目次
はじめに
バスク地方略図
バスク語の語のカタカナ表記に関するガイド
I 土地・ひと・ことば――バスクへの誘い
第1章 バスク地方とは――空間領域の問題
第2章 バスク人とは――その起源と自己定義
第3章 バスク語とは――系統不明の謎の言語
第4章 バスクの「家」――屋号・名字・個人名
第5章 山バスク――バシェリを中心とする小宇宙
第6章 海バスク――異質な外界との門戸
第7章 バスク的でないバスク地方――分水嶺の南側と飛び地
【コラム1】ベレー帽
〈フィールドノート1〉バスク語を学ぶには
II 移ろいゆくものと留まるもの――歴史
第8章 歴史舞台への登場――ローマ化とキリスト教化
第9章 フエロス体制――旧体制下のバスク地方
第10章 近代化の足音――経済活動の発展と社会的反目
第11章 民族・階級・国家――民族主義・社会主義・国家主義
第12章 抑圧・加担と忍従・抵抗――フランコ政権下のバスク地方
第13章 グローバルなヒトの移動――在外同胞と流入者
第14章 日本とバスクとの関わり――端緒としてのカトリックと柔術
【コラム2】洞窟画・ドルメン・メンヒル
【コラム3】巡礼の道
【コラム4】ゲルニカ
【コラム5】世界史の中の「バスク人」
〈フィールドノート2〉フランコ体制下のバスク
III 「バスク地方」の形成と再編――領域性・民族性・歴史性
第15章 「バスク地方」の形成――領域性の拡大か拡散か
第16章 バスク自治州――領域・自治権・県制
第17章 バスク・ナショナリズムの行方――その多様化と和平の模索
第18章 ナファロア自治州――異例の成立過程と更改された特権体制
第19章 錯綜し席巻する「ナバリスモ」――スペインの淵源かバスクの源郷か
第20章 歴史の重み――2種類のderechos historicos
第21章 経済協約と経済協定――高度な財政上の自治
第22章 フランス領バスク地方――変革の兆しか
第23章 バスク・ディアスポラの現在――時間的・空間的隔たりとの向きあい方
【コラム6】ハイアルディア(国際バスク文化フェスティバル)
〈フィールドノート3〉ボルドーの「バスクの家」
IV われわれ意識をつくる――アイデンティティと表象
第24章 記念日――「祖国バスクの日」と「自治州の日」
第25章 イクリニャ――民族旗か自治州旗か
第26章 バスク民族の歌――歌曲の政治性
第27章 バスク語の「正常化」――言語政策と言語権
第28章 バスク語教育の現状――存続・教育から普及へ
第29章 カトリック教会とバスク――バスク人の心の支え
第30章 身体性とバスク・アイデンティティ――伝統スポーツの技法
第31章 バスク・アイデンティティの復興――「記憶」の継承と再生の「場」
第32章 変容するバスク・アイデンティティ――バスク地方辺境域とグローバル都市
【コラム7】コリカ
【コラム8】エチェパレ・インスティテュート
【コラム9】アランツァス
〈フィールドノート4〉サッカー・夢・挑戦
V きずなとしがらみの間――伝統文化
第33章 伝説・伝承――昼と夜、大地と精霊
第34章 歳時記・年中行事――四季と人びとの営み
第35章 伝統的な習俗――古きをたずねる
第36章 諺・格言――古いことばは賢いことば
第37章 口承文芸――時空を越えて、人から人へ
第38章 ベルチョラリツァ――ことばとメロディの職人芸
第39章 力比べ・技競い――労働からスポーツへ
第40章 食文化――バスクの日常の食卓
第41章 バスク女性――伝統社会の神話を乗り越えて
【コラム10】ラウブル
【コラム11】オレンツェロ
【コラム12】アスペイティアのソシエダデ
【コラム13】バスクの酒
〈フィールドノート5〉バスクと日本の伝統スポーツ比較
VI 古くて新しいもの――グローバル社会の中のバスク
第42章 「グッゲンハイム効果」――美術館誘致による都市再生という投機
第43章 バスク語環境の近代化――古くて新しい言語へ
第44章 バスク語文学の新たな地平――話しことばから書きことばの芸術へ
第45章 リテラシーとメディア――バスク語による情報の授受
第46章 現代の「バスク音楽」事情――「エス・ドク・アマイル」以降
第47章 現代バスク・アート――オテイサとチリダ
第48章 バスク・サッカー事情――その歴史と現状
第49章 助け合いの精神――モンドラゴン協同組合
第50章 イノベーション――知識集約型社会への転換
【コラム14】バスク地方の美術館・博物館
【コラム15】バスク映画
【コラム16】チャラパルタ
【コラム17】ファゴール
〈フィールドノート6〉モンドラゴンに学ぶ
おわりに
バスクについてさらに知りたい人のための文献案内
略号一覧
人名一覧
地名対照表
前書きなど
はじめに
「バスク」というカタカナ語は、日本社会において、いつ頃から広く知られるようになったのだろうか。
幕末・明治維新以後、19世紀後半から20世紀の初めにかけて、日本では数多くの西洋の文献と概念が翻訳された。翻訳に際しては漢語が多用され、国名や都市名のような固有名詞においても、「亜米利加(アメリカ)」や「馬徳里(マドリード)」のように、漢字表記が生まれた。しかし、中国語で「巴斯克」と表記される「バスク」の日本における漢字表記は、今日まで慣用例が確認されていない。
民族呼称あるいは地域名称としての「バスク」という字句は、初期の段階で、大きく二つの経路を通って日本に入ってきたと考えられる。一つは19世紀西欧のロマン主義文学を通して、もう一つは比較言語学を通してである。
19世紀西欧のロマン主義文学は、近代化の波にもまれることのない牧歌的なバスク社会を描き出した。バスクの民は、古風で特異な言語と文化を堅持し、自由闊達で独立心が強いと同時に、カトリック信仰に篤い敬虔なる人びととして描写された。そこには、現実を理想化した異国趣味が、大いに反映されていた。こうしたイメージの断片は、プロスペル・メリメの『カルメン』(1914年初訳)やピエール・ロティの『ラマンチョオ』(1924年初訳)など、バスク地方を舞台とするフランス文学作品を通して、大正時代の日本の教養層に浸透していった。また、ロマン主義には属さないが、スペインの1898年世代に属するピオ・バロハの短編を集めた『バスク牧歌』(1924年初版)が出版されたのも、同じこの時期であった。
他方、18世紀末以降西欧で急速に展開した比較言語学は、バスク語の系統を探ることに腐心していた。19世紀から20世紀初頭にかけての学説の中には、バスク語と日本語、あるいはバスク語とアイヌ語の類縁関係を説くものが散見される。したがって、比較言語学を輸入して教授していた日本の帝国大学においても、バスク語の存在は、日本語の系統をさかのぼる観点から、多分に注目されていたと察せられる。この点で、日本の言語学界にバスク語の存在を周知させることになったのは、泉井久之助の『フンボルト』(1938年)であろう。この著作は、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの生涯と研究成果を詳解する。フンボルトは1799年と1801年にバスク地方を訪問し、周囲のインド=ヨーロッパ系諸語と言語構造のまったく異なるバスク語に大きな関心を示した。泉井の著作は、必然的にバスク語について少なからぬ紙幅を割いたのであった。
(…中略…)
現地の生活情報をはじめ、メディア記事、統計資料、公文書から、百科事典や古典文学に至るまで、新旧各種情報がインターネットを通して容易に入手できる今日、現代バスクを取り上げる本書は何を目指すか。
まずは、一定程度の年月の経過に耐えうる基本的事項の説明である。本書の収められている「エリア・スタディーズ」シリーズは、現地の日常生活に密着した情報の提供を売りの一つとしている。しかし今日では、そのような情報の入手は、現地在住の日本人のブログなどを通して、日本語によってもかなり可能である。とはいえ、日本に入ってくるバスク関連情報は、まだまだ断片的であり、往々にして不正確な情報やバイアスのかかった印象が散見される。そこで本書では、基本的事項の叙述をできるだけ重視した。
二つ目は、多方面の情報源に基づいた叙述である。少なくとも日本のメディアに掲載されている時事記事は、スペインやフランスの全国メディアに依拠していることが多い。本書では、バスク地方のメディアにも目配りすると同時に、ともすれば特定政党の意向を反映しがちな公的機関の資料だけに頼らないよう、注意した。
そして三つ目は、本書で用いる「バスク地方」の用語を、とくに断りのないかぎり、スペイン領のバスク自治州のみならず、同じくスペイン領のナファロア自治州と、さらにはフランス領バスク地方をも含むものとして取り扱う、という点である。なぜなら、本書の第1章でも触れるように、「バスク人」意識を持つ人びとにとっての「バスク地方」とは、バスク自治州に留まらない空間領域として認識されているからである。もちろん、こうした認識は、バスク・ナショナリストの言説と重なる。本文の叙述にあたっては、彼らの言説を参照しつつも、それに無条件に取り込まれないよう、留意したつもりである。
なお、このような「バスク地方」を「バスク・ホームランド」ないし「バスク本土」と呼ぶことがあるのは、世界中に散らばって生活している在外バスク系同胞との対比を念頭に置いている場合である。一方、単なる「バスク」という表現は、人間集団としてのバスク人と地理的空間としてのバスク地方の双方を緩やかに指している、と理解していただければよい。また「現代」とは、おおよそ1960年頃から2010年頃までの半世紀を想定している。ただし、現代を理解するための史的背景を叙述した箇所が多々ある。
以上の諸点に関連して、本書で試みたことがいくつかある。まず、バスク語の単語のカタカナ表記についてのガイドラインを設けてみた。これまで、バスク語による地名や人名などのカタカナ表記は、まちまちであった。そのため、様々な誤解を生むことがあった。「バスク」に対するよりよき理解のために、本書に提示したガイドラインが、今後積極的に利用されていくことを願っている。
次に、バスク語の固有名詞のカタカナ表記は、地名に関しては、原則として、バスク語表記に基づくカタカナ表記を優先させた。現地語の音を尊重したカタカナ表記という日本の翻訳のよき伝統は、スペインに関する昨今の記述を見渡しただけでも、カタルーニャやガリシアを対象とする場合に、スペイン語ではなく、それぞれの地域に固有な言語のカタカナ表記を尊重する態度に見て取れる。バスク語が公用語の地位を得ていないフランス領バスク地方の地名にもバスク語のカタカナ表記を適用するのかと、異論もあろうが、たとえばフランスのブレイス(ブルターニュ)地方に関する叙述でも、状況は変わりつつある。ただし人名に関しては、慣用例などを参考にして、個別に判断した。
さらに、地名については、バスク語表記とスペイン語表記ないしフランス語表記の対照表を設けた。一方、人名については、原語のアルファベット表記を示した人名一覧を作成し、インターネットなどの検索を通じて、外国語によるさらなる情報取得に結びつくように配慮した。このほか、略記号一覧を付すとともに、定訳のある日本語訳についても、原語にさかのぼって見直した。たとえば、非合法テロ組織としてメディアに頻出するETAは、《バスク祖国と自由》と訳出されている。しかし、通常の日本語では、「祖国日本」や「祖国スペイン」という言い方をしても、「日本祖国」や「スペイン祖国」とはあまり言わない。よって、本書では《祖国バスクと自由》と訳出しなおした。
本書は、6部50章を基本として成り立っている。読者におかれては、興味を持たれた章から読みはじめて構わないが、編者の当初案では、第I部と第II部を「基本編」、残りを「応用編」と位置づけていた。第I部と第II部を読まれてからのほうが、残りの箇所の内容をよりよく理解できるのではないかと思う。また、50章に加えて、「コラム」と「フィールドノート」を各部の末尾に設けた。「コラム」は、本章に関連して特定のテーマに絞った印象論的な記事であり、「フィールドノート」は、執筆者自身の現地体験を踏まえた主観的な内容となっている。
ちなみに本書の執筆者は、全員が、各自固有の関心から、四半世紀以上にわたって「バスク」と密接に関わってきて、現在もその関係を維持している者である。とはいえ、日本における「バスク学」は、まだまだ未熟である。本書の執筆にあたっては、執筆者の専門領域と異なる分野の叙述を強いられることがしばしばあった。思いもよらぬ誤りを犯しているかもしれないが、見識ある読者の叱責を待つばかりである。また、本書が網羅していない領域が多々あることも、素直に認めざるをえない。たとえば、経済活動や欧州連合(EU)との関連。はたまた、バスク地方に住んでいる非バスク系住民の言説などである。こういった不備を承知しつつも、現代バスクに対するよりよき理解に、たとえわずかであっても寄与できればとの熱い思いから、本書を上梓するに至った次第である。
2012年3月 萩尾生