目次
凡例
用語解説
図表一覧
第一章 ソ連――アファーマティヴ・アクションの帝国
アファーマティヴ・アクション帝国の論理
アファーマティヴ・アクション帝国の内実
アファーマティヴ・アクションの帝国とは何か
党とアファーマティヴ・アクションの帝国
アファーマティヴ・アクション帝国の地域問題
アファーマティヴ・アクション帝国の時代区分
第一部 アファーマティヴ・アクション帝国の始動
第二章 境界と民族紛争
民族ソヴィエトの出現――ウクライナ
民族ソヴィエトの拡大――ベラルーシとロシア
民族ソヴィエトと民族紛争――ソ連東方
まとめ
第三章 言語のウクライナ化(一九二三年~三二年)
ウクライナ化の前史(一九一九年~二三年)
ウクライナ化(一九二三年~二五年)
カガノヴィチのウクライナ化(一九二五年四月~二六年六月)
全面的ウクライナ化の頓挫(一九二六年~三二年)
まとめ
第四章 ソ連東方のアファーマティヴ・アクション(一九二三年~三二年)
東西の区分
文化基金
機械的なコレニザーツィヤ(一九二三年~二六年)
機能的なコレニザーツィヤ(一九二六年~二八年)
アファーマティヴ・アクションと工業労働現場の民族紛争
文化革命とソ連東方のコレニザーツィヤ
まとめ――コレニザーツィヤの東西
第五章 ラテン文字化キャンペーンと民族アイデンティティのシンボル政治
ラテン文字化キャンペーン
脱ロシア化としてのラテン文字化
ソ連西方の言語とテロル
第二部 アファーマティヴ・アクション帝国の政治危機
第六章 民族共産主義の政治力学(一九二三年~三〇年)
シュムスキー事件
民族問題と左翼反対派
社会主義の全面攻勢と文化革命
文化革命の見せしめ裁判――ウクライナ
警告シグナルとしてのテロル
テロルと政策転換――ベラルーシ
まとめ
第七章 一九三三年の飢饉に民族を見る
ピエモンテ原理とソ連の境界紛争
ロシア共和国のウクライナ問題
クバン事件
穀物調達危機に民族を見る
まとめ――一九三二年十二月の政治局決定の余波
第三部 アファーマティヴ・アクション帝国の修正
第八章 民族浄化と敵性民族
国境地域
移住の政治力学
農業集団化と国外移住
ウクライナ危機
民族浄化
敵性民族
まとめ
第九章 修正されるソ連の民族政策(一九三三年~三九年)
スクルィプニク事件
「最大の脅威」原理
スクルィプニク事件後のウクライナ化
暗黙のコレニザーツィヤ─ソ連東方
まとめ
第十章 再浮上するロシア
不自然な共和国――ロシア共和国
ロシア共和国の多民族化
ロシア共和国のロシア化
ロシア文字化と大後退のシンボル政治
言語と大テロル
まとめ
第十一章 諸民族の友好
諸民族の友愛
諸民族の友好
スターリニズムの原初主義
同等の中の第一人者
まとめ
解説(塩川伸明)
あとがき(半谷史郎)
年表
註
文献目録
索引
著者・監修者・訳者紹介
前書きなど
解説(塩川伸明)
一
一九九一年末に消滅した「ソ連」という国、そこにおける民族問題と民族政策については、これまでも多くの人々が深い関心を寄せ、多数の関係文献が著わされてきた。ある時期までよく見られたソ連当局の宣伝を鵜呑みにしたようなものは論外として、批判的な観点からの興味深い分析も決して少なくない。そのように多くの文献がある中で、あえてこのように分厚い研究書を新たに紹介することの意義はどこにあるだろうか。この問いに答えるためには、この主題に関する研究史を簡単に振り返り、そこにおける本書の位置を明らかにする必要がある。
欧米では、古くからパイプス、カレール=ダンコース、ジーモン、ナハイロとスヴォボダなどといった論者が多数の研究を積み重ねており、それらは今では「古典」ともいうべき位置を占めている。日本では一九七〇年代に田中克彦、原暉之、山内昌之らが先鞭をつけた後、多くの研究者が輩出し、多様な研究が積み重ねられてきた。そのおかげで、一九八〇年代後半から九〇年代初頭にかけてのソ連の急激な変動――ゴルバチョフ政権下のペレストロイカからソ連解体に至る過程――の頃までには、少なくとも専門家たちの間では、ソ連民族政策の諸矛盾についての認識はかなりの程度共有されるようになっていた。
