目次
中東・北アフリカにおけるジェンダーとその多様性
表記について
序論(ザヒア・スマイール・サルヒー)
第1章 危機にある男性性《マスキュリニティ》――イスラエルのパレスチナ人の事例(アマーリア・サーアル/タグリード・ヤヒヤー=ユーニス)
第2章 モロッコのフェミニズム運動における家族法の中心的役割(ファーティマ・サディーキー)
第3章 モロッコにおける開発への女性統合に向けたステップ(モハー・エンナジー)
第4章 チュニジアにおけるジェンダー平等(アメル・グラミー)
第5章 トルコにおけるAKPの政党政治(2002~2007年)と西洋主義者・イスラミスト・フェミニストの言説の交差にいる女性たちの苦悩(アイシェ・ギュネシュ・アヤタ/ファトマ・テュテュンジュ)
第6章 サウディアラビアにおける女性とメディア――レトリック、還元主義そして現実(ナオミ・サクル)
第7章 イラク人女性とジェンダー関係――差異の再定義(ナーディア・アル=アリー)
第8章 アフガニスタンをめぐる言説上の占領(アニーラ・ダウラトザイ)
第9章 レバノンにおけるジェンダー、市民権、政治的行為体(リナ・ハーティブ)
第10章 アルジェリアにおけるジェンダーと暴力―イスラミストの女性殺害に対する女性たちの抵抗(ザヒア・スマイール・サルヒー)
用語解説
訳者あとがき
推薦図書リスト
参考文献
索引
前書きなど
訳者あとがき
本書の原書版 Zahia Smail Salhi ed. Gender and Diversity in the Middle East and North Africa, London: Routledge 2010は、もともと英国中東学会(British Society for Middle Eastern Studies)の学会誌British Journal of Middle Eastern Studiesの特集号(2008, Vol. 35, Issue 3)として編まれた論文集で、それがさらに単行本として2010年にロンドンのラウトレッジ社から出版されたものである。
ムスリムの女性についてのステレオタイプ化されたイメージを、広く中東・北アフリカ諸国の多様な事例を通して是正したいという目的で編まれた論集で、執筆者たちは、現在、異国の教育研究機関に所属している場合でも、当該国の出身者であるという意味ではネイティヴであり、あるいは現地での長期フィールドワークの経験者たちである。
中東・北アフリカ地域のジェンダーやイスラームにおける女性というテーマに関しては、近年、日本においても著書や論文が増えつつあり、また欧文文献ともなるとあまたのものが挙げられる。では、そうしたなかで、なぜ本書を取り上げて翻訳することにしたのか、それについて以下に簡単にではあるが述べておきたい。
その理由については、まず当然翻訳者たちの専門領域とも大きく関係しているが、以下のような主に三つの点が挙げられる。第一には本書のテーマが、そのタイトルにあるとおり、中東・北アフリカにおけるジェンダーの特にその多様性に注目したもので、その動態的考察を試みたものであること、二番目には本書の執筆者のほとんどがネイティヴであり、そうではない場合でも現地での長期フィールドワークを踏まえ、主に文化人類学的手法で研究していること、そして三番目には収録論文での対象国が東はアフガニスタンからレバノン、パレスチナ、トルコ、チュニジア、アルジェリア、モロッコにまで及んでいることである。
まずテーマとしての「ジェンダーの多様性」に関しては、専門家や研究者からするならば、あまりに当然すぎることであろうが、本書の諸論文ではその多様性が国家ごとに把握されているばかりでなく、一国家内でも民族や宗教宗派や政治的イデオロギー、社会経済的階層や出身地や親族ネットワークなどによって、さらに歴史的時代や政権交代あるいは戦争などの出来事によって、いかにそれが動態的に変容し得るのか(第2章、第7章、第9章、第10章)、そのプロセスやメカニズムを解き明かす試みがなされており、そうした方法論的手法には他の地域・社会を研究するうえでも有効なものがあると判断されたことによる。本書収録論文では、具体的には、男女の地位・権利に直接関わる家族法やその改正の時代的変遷(第2章、第10章)、女性の法的地位や可視性と女性の現状との落差(第6章、第9章)、当該国の行為主体である地元の人々と外からの介入者の西洋的フェミニズム的言説との齟齬(第8章)、それとは反対に一政党組織内で異なるイデオロギーをもつ人々の折り合いの付け方(第5章)などが、現地調査を踏まえて生き生きと描き出されている。
