目次
プロローグ
第1章 家族が過労で亡くなったら
第1節 労災編
政府が助けてくれる?
労災保険制度の生い立ち
○Break 立証責任
労災保険による補償の内容
○Break 通勤災害
○Break 男女の容貌の違い
○Break 遺族補償年金の受給資格についての男女格差
業務起因性
○Break 誰を基準とするか(過労死)
○Break 労働時間の立証
不服申立
闘うことの意義
労災保険の申請をする
第2節 民事損害賠償編
会社を訴える!
時効の壁
○Break 第三者行為災害の場合
安全配慮義務とは
安全配慮義務法理のメリット
○Break 時効の壁を乗り越えた最高裁判所
システムコンサルタント事件
勝訴判決
本人の落ち度?
○Break 因果関係
裁判で勝つのはたいへん?
損害額はいくらか?
○Break 素因減額
○Break 男女の逸失利益格差
○Break 死亡事例ではない場合の損害賠償
どこまで控除されるの?
○Break どのように労災保険給付分が控除されるか
○Break 立法による是正
過失相殺と損益相殺はどちらが先か
第3節 過労自殺
人はそれほど強くない
電通事件
うつ病とは
○Break 最高裁判所で争う途は狭い
ストレス―脆弱性理論
因果関係は断絶しない
安全配慮義務違反
過失相殺
電通事件の教訓
労災認定
○Break 遺書があったために
○Break うつ病の診断ガイドライン
○Break 誰を基準とするのか(精神障害)
○Break 現在の判断指針の問題点
第2章 働きすぎにならないようにするために
第1節 労働時間規制
幸子の疑問
労働時間の規制は憲法の要請
法定労働時間の原則と三六協定による例外
三六協定は誰が締結するか
○Break 残業と時間外労働は少し違う
時間外労働の限度
○Break 時間外労働をさせてはならない場合
割増賃金
○Break 「労働者」であっても、「使用者」としての責任が課される
割増率の引上げ
○Break 残業手当と割増賃金
三六協定の効力
労働契約上の根拠と就業規則
○Break 労基法の強行的効力と直律的効力
就業規則の合理性
○Break 就業規則とは何か
○Break 弾力的な労働時間規制
第2節 日本の労働時間規制の問題点
日本人は働きすぎ?
時間外労働の事由
限度基準の強制力
○Break 「限度時間」を超える時間外労働命令の効力
労働時間規制が厳しすぎる?
○Break 労働時間とは何か
管理監督者
○Break 裁量労働制
第3節 日本の休息制度
休息は法定事項
休憩時間
○Break 行政解釈
休日
○Break 安息日
年次有給休暇
○Break 出勤率の計算方法
○Break 年休の取得に対する不利益取扱い
特別な休暇・休業
第4節 休息の確保のための制度改革の提言
1日単位での休息の確保
1週単位での休息の確保
○Break 労働時間・休息規制の例外
年休制度の見直し
○Break バカンス
第3章 日頃の健康管理が大切
第1節 法律による予防措置
幸子の後悔
労働安全衛生法
健康保持増進措置
○Break 安全衛生管理体制
健康診断
○Break 採用時の健康診断
○Break 法定外健診について
裁量労働制における健康確保措置
第2節 健康増悪の防止
健康診断後の措置
○Break 労働時間等設定改善委員会
○Break 社員の自己決定は、どこまで尊重されるか
面接指導
休職をめぐる問題
○Break 自宅待機命令
第3節 メンタルヘルス
メンタルヘルスはどこに?
○Break メンタルヘルスケア
プライバシー保護
第4章 快適な職場とは?
第1節 職場のストレス
人間関係は難しい?
