目次
巻頭言 会員論集・第十六集発刊に当たって[水野孝夫]
Ⅰ 特別掲載
最近の話題から[古田武彦]
真実の学問とは――邪馬壹国と九州王朝論[古田武彦]
『和田家文書』の安日彦、長髄彦――秋田孝季は何故叙述を間違えたか[安彦克己]
Ⅱ 研究論文
続・越智国にあった「紫宸殿」地名の考察[合田洋一]
福岡市元岡古墳出土太刀の銘文について[正木裕]
「大歳庚寅」象嵌鉄刀銘の考察[古賀達也]
「百済祢軍墓誌」について――「劉徳高」らの来倭との関連において[阿部周一]
百済人祢軍墓誌の考察[古賀達也]
百済人祢軍墓誌についての解説ないし体験[水野孝夫]
筑紫なる「伊勢」と「山邊乃 五十師乃原」[正木裕]
「国県制」と「六十六国分国」――「常陸国風土記」に現れた「行政制度」の変遷との関連において[阿部周一]
「阿麻来服(「新羅本紀」記事)」から解く「日本国」誕生[西井健一郎]
Ⅲ 付録――会則/原稿募集要項/他
古田史学の会・会則
「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
第十七集投稿募集要項/古田史学の会 会員募集
編集後記
前書きなど
会員論集・第十六集発刊に当たって(古田史学の会・代表:水野孝夫)
「古田史学の会」は一九九四年に発足した会です。十九年目を迎えました。
会の目的は会則第二条に記載されています。
「本会は、古田武彦氏の研究活動を支援し、旧来の一元通念を否定した氏の多元史観に基づいて歴史研究を行い、もって古田史学の継承と発展、顕彰、ならびに会員相互の親睦をはかることを目的とする」。
定期的な情報として発行する、会員論集『古代に真実を求めて』はここに第十六集を迎え、会員用のニュース紙として発行する、「古田史学会報」(年六回)は、こちらも百十六号を発行しました。古田武彦氏の新しい研究や講演内容もあれば、それに刺激された会員の研究成果などが、絶えず掲載されています。これらの情報の一部はインターネットのホームページ「新・古代学の扉」にも発表されています。古田武彦氏の言説に関心のある方々のご利用をお待ちします。
古田武彦氏は昭和四十七年の著書『「邪馬台国」はなかった』以来、定説を否定する驚くべき古代史像を世間に提供してこられました。三国志のすべての写本に「邪馬臺国」と書いたものはなく、「邪馬壹(または一)国」であり、後代の文献に「邪馬臺国」とあるからといって、「壹は臺の誤り」とする根拠にはならないとする氏の説は、これを当然とする、われわれの会の原点であります。この目で見てゆくと、後代の学者の考えで原典の文字を勝手に変えた例が歴史資料に多いことに驚かされます。
平成二十四、五年にも古田武彦氏の学問にとって画期的なテーマが次々に登場しました。
陳寿の著作・三国志全体の序文が、「東夷伝」の序文の形で保存されていたこと。これは著書『俾弥呼』となって結実しました。本居宣長批判、古田武彦氏は師・村岡典嗣氏を通して孫弟子にあたるという自覚をもたれ、また「師の説にな、なずみそ」という学問の精神を学びながら、自家のイデオロギーによって古典の文面を直すという方法論に反対されたのです。
三角縁神獣鏡の研究、多くの考古学者が、この鏡は中国製という先入観のため日本製という観点からの研究がありませんが、中国からは発見されておらず、総発見数が四百枚を超える。
埼玉県・稲荷山古墳鉄剣銘中の文字、「臣」と読まれてきたその文字は、実は「豆」ではないか?
三国志の女王の都するところ「邪馬壹国」の「壹」の字の中にも「豆」が含まれます。これは神に捧げる食器の意味。思想史学を専攻された氏の面目躍如たるものがあります。
近年発見された百済人・祢軍墓誌の研究も大切と思われるので、本誌に取り上げました。
古田氏は八十七歳ながら、研究自伝『真実に悔いなし』を執筆・出版されるなど、お元気です。ますますの御活躍を願っております。
会員論集は会員のどなたにも、定説にとらわれることなく「真実」を探求した成果を発表する場であります。今後とも活発なご投稿をお願い致します。