また「ジェンダー」とは、一般的に「社会的文化的に構築された性別のあり方や性別の関係性」と定義されるだろうが、しかし多くの場合、そのうちの特に「女性性」や「男女の関係性」を中心に議論される傾向が多いことに対し、本書では「男性性」にも焦点があてられて論じられている。特に最初の章ではイスラエルのパレスチナ人男性の男性性の危機について論じられており(第1章)、パレスチナの政治・経済的な閉塞状況とそこに生きる男性の男性性とを関連させて考察したこのような論考は、多数の蓄積がみられるパレスチナ研究にもう一つの新しい切り口を提示しているとも考えられる。
本書はまたジェンダーをテーマとし、その専門の研究者たちの論文を収めていながら、ジェンダーのみを偏重することに対する慎重な配慮やジェンダーを特権化して論じることへの批判も含められており(第8章)、こうした点はジェンダーを扱った本としては新鮮味があると思われた。
次に本書の執筆陣のほとんどがネイティヴであることも、この著書の特徴につながっていると考えられる。自らの出身地の文化を人類学的に研究し論じることは、今ではまったく珍しいことではなく、日本の文化人類学界においても「人類学at home」(『民族學研究』2001:65(4)特集)や「ネイティヴの人類学」(桑山敬己『ネイティヴの人類学と民俗学』弘文堂、2008)、「当事者性」(日本文化人類学会第44回年次大会の分科会「当事者性と当事者の声―日本のネイティヴ人類学において」[代表者:永吉守 2010])というテーマでの議論がなされているが、そうした問題と関わることに加え、本書では執筆者がネイティヴであるがゆえに当事者として、純粋な学問的興味関心からの研究のみでなく、自らの出身国や帰属社会における問題解決や改善に向けて、実践的・介入的手法を採用しており、それが研究者の議論の立ち位置を明確なものとしている。本書は、したがって、ジェンダーの問題を中立的にあるいは多様なジェンダーのあり方やそのイデオロギーを網羅的に解説しているというものではなく、むしろネイティヴとして介入的立ち位置を明確にしているために、本書の論文のなかには「開発」を推進する立場での提言を含む論考(第3章、第4章)や、また過激なイスラミストによる女性への凄惨な暴力行為の実態やイスラミストによるテロに対する痛烈な批判を鮮明にしている論文(第10章)なども含まれている。そしてジェンダーの問題をこうしたネイティヴとしての当事者性や介入的立ち位置を明確にして論じていることが、むしろその発信力を高めることにつながっていると思われる。本書を選定した理由には、まずこうした本書にみられる方法論的特徴が挙げられる。
三点目は、本書がカバーしている中東・北アフリカ諸国が上述のようにアフガニスタンからモロッコにまで及んでいるという理由によるが、日本における中東・北アフリカ地域の女性やジェンダーの研究については、アラブ諸国ではエジプト、またその他の中東諸国ではイランやトルコを対象としたものが翻訳書も含めて比較的多くみられ、その他の国々に関しては必ずしも多いとはいえない状況にあり、筆者自身の研究対象地域である北アフリカ・マグリブ三国の論文も本書に含まれていたという個人的な理由もあった。
ただし、当初本書を手にしたときには翻訳でもできたならばという、やや曖昧で漠然とした思いでいたのであるが、昨年2010年の日本中東学会第26回年次大会(於:中央大学)の折に何人かの若手研究者に本書の共訳について提案してみたところ、即座に積極的かつ意欲的な反応があり、その学会開期中に訳者のみならず翻訳担当章の割り当てまでがほぼ決まり、早速、翻訳作業に取りかかるということになった。その後はそれぞれが下訳を済ませ、その原稿をメールで共有しつつ9月半ばには各章における問題点や全章を通じての訳語の統一などの検討会をもち、それを踏まえて完成稿を年明けにまで提出することにした。それらの原稿については、筆者以外の担当者の章については筆者が目を通しチェックを行い、筆者の担当章に関しては大川真由子さんにクロス・チェックをして頂いた。しかし、翻訳作業の検討過程での各訳者の参加や各章の翻訳作業そして最終的訳文の責任は各章の担当者のものであることから、本書は翻訳担当者全員による共訳本である。また原書にはないが、この翻訳書の方には中東・北アフリカ地域に馴染みがない読者のために、各章担当者が執筆した「用語解説」と関連する参考文献の「推薦図書リスト」を付すことにした。
(…後略…)