前書きなど
訳者あとがき
本書はエマニュエル・ルパージュ作のUn Printemps a Tchernobyl(『チェルノブイリの春』)(2012年Futuropolis社より刊行)と時事問題専門のバンド・デシネ(BD)季刊誌La Revue dessinee 第2号(2013年12月発売)に掲載された“Les Plaies de Fukushima”(「フクシマの傷」)の完訳である。この二つの作品が一冊の本に収められることになり、本当に嬉しい。というのも、この二作は対をなすもの、補完しあうものだと思うからだ。
このことを理解するには、『チェルノブイリの春』の創作の経緯を説明する必要があるだろう。
『チェルノブイリの春』は、2008年5月に、ルパージュが経験した2週間のチェルノブイリ滞在をドキュメンタリー風に描いた作品だ。本書にも描かれているように、当地滞在中に描いた絵はもともとある支援団体の活動のためのものだった。事実帰国後、ジルダ・シャスブフとの共著Les Fleurs de Tchernobyl(『チェルノブイリの花』)が予定通り刊行された。しかしこの本のできにルパージュは不満だった。持ち帰った絵の半分ほどが掲載されず、載った絵も、描かれた状況や、込められた思いなどがわからないような作りになっていた。自分のチェルノブイリ体験のごく一部しか反映されていないと感じたルパージュは、なんとか別の作品でこの経験を語ろうと思った。
最初はフィクションにすることを考えた。フランスで原発事故が起きたらどうなるか、そんなBDだ。ところが2011年3月、福島で実際に大きな原発事故が起きた。現実がフィクションを追い越す形となり、彼の想定していた物語など意味をなさなくなった。そこで、以前の作品で用いた手法を再び使うことにした。現地で描いたスケッチ、持ち帰った絵に帰国後手を入れ、仕上げたイラスト、そしてナレーション部分を担うBDと3つの技法をおりまぜ、ドキュメンタリー風の作品に仕上げた。つまり、『チェルノブイリの春』制作の発端に福島原発事故があるといっても過言ではないのだ。
2012年はルパージュにとって日本年とも言えるような年になった。4月、ルパージュの代表作とも言える『ムチャチョ』の邦訳が出版。10月フランスで新作『チェルノブイリの春』が刊行。その直後の11月、日本で、第1回海外マンガフェスタが開催され、特別ゲストとして招待された。「フクシマの傷」にもあるように、いくつかの講演を行ったが、その通訳を『ムチャチョ』を翻訳した縁でわたしが務めさせていただいた。講演の内容は、邦訳が出た『ムチャチョ』創作秘話、彼の絵の描き方、色使い、そして最新作『チェルノブイリの春』についての話が中心となった。東京でのイベントのすべてに通訳として過ごしたわけだが、会ってすぐ、わたしはルパージュの人柄に魅了された。
(…後略…)