こういうわけで、ソ連の公式見解を批判してその民族政策の諸矛盾を暴く作業は、ソ連解体に先立ってかなりの蓄積をもっており、ソ連史の中で様々な民族が苛烈な抑圧を被ってきたこと、「諸民族の平等」という建前に反してロシア人の事実上の優位が持続し、時には露骨なロシア優先主義さえも見られたことなどの認識は、ほぼ常識化しつつあった。ペレストロイカ期における各地の民族運動の興隆から連邦国家の解体に至る過程も、そうした認識を前提にすれば、全く予想外の出来事ではなく、具体的なプロセスの個々の局面はともかく全体としていえば、むしろ当然の帰結として理解することができた。もっとも、これはあくまでも専門家の間での話であり、非専門家たちのいだくイメージはこれとの間にかなりのズレがある(ソ連解体によってはじめてそれらの諸矛盾が暴かれたというようにとらえている人も、今なお少なくない)。
今まとめたような見解は、ごく大まかにいえば、今でも正当性を主張しうるものであり、これと正反対の主張――かつてのソ連当局およびそれに追随する各国「進歩派」によって説かれた――が息を吹き返す余地は全くない。だが、ではすべてが解決ずみで、新しく検討し直す余地がないかと問うなら、それは別問題である。例えば、ソ連解体前後の時期には、「ソ連帝国」が諸悪の根源と描かれ、それさえなくなれば民族自決と国民国家の前進が待っているという楽観論が支配したが、その後の旧ソ連諸国の曲折に満ちた歩みは、そうした楽観論の維持を困難にしている。また、ソ連解体前後の時期に多くの民族運動を鼓舞した理念は、いわば「古典的」ともいえるもので、「民族自決」を無条件の善とし、それはソヴィエト政権によって圧殺されてきた「古来の伝統文化」の復活を意味するといった把握が主流をなしていた。これは「民族」というものが「古来の本質」「古き良きもの」をもっていたはずであり、その復興・維持こそが大事だと考えるという点で、顕著に本質主義的・原初主義的性格を帯びた発想である。同じ時期に、民族問題をめぐる一般的な議論においては「本質主義批判」「原初主義批判」が有力になりつつあったことを思えば、これは逆説的な事態だった。こうして、ソ連体制およびその公式理念を批判する知的潮流は、それ自体、新たな試練にさらされるようになったのである。
ソ連解体前後の時期に特徴的だった知的興奮状態は、その後、次第に沈静化した。そうした新しい情勢の中で、ひたすら旧体制の悪を暴くだけで満足するのではなく、これまで見落とされてきた様々な側面を総合的に検討し直す必要を認識する新しい研究潮流が、一九九〇年代後半以降、欧米諸国でもロシアでも日本でも登場してきた。その流れは多様な要素からなり、とても一口でまとめられるものではないが、ともかく本書はそうした新しい流れの波頭に立つ代表的な作品である。
こういう風に見てくるなら、本書は研究史における新しい段階を代表する画期的な作品であるということができる。本書はすでに原書の形で数年前から日本の研究者たちにも影響を及ぼしているが、こうして邦訳されて広範な読者層の手に届くようになることには、大きな意義があると言えるだろう。あえてキャッチフレーズ的な言い方をするなら、旧ソ連地域民族問題研究はカレール=ダンコースやナハイロとスヴォボダに代表される古典的段階を超えて、マーチンおよび彼とともに新たな流れを築きつつある人たちの段階へと進んでおり、今後の研究はそうした進展を踏まえないわけにはいかないのである。
二
本書は大量の原史料を駆使した堅実な実証研究であり、そうした実証性にまずもって最大のメリットがある。読者は本書に盛り込まれた史実の多彩さ、そしてそれらを裏付けるために膨大な史料を並べる著者の手法に圧倒されるだろう。とはいえ、本書はあまりにも分厚い著作であり、また書き方にやや不親切なところがあって、細かい事実経過を追うことに精一杯となり、大きな流れをつかみにくいという面がなきにしもあらずである。そこで、いくつかの特徴を補足的に解説しておくことが読者の便になるかと思われる。
本書は大著にふさわしくいくつかの特徴をもっているが、その中でも最大のものは、何と言っても「アファーマティヴ・アクションの帝国」という表題そのものに象徴的に示される独自な民族政策把握にある。ソ連民族政策――あるいはより広く社会政策全般――に積極的格差是正措置(アファーマティヴ・アクション)(元来は、一九六〇年代のアメリカで使われ出した言葉)に類似した要素があるのではないかという指摘は、本書以前にも何人かの研究者によってなされていたが、本書はそれを全面的に体系化しようとしたものである。もっとも、こういう風にだけいうと、誤解を招くかもしれない。あたかもソ連の民族政策を復権し、一度地に落ちたそれを再評価――もっといえば美化――しようとするものではないか、と受け取られかねないからである。しかし、著者の意図はそのようなