目次
はじめに
第一章 東大話法の本質
虐殺の言語
東大話法とは
選択の自由
「語りえぬもの」と「暗黙知」
「完璧」な解答
「箱」システム
「芋づる式」の思考
東大話法の下手な原発関係者
大橋教授の開き直り
措定された「文脈」
「討論」と「言い争い」
ヤラセの原理
民主主義の形骸化
フィードバックのために「名を正す」
論語とサイバネティックス
サイバネティックな民主主義
大橋教授の誤謬
歪められた「名」
第二章 『原子力安全の論理』の自壊
放射線防護の基本的な考え方
組合せ爆発
DBEとPSAという魔法の杖
経験に学ぶフィードバック
人的因子
名を歪める
正直者を使いに出す
第三章 田中角栄主義と原子力
田中派の成立と五五年体制の終焉
七二年体制の政治構造
体制派と非体制派との区別
「我田引鉄」政策
宮本太郎教授の概観
親中政策
田中主義
小泉主義
小沢一郎の政策と反小沢
日本政治全体の見取り図
原子力発電所の意味
田中角栄と原子力
田中主義の終焉
小泉主義の終焉とアメリカの南米化
第四章 なぜ世界は発狂したのか
ヴェルサイユ条約
ヒトラーの出現
「見せかけ」によらないマネジメント
総力戦の時代
靖国精神
怨霊の思想
テロ・ゲリラ戦争の時代
原発と原爆
妄想から現実へ
終章 結論――脱出口を求めて
子どもに聞くこと
放射性物質からの離脱
なでしこジャパンの非暴力の戦い
四川地震の日本の救助隊
PRBC構想
フクシマの「風評被害」
日本ブランドをいかに回復させるか
おわりに
附論――放射能の何が嫌なのか
文献
前書きなど
はじめに
二〇一一年三月一一日の大地震・津波によって引き起こされた福島第一原発の事故は、日本社会に深刻な衝撃を与えました。その衝撃の本質を見極めないことには、私たちのとる対応が当を得ることはあり得ません。その後の一年以上の時間で明らかになったことは、残念ながら日本社会が、その本質をみ得ていない、ということでした。
なぜ日本社会はこの事態にうまく対応できないのでしょうか。それは認識枠組みの歪みに起因するのではないか、と私は考えています。日本は西欧諸国以外ではじめて「近代」に対応した社会です。なぜ日本がそんなにうまく対応できたのか、についてはさまざまの説が唱えられてきました。私は「集団性」という概念が重要ではないかと考えています。
一九世紀後半からの一〇〇年間の技術は、全てが重厚長大でした。蒸気機関は馬鹿みたいに大きくて嵩張っていました。それを動力とする生産機械も、蒸気機関車も、ものものしいものでした。そういった機械を動かすには、膨大な数の人が力を合わせる必要があり、いったん動き出したら、人間がそれに合わせて一糸乱れず動く必要があったのです。
こういうことに対応するには、大きな集団を機械に合わせて動かす必要があり、人々が集団を自分より優先する態度が不可欠でした。近世日本社会は偶然にも、そういう態度をそもそも自らのものとしていました。それゆえ、大きな機械の操作には、容易に対応できたのではないでしょうか。
(…中略…)
私たちの社会の現在の問題は、こうして形成されつつある新しい現実に、まったく対応できていないことです。なぜなら日本は、それ以前の時代に最も大きな成功を収めた社会だからです。成功が大きければ大きいほど、その時代の認識枠組みから抜け出すことは難しいものです。それはイギリスが二〇世紀に大変な苦労を重ねたことからもよくわかります。
私たちが直面している困難は、この認識枠組みに由来する、と私は考えています。国債の累積、年金の破綻、企業活動の停滞、少子化、田舎の荒廃、都会の陰鬱などは、すべてこの文脈で生成したものだと。原発事故を引き起こした「原子力ムラ」の形成もその一環です。
新しい世界では、人間の創造性こそが価値の源泉であり、機械はその開花を手助けするために活用されねばなりません。それができなければ、機械は人間が人間を思いどおりに操作するための巧妙な欺瞞と隠蔽の手段と化してしまいます。
既に出現した「変わってしまった世界」は、私たちが「現実の世界」だと思い込んでいるものと、まったく違っています。このズレが我々の直面する困難の本質であり、認識枠組みの是正が、事態に対処するために、決定的に重要です。
とはいえ、人間は既に知っていることに固着する動物であって、自分が知りもしない枠組みを自分のものにすることなど、なかなかできないことです。たとえば日本は、「開国」から「脱亜入欧」をめざして、必死で西欧文明を自らのものにしようと努力してきました。しかし、結局のところ枠組みそのものを受け入れるには至っていません。
(…中略…)
では私たちは、どうすればよいのでしょうか。私の考えはこうです。自らの内にある要素を見つめ直し、組み換えて、新たな要素と接続しつつ、現実に対応すること。言い換えるなら、日本の文化と歴史の鉱脈から、新たな時代に対応しうる資源を発掘し、再生することです。
幸いなことに、日本の豊かな歴史文化のなかには、多くの金鉱が眠っています。それに、日本列島は、世界で最も美しく豊かな自然に恵まれています。この自然は、単なる自然ではなく、私たちの先祖が汗水たらして知恵を絞り、創りだしてくれた貴重な人工の自然、つまり「里山」です。これらの文化と伝統とを見つめ直し、再生していくことが、私たちが生き延びるためになによりも大切なことです。
私が福島第一原子力発電所事故をカタストロフだと考えるのは、このためです。数限りない人々の命と共に、我々が先祖から受け継いだ美しい国土という宝を、放射能で汚染してしまうなど、許されることではありません。このような愚行を犯した人々を、私は憎悪します。そして、それを隠蔽し、たいしたことはない、などと言う人々を、心の底から軽蔑します。そんなことをしていれば、私たちは罰があたって地獄に堕ちるでしょう。
地球環境問題、核による最終戦争の可能性、原発事故および放射性廃物による地球の破壊、人口爆発、食料・水不足、民族紛争、テロ戦争などといった、現代の私たちが直面しているさまざまの困難は、近代文明が失敗したから起きているのではなく、成功したから起きていることです。それはつまり、近代的枠組みそのものが生み出した困難だ、ということであり、私たちは枠組みそのものを発展させる必要に迫られています。
日本は西欧文明を早期に導入しつつ、自らの伝統を曲がりなりにも守った稀有な社会です。これは、西欧的枠組みそのものが孕む盲点を解明し、より客観的な知識を樹立する上で、最も有利な条件です。そのためには、自らの歴史文化に立脚して思考する必要があります。それでこそ近代の盲点に気づくことが可能だからです。この営為は、近代の認識障害を解除し、同時に我々の民俗的盲点をも緩和し、現在直面しているさまざまの恐るべき困難を、合理的思考によって乗り越える道を開くものです。この探求は、専門研究者ではなく、全ての人がそれぞれに取り組むべきことです。
そしてもし私たちが、今回の原発震災によって生じた危機を直視し、そこから自らの力で考えぬいて道を探り出すなら、それは全人類に対して、大きな貢献をすることになる、と信じています。本書は、そのための私自身による私自身のための考察の記録です。皆さまが、それぞれにお考えいただく上での手がかりになれば、と願っております。
なお、本書は前著の姉妹篇ですが、これだけをお読みいただいても理解できるように書かれています。