○Break 個別労働紛争解決制度
○Break 嫌煙権
快適職場指針
第2節 セクシュアルハラスメント
セクシュアルハラスメントは新しい概念
セクシュアルハラスメントに対する法的規制
会社の損害賠償責任
○Break 自分から辞めてもあきらめてはダメ
第3節 パワーハラスメント
パワーハラスメントとは
パワーハラスメントと会社の責任
○Break 最初のいじめ自殺の裁判例
パワーハラスメントと労災
望ましいパワーハラスメント対策は
○Break 解雇規制とパワーハラスメント
エピローグ
巻末資料
前書きなど
プロローグ
「過労死」という言葉は、いまでは誰でも知っている。もはや、それほど珍しい現象ではないということであろう。仕事のやりすぎで死ぬというのは痛ましいことだが、現実には、そのような人が増え続けているのである。
働きすぎて死ぬなんて、なんて馬鹿げたこと、と欧米人ならそう考えるだろう。死ぬくらいだったら、会社を辞めて失業者になったほうが、まだマシというのが合理的な判断であろう。どんな動物だって、生存本能をもっている。死ぬまで働く日本人は、ワーカホリック(仕事中毒)と思われても不思議ではない。過労死は、そのまま「karoshi」として外国でも通用する。この言葉が、日本から輸出されたもので、外国にはそれに対応する固有の概念がなかったのである(無理矢理英語に訳すと、death due to excessive work とでもなろうか)。
旧約聖書によると、神は、禁断の果実を食べたアダムとイブを楽園から追放し、人類には労働と出産の苦しみを与えた。旧約聖書を信じる者には、労働にポジティブなイメージはない。しかし、日本人は、そう考えない。働くことは、まず道徳的に正しいことなのである。刻苦勉励は、人として評価されるうえでの重要なファクターとなる。だから、多くの日本人は、会社のためにまじめに働こうとする。小さいときから、そうなるよう教育される。これは日本人の長所とも言えるが、行きすぎると身の破滅が待っていることもあるのである(拙著『雇用社会の25の疑問[第2版]』(弘文堂、2010年)の第28話「ニートは、何が問題なのか――人はどうして働かなければならないのか」も参照)。
ただ、働きすぎをすべて日本人の考え方やメンタリティで説明するのは適切でない。本質的には、会社側の働かせ方にこそ問題の根源がある。社員の勤勉さを利用して、会社が彼ら、彼女らを搾取しているという見方も十分にできる。社員がどのように働くかについて、主導権を握っているのは会社だからである。会社の指揮命令から離れて自由に働くなんてことは、少なくとも雇用されて働くかぎり、まずありえない。一見、雇用ではない形の契約社員やフリーで働いているという場合でも、実態をみると、雇用されている社員と同じように指揮命令を受けて働いていることはよくある(こうした場合には、法的には、雇用されているものと扱われる)。
このようにみてくると、今日、会社で雇われて働くことそのものが、危険なことなのかもしれない。危険な労働というと、建設現場や炭坑で働いたり、有害な物質や可燃物質を扱って働いたりするようなケースを普通は想定するが、サラリーマンやOLのデスクーワークだって、ひょっとすると心身の健康を損なう危険性をはらんでいるかもしれないのである。
(…中略…)
本書は、このような過労をとりまく現状をふまえて、関連する法的な論点を取り上げ、私たち一人ひとりが、過労問題にどのように取り組んでいくべきかを考えていこうというものである。本書を読んだからといって、過労死や過労自殺から免れることができるというわけではない。そのような予防策があれば、私も知りたいくらいである。最終的には、自分の身は、自分で守るしかない。
ただ、自分の身をどう守るかを考える際に、法的な手段を十分に活用するすべは知っておいて損はない。過労により心身の健康を害した場合に、本人や家族に、どのような補償があるのかという点も、いざそういう場面に直面したときには、重要な問題となる。会社のほうも、過労へのどういう取り組みが法的に求められているかを知ることは、コンプライアンスが重視される現代社会において、必須のことである。
さあ、これから、この「国民的課題」に立ち向かっていくこととしよう。
(…後略…)
2011年9月 大内伸哉