目次
謝辞
はじめに
第I部 時間について――家族の時間がもっとあれば
第一章 「バイバイ」用の窓
第二章 管理される価値観と長い日々
第三章 頭の中の亡霊
第四章 家族の価値と逆転した世界
第II部 役員室から工場まで――犠牲にされる子どもとの時間
第五章 職場で与えられるもの
第六章 母親という管理職
第七章 「私の友達はみんな仕事中毒」――短時間勤務のプロであること
第八章 「まだ結婚しています」――安全弁としての仕事
第九章 「見逃したドラマを全部見ていた」――時間文化の男性パイオニアたち
第一〇章 もし、ボスがノーと言ったら?
第一一章 「大きくなったら良きシングルマザーになってほしい」
第一二章 超拡大家族
第一三章 超過勤務を好む人々
第III部 示唆と代替案――新たな暮らしをイメージすること
第一四章 第三のシフト
第一五章 時間の板挟み状態を回避する
第一六章 時間をつくる
注
参考文献
訳者あとがき
前書きなど
訳者あとがき
(…前略…)
本書に登場する女性たちは、専業主婦や秘書に守られて仕事に集中できる伝統的な男性同僚と同等またはそれ以上に仕事をこなしながら、同時に子どものシッターの手配や保育園のお迎え、家事雑事から誕生日パーティーのやりくりに至るまで、猛然と奔走する。子どもの不満を解消するため、なだめすかしつつ、時に職場の論理を押しつける。病院で治療を受けている最悪の状態の子どもを置いて、穴の開けられない仕事のために会議室へ舞い戻り、心身ともに憔悴する。一見、協力的な新世代の夫がいながら、男性としての夫に出世をあきらめてほしくないと願う矛盾した感情を抱いている。他方で、伝統的男性とは異なる価値観をもち、子どもと過ごす時間を確保しつつ仕事で「真剣なプレイヤー」と認められたいと願う男性も、結局は「完全労働者たれ」という職場の圧力に屈してゆく。そして、意識的にせよ無意識にせよ、こうしたことのつけがすべて、子どもに転嫁されてゆく。これらの事例に私たちは日々の自分の姿を重ね合わせずにはいられなかった。
本書においてホックシールドは、両立をめぐる様々な困難は、個々人の能力や努力が足りない故に生じているのではなく、むしろ現代社会の構造やその基礎となっている考え方と密接に関連していることを示している。そして、その構造や考え方は、多くの母親が家庭の外で有償労働に従事するようになった現代社会の現実と合わないものになっているのではないかと指摘する。本書の大きな意義は、仕事と育児の両立が、現代社会で働く親が立場の違いを超えて共有する問題であることを示し、両立がなぜこれほど困難なのかを広い視点から理解する手がかりを与えてくれることにある。本書を通して読者は、「自分で選択して子どもを産んだのだから、両立は基本的には自己責任である」「時間を効率的に使えば仕事と育児を両立できる」「子育てで大切なのは共に過ごす時間の長さではなく質である」というような助言が、現代の両立問題を解決するために適切なものであるのか否かを、改めて考えさせられるだろう。
言うまでもないことだが、本書に示されているのは絶対的な真実ではなく、一人の研究者がアメリカ企業の調査を通して得た見解と提言である。私たち自身、ホックシールドの意見のすべてに賛成するわけではないが、現代社会における両立問題を理解する上で、本書が極めて示唆に富むものであることは疑いない。
かつて工場労働者が酷使された時代から八時間労働のルールが社会に定着するまで歴史的な変化があったように、これからも職場と家庭における時間の考え方に変化が起こることを、著者は期待している。他方、その変化をもたらすためには、私たちがあまりにも職場と家庭のみに限定された社会空間に閉じこめられており、働く親の連帯が生まれにくくなっているとも指摘している。つまり、変化を大きな流れに変えていく、市民社会的な基盤がなくなってきているのである。この指摘は大いに示唆に富むものであるが、具体的な解決に向けてどうするべきなのだろうか。
私たちは本書の翻訳を通して、仕事と家庭の両立をめぐる現実の困難について、「共感に根ざした事実の発見」が、学問的研究のためにも社会的変化をもたらすためにも必要であると感じた。多くの働く親が抱えている問題に共感し、その視点から問題に光を当てることが不可欠なのである。巷では、ともすれば成功者のつくられた美談や特殊な例ばかりが目立って、この社会で現実に仕事と育児を両立することの困難が共有されていない。そのため、ワークライフバランスという理念が抽象的なものに止まり、めざすべき両立の現実の姿や、それを実現するには何が必要なのかということが本当には見えてこない。本書はまさにここに切り込む貴重な研究である。
本書の最後に、ホックシールドは次のように述べている。「私的な時間を取り戻し、再生させる『時間運動』の中心にいるのは、子どもたちである。しかし、時間の再生が未来にとって本当に良いことであるなら、なぜ今、その理想を理想のままに放っておく必要があるだろうか?」。おそらく、今大切なのは、多くの働く親がいたずらに自分や配偶者を責めることなく、まずは広い視野に立ち、なぜ仕事と育児を両立することがこれほど困難なのかを理解し、共有するように努めること、無自覚なまま子どもに多くの犠牲を強いているかもしれないと気付くことなのだと思う。家族や友人と悩みを語り合い、本の感想を伝え合う─そんな小さな読書会が町々のカフェやキッチンテーブルで広がっていくとしたら、そして共有された知識や経験をもとに、社会や職場に対して粘り強く改善を求めていくことができたとしたら、私たちも新しい暮らしを手に入れられるかもしれない。私たちは働く母親として、本書がその一助となることを願ってやまない。
(…後略…)