前書きなど
翻訳を終えて
本書は、韓国で出版されたイ・ウンソク『Basic 中学生のための国史用語辞典』(シヌォン文化社、2006)とファン・ビョンソク『Basic 高校生のための国史用語辞典』(シヌォン文化社、2001)をあわせて『韓国歴史用語辞典』として出版するものである。初めは中学校版だけを翻訳しようとしたが、編集部より話があり、高校版もあわせて『韓国歴史用語辞典』とした。
ここ10数年にわたって韓国の歴史教科書を翻訳してきたが、その際いつも痛感したのは、いかに韓国の歴史を知らないかということであった。それも小学校や中学校の教科書に登場する、極めて基本的な知識がないことを知って愕然とした。その意味で本書をいちばん待ち望んでいたのは私かもしれない。
「韓流ブーム」と言われ、韓国に対する認識が大きく変わりつつあるにしても、さらに「韓国を知る」ためには、韓国の歴史を知る必要があると思う。「近くて遠い国」、これが韓国を形容するときの常套文句である。これを乗り越え「近くて近い国」に一歩でも近づくためにも韓国の歴史を学ぶ必要があるだろう。
それほど難しい話でもない。韓国ドラマを見ていて、例えば「トンイ(同伊)」には粛宗という国王が登場する。そのとき本書がそばにあれば、索引で「しゅくそう」あるいは「スクチョン」を引き、「朝鮮第19代王。……粛宗15年には張禧嬪の息子の世子〔皇太子〕冊封問題で西人の領袖・宋時烈らが賜死され……粛宗20年には仁顕王后を中殿〔王妃〕に迎え入れ張禧嬪を賜死させた」などと、粛宗の時代にどういうことがあったか簡単に理解できる。
また、「ホジュン 宮廷医官への道」というドラマの主人公は許浚という朝鮮時代の医者だが、本書には、「朝鮮中期の医学者で、号は亀岩。『東医宝鑑』を編纂したことで有名。宣祖のとき典医になって王室の診療を担当し、壬辰倭乱の時期に最後まで宣祖の世話をしてその功績を認められた。……『東医宝鑑』は当代までの朝鮮医術を集大成した医学書で、朝鮮の実状に合った薬草や処方などが記され、その価値は非常に高かった。清や日本でも刊行され、現在も多くの国で翻訳されている」とある。ここには許浚と日本との関係を考えるヒントが書かれている。「壬辰倭乱」は豊臣秀吉の朝鮮侵略のことであり、また日本において1724年に日本版が刊行され、1799年にも再版本が刊行されている『東医宝鑑』も彼の編纂だったことがわかる。許浚は、朝鮮と日本との関係が悪化した時代と友好を取り戻した時代を生きた人物だったのである。
もちろん韓国と日本ではその認識が異なる場合もある。例えば、「安竜福」の項では「朝鮮後の期粛宗時代、釜山に住んでいた漁夫。1669年(粛宗22年)、日本人が独島付近で漁業行為をすることに抗議して日本の伯耆国〔現在の鳥取県中・西部〕に渡り、管理使と称して独島がわが国の領土であることを確認させ、領主に謝罪させ戻ってきた」とある。本書ではこれが史実であるとされているが、日本では彼の証言は信憑性が低いとされている。このことは「大陸侵略をめざした日帝は露日戦争中の1905年、独島を強制的に自国領土に編入させた。その後1945年の第2次世界大戦で日帝が敗北すると、植民地としていた全領土を喪失し、独島も自然にわが国の領土として戻ってくることになった。しかし1952年に日本は再び独島を自国領土だと主張し始め、これは今日まで続いている」とする「独島」(日本名は竹島)の項と深く関連している。さらにこの問題は、日本の韓国に対する植民地支配をどのように認識するかとも関連している。
そればかりか1965年に結ばれた日韓基本条約に対する評価にもつながっていくことになる。日本と韓国が国交正常化させた条約だが、「5・16軍事政変で政権を握った朴正熙政府は……韓日の外交を正常化した。しかしこのとき日本は植民地収奪を公式に認めず、これに関連するいかなる補償もしなかった。このため協定締結を控えた1964年3月に国内で大規模なデモが起こった。このデモは拡大し、6月3日には全国に非常戒厳令がしかれた」というように(「韓日協定」の項)、韓国国民の反対を押し切って締結されたことがはっきりと書かれている。
また、本書には「日帝強占期」などの見なれない用語も掲載されている。「日帝」は、韓国を植民地とした日本のこと、「強占」とは日本の植民地が不法であり、それは「強制占領」だとする主張が内在している。
さらに、韓国での評価の変化によって用語自体が変化している場合がある。1980年の光州事件は「5・18光州民主化運動」とされ、1987年の運動は「六月民主抗争」としている。韓国語の「抗争」は闘争という意味に近いが、固有名詞なのでそのまま訳出した。これらは韓国の民主化の進展によって定義され、中学生や高校生が使用する用語辞典にもそれが反映したものである。
他の用語辞典になかなか登場しない項目があることにも注目したい。「女性の地位」という項である。「高麗時代、女性の地位は朝鮮時代よりはるかに高かった。高麗時代には女性も戸主になれ、戸籍の記録は年齢順で、妻にも財産分配権があり、女性の再婚が許された。子どもに財産を分与するときは息子と娘に等分し、子どもは代わるがわる父母の祭祀をした。一方、朝鮮時代の財産分配は長子相続制で、長子だけが父母の祭祀をした」と高麗時代・朝鮮時代に限って記述されているが、それでもこうした項が用語辞典に入れられることは、韓国での女性の地位の向上を物語っている。近代・現代の女性の地位についても書き込んで欲しかったことは言うまでもない。