発的な出来事の場合もあるだろう。
程度の差こそあれ、私たちは誰しも、生涯にわたって学んでいくことの重要性に気づいている。しかしながら、いざ実行しようという段になると、途端に、迷路や逆境の中にいる現状に気づくことも多い。どこで、何を、どのように、誰と学べばよいのか、自らの学習の目的と目標を明確化しながら、自律的に計画し実行できている人は、実際のところ非常に少ないのではないだろうか。
一方で、現在の私たちが身体的にも文化的にも埋め込まれている社会的状況から眺めると、私たちの学びが「不足」することによってどれほどの社会問題が放置されたり悪化したりしてしまうのか、その問題解決や社会変革のために私たちの能動的・自律的な学びにどれほどの期待が集まっているのかを知ることもできる。
能動的・自律的に「学習する」ということは、日々の生活や労働に追われている人々にとっては、非常に難しいことのように感じられるかもしれない。社会生活の中に学習を妨げる多くの要因がある現実を真摯に受け止め、皆でアイディアを出し合い、対策を講じていかなくてはならないという点は、指摘するまでもなく重要なことである。
ただ、一方では、毎日のように学校に通ったり、通信教育などの方法で教材を購入・購読して行うものだけが「学習」ではないという点にも目を向けていきたい。無論、深く確かな教養を得るためには、強いて意識的に読書をしたり、専門家の講演を聴きに行くことも重要である。喩えて言うならば、「学習」が、スーツを着て臨む重要な経営会議の類のものであったり、お洒落をして出かける楽しいイベントのようなものであったりする側面も必要であろう。しかしより本質論的に言えば、「学習」とは、社会生活の中の日常的な場面において、ごく自然に生起するものであるべきではないかと思うのである。
社会に変革をもたらすような「学習」は、日常生活の些細なコミュニケーションの積み重ねによってこそ創発するものでもある。同時に、そのような「学習」は、悪意のある言動や無作為によってのみならず、「無知」の善意によっても、容易に阻害されたり壊されたりする。だからこそ、良質な学習を生起させ続けるための創造的な環境の維持・生成に向けて、誰一人として排除されることなく、社会的な学習過程に参加できることが重要だと感じている。本書は、そのような学習環境とはどのようなものか、そして、それがどのように構築可能か、そこでの具体的な社会的・政策的課題とは何か、という問題に取り組んだ研究成果である。