目次
「叢書グローバル・ディアスポラ」刊行にあたって
序論(陳天璽・小林知子)
第I部 中国
第1章 華僑華人の歴史的展開──一九五〇年代までの遥かなる旅(廖赤陽)
第2章 「台僑」と「港僑」の創出──香港・台湾ディアスポラの特徴とアイデンティティ(林泉忠)
第3章 中国系新移民──概況、原因、特徴及び発展の趨勢(王維)
第II部 日本
第1章 戦前期日本における海外移民──山口県の事例を中心に(木村健二)
第2章 海外移住と移民・邦人・日系人──戦後における意味の変容から考える(小嶋茂)
第3章 沖縄の移民──近代うちなーんちゅの移動の小史(榮野川敦)
第III部 朝鮮半島
第1章 「解放」前における在外朝鮮人の形成と離散(鄭栄桓)
第2章 コリアン・ディアスポラ──植民地主義と離散(尹京媛)
第3章 (北)朝鮮から(南)韓国へ──脱北者問題の歴史と課題(鄭炳浩)
前書きなど
序論
1 ディアスポラへのまなざし
二〇世紀屈指の歴史家として知られるアーノルド・トインビーは、その著書のなかで、将来の潮流として、局地的な国民国家よりも、むしろ、世界に広がったディアスポラが重要になるであろうと語っている。二度の世界大戦、そしてオリンピックや万国博覧会など、二〇世紀が国家を主体とした歴史であっただけに、われわれは国家の枠組みで物事を見ることにあまりにも慣れ親しんできたように思う。もちろん、国家の枠組みが持つ一定の機能を否定するつもりはないが、果たして国家に執着した局地的な視点や考え方で、私たちは世界を正しく認識できるのであろうか。
現代世界における人やモノ、そして資本の迅速かつ頻繁な移動によるグローバル化の進行は、国々によってつくられた国境や国家間の差異を溶解するものとなっている。移民、難民、そして無国籍者など国家のはざまにもがき生きる人々はますます増え、もはや彼らをマイノリティーと呼ぶべきか否か躊躇してしまうほど地球規模で遍在している。しかも、そんな背景を持つ人が国の政治をつかさどる要職についているケースも散見される。私たちが生きている今日の世界をトインビーは半世紀前すでに予期し、前述のように世界におけるディアスポラの重要性を強調していた。
ディアスポラは国民国家の前提であった国土の所有という地理的な要素を越えて、世界に散在した民族が共通した歴史的経験の共有によって繋がりを形成するという空間的に柔軟でダイナミックな現象である。これまで、移住した人々を移民もしくはマイノリティーなどといった形で論じることが多かったが、世界に点在する彼らが持つ民族集団としての特徴、歴史的、政治的な背景、そして空間に対する柔軟性に富んだネットワークなど、より超国家的な視点から――つまり、彼らを単なる一国家内の移民やマイノリティーとして見るのではなく――グローバル・ディアスポラという概念を用いて論じられるようになっている。また、国家を相対化するディアスポラが地球社会においていかなる影響力や役割を持つのかを認識することは、現代のみならず今後の社会の趨勢を捉えるうえでも必要不可欠である。
2 東アジア・ディアスポラの構想
本書は、そのタイトルにもあるように東アジアのディアスポラに注目している。ディアスポラ概念は、もともと、ユダヤ人の離散を表す語として使われていたが、東アジアを出身地に持つ民族にも汎用されるようになってきている。東アジアは、いうまでもなく日本、中国、朝鮮半島を内包している。本書では、これらの地域を出身地に持ちながら世界各地に移り住んだ人々を東アジアのディアスポラと捉え、その離散の過程を歴史的に概観し、また現在いかなる状況にあるのか一つにまとめ、比較検討する土台をつくろうと考えた。これまで、東アジアのディアスポラは、出身地こそ隣接しているものの、一グループとしてまとめて語られることは少なかった。むしろ、中国から日本に渡り華僑となった人々、日本から中国「満州」に渡った人々、そして朝鮮半島から日本に渡りのちに「在日」と呼ばれるようになった人々など、しばしば国家を軸にお互いを「国民」対「他者(外国人)」という構図で捉えることが多かった。それは東アジアの国々が、移民受け入れ国ではなく、むしろ移民の送り出し国であったこと、日本や韓国・朝鮮が単一民族の幻想を強く維持してきたことなどが影響していると考えられる。その結果、華僑華人研究しかり、日系移民研究しかり、これまでそれぞれの研究対象は同じ民族集団に限られることが多かった。華僑華人研究なら華僑華人のみ、日系移民研究なら日系移民のみ、コリアン研究ならコリアンのみに注目するというように、移住先での生活や出身地と移民たちのネットワークを追跡した研究はあっても、東アジアの他の民族集団を一つにまとめて議論するという試みはあまりされてこなかった。
東アジアで最も歴史が古く、人数としても大量かつ広範に広がったディアスポラは中国系である。中国を出身地に持ち海外に移住した人々を対象とした研究は、華僑華人研究として重厚な蓄積がある。しかし、中国系ディアスポラ、もしくはチャイニーズ・ディアスポラとして捉えられるようになったのは一九九〇年代に入ってからのことであり、しかも中国系にディアスポラ概念を当てはめるべきか否かの議論もなされた。なお、比較研究に関しては、中国系ディアスポラとインド系ディアスポラとの比較が試みられたことはあるが、東アジアを出身地域に持ついくつかのディアスポラを同列に捉え議論することは多くなかった。日系、中国系、朝鮮半島系のディアスポラを列挙し比較検討することによって、東アジアという同じ地域を出身地に持つ、各ディアスポラの動きやネットワークのあり方の特徴、類似点や相違点の抽出ができるだけでなく、それらの特徴が民族文化的要因によるものなのか、もしくは外在的な要因によるものなのかなどを分析することができればと思っている。
ヨーロッパやラテンアメリカと比較し、東アジアは海を隔てるという地理的な特徴をはじめ、歴史や言葉による障壁が大きかったがゆえに、東アジアを一まとまりとして考えることが難しかったのは否めない。そういった意味でも、今回、グローバル・ディアスポラ叢書の第一巻として、われわれの身近にある中国、日本、朝鮮半島、そしてその国々のはざまに生きた人々の歴史やネットワークを東アジアのディアスポラとして一つにまとめるという試みは、これまでに例を見ない新規性を持った企画といえよう。
(…略…)