目次
はじめに
I 人々と風景
第1章 スペインのなかのアンダルシア――文化的自決を唱えるプエブロ
第2章 アンダルシア人のアイデンティティと基層文化――アル・アンダルスの時代の評価
第3章 自然景観と気候――景観と気候の多様性
第4章 都市の魅力――セビーリャ、コルドバ、グラナダ、マラガ、カディス
第5章 白い村――「プエブロ」とアグロタウンの社会構造
第6章 豊かな大地(1)――オリーブの地
第7章 豊かな大地(2)――ブドウ栽培
第8章 豊かな大地(3)――山の恵み
第9章 海岸と観光――すべては太陽の下に
II 暮らしと社会
第10章 アンダルシア的な暮らし――独特な時間の使い方、人生を楽しむこと、家族
第11章 アンダルシア人気質と友人関係――じつは閉鎖的なアンダルシア人とコネ社会
第12章 パティオがある生活――家庭と社会生活の憩いの場
第13章 祭りと宗教(1)――カーニバル
第14章 祭りと宗教(2)――セマナ・サンタ
第15章 祭りと宗教(3)――ロメリーアとフェリア
【コラム1】祭りと伝統的衣装
第16章 都市の若者たち――厳しい雇用状況との闘い
第17章 サッカー熱――セビーリャの2チームの、くだらないが深刻な対立
第18章 アンダルシアのロマ――ヒターノたちの歴史と現状
【コラム2】珍しい住居――サクロモンテの洞窟住居
第19章 食文化(1)――市場の食材のいろいろ
第20章 食文化(2)――タペオの世界
III 文化と芸術
第21章 アンダルシア方言――言語的特徴と歴史的位置づけ
【コラム3】アンダルシア方言とアラビア語
第22章 17世紀セビーリャ派の画家――カトリック信仰と聖なるイメージ
第23章 アンダルシアの19世紀絵画――「スペイン的なる」主題を求めて
【コラム4】ピカソとマラガ
第24章 黄金世紀の文学――そのアンダルシアとの接点
【コラム5】外国人文学者から見たアンダルシア
第25章 アンダルシアの詩人たち――詩人の宝庫
第26章 ガルシア・ロルカとスペイン内戦――「プロのアンダルシア人」の悲劇
第27章 闘牛――光と影のスペクタクル
第28章 フラメンコの創造――「ジプシーの踊り」から世界遺産へ
【コラム6】フラメンコとカンテ
第29章 アンダルシアの音楽――文化の混淆と宗教音楽から民族音楽派の誕生へ
IV 政治と経済
第30章 アンダルシア自治州の誕生――その困難な道のり
第31章 カリスマ的政治家フェリーペ・ゴンサレス――民主制定着の過程における功罪
第32章 経済問題――「アルメリアの奇跡」を他産業でおこせるか
【コラム7】新しいエネルギーと産業の可能性
第33章 伝統農業の行方――日雇い農民の闘争
第34章 アルメリアの新しい農業――EU農業の一大ビニールハウス栽培地帯
【コラム8】漁業の現状と地中海マグロ
第35章 外国人との共生をめざして――サラダボウル化した移民の社会的統合は可能か
【コラム9】セウタとメリーリャ
V 歴史的歩み
第36章 バエティカの時代からゲルマン民族支配の時代へ――文明の十字路をめぐる興亡
第37章 アンダルスの時代――アラブ・イスラーム的なアンダルシア
【コラム10】アヴェロエスとマイモニデス
第38章 レコンキスタと「アンダルシア」の誕生――キリスト教徒の「アンダルシア」へ
【コラム11】セビーリャのNODOの由来
第39章 最後のイスラーム王朝、グラナダ王国――アラブ・イスラーム文化の残照
第40章 グラナダ陥落からモリスコ追放へ――1枚の写真から
【コラム12】カトリック両王の墓所――グラナダの王室礼拝堂
第41章 大航海時代のアンダルシア――新大陸への扉、セビーリャ
【コラム13】慶長遣欧使節とコリア・デル・リオ――幻に終わったハポンさんとの対面
第42章 啓蒙思想と新定住地開拓計画――パブロ・デ・オラビーデの夢
第43章 スペイン独立戦争下のアンダルシア――港町カディスと自由主義憲法
第44章 停滞の19世紀――産業革命の挫折
【コラム14】リオティントとリナレスの鉱山――収奪された地下資源
第45章 ブラス・インファンテとアンダルシア地域主義――スペイン主義的な地域主義
第46章 自由と土地を求める農民たち――共同体的反乱から組合主義へ
第47章 内戦とフランコの独裁――弾圧とその「記憶」
第48章 出稼ぎ移民の生活――アンダルシアからバルセローナ、ヨーロッパ各国へ
VI アンダルシアの世界遺産
第49章 アルハンブラ宮殿――イスラームの栄華の最後の輝き
第50章 コルドバのメスキータ――アーチと列柱の無限の反復がつくり出す祈りの空間
第51章 セビーリャのカテドラルとアルカサル――カトリック信仰とイスラーム建築の混淆
第52章 ウベダとバエーサ――スペイン・ルネサンスを継承する二つの町
第53章 ドニャーナ国立公園――多様な生態系
おわりに
アンダルシアを知るためのブックガイド
アンダルシアを知るためのシネマガイド
前書きなど
おわりに
本書の執筆依頼を受けたのは、4年ほど前のことであった。明石書店が国別の「エリア・スタディーズ」に加えて、国の枠を超えた「エリア」を扱いたいという申し出であった。スペインという国を超えるということでは、イベリア半島や西地中海という広域を扱うということも可能であるが、むしろスペインの場合には、その多言語・多文化社会の現実からして、カタルーニャ、バスク地方、ガリシアといった地域固有言語をもつ地域に焦点をあてる必要のあることを、そのとき研究室を訪ねてくれた編集の方に熱く語った思い出がある。幸いに、バスク地方は『現代バスクを知るための50章』として、ガリシアは『スペインのガリシアを知るための50章』として刊行されるに至り、私が引き受けたカタルーニャに関しては、現在準備中である。
そのときにもう一つぜひとも単独で扱いたいと話したのが、本書の扱うアンダルシアである。わが国では、この地域はあまりにもスペインを代表するかのように紹介されてきた。一つの逸話を記したい。1980年代のヨーロッパの状況を論じるエンツェンスベルガーは、当時「スペイン南部の家々」の多くの壁に〈ワレラハヒトツノ国民ナリ!〉Somos una nacio と書かれているのを見て、スペインが「遠心分離機」のような状況にあることを指摘する(『ヨーロッパ半島』、「スペインのかけら」の章)。しかしこの邦訳を読んだある研究者は、「現在における地政学上の文脈のなかで」アンダルシアは、カタルーニャやバスクに反発して〈われわれは統一国家スペインである!〉と主張していたのだと反駁の文章を書いている。この研究者は明らかにスペイン=アンダルシアという思い込みから、当時、スペイン語(カスティーリャ語)を母語とする「スペイン南部の家々」でも、広汎な自治権を要求する動きがあったという事実に思い至らなかったのである。
21世初めのいま、エンツェンスベルガーが指摘したような目立ったかたちの運動は見られない。しかし、2007年に改正されたアンダルシア自治憲章がアンダルシアを「歴史的地域民族体」と自己規定しているように、ますます「文化的自決の原則」を強めている。アンダルシアといった「エリア」を知るためには、これまでの国民国家の枠組みからはなれて、広く文化・社会・歴史を理解することが大切であろう。
本書の企画を進めるにあたっては、まず共編者として塩見千加子さんにお願いした。塩見さんはアンダルシア農村社会についての文化人類学研究を進めており、現地滞在も長く(現在はセビーリャ在住)、現地のローカルノレッジに通暁しているからである。そして私たちで構想を練りあって、それぞれの専門家に各章の執筆をお願いしてできあがったのが本書である。早くから原稿を出された方には、編者の事情から大幅に刊行が遅れたことをお詫びしたい。また、途中から編集を引き継がれた明石書店編集部の兼子千亜紀さんには、この場を借りてとくに感謝の意を表したい。兼子さんのイスパノフィロ(スペイン愛好)の熱心さのおかげで、思わぬ過ちを正すことができ、素敵な装丁に仕上がった。
スペインのなかでよく知られているが、偏ったイメージでとらえられがちなアンダルシアについて、本書がステレオタイプ的でない新たな「エリア」案内となることを願いたい。
2012年8月 浅間山麓にて 立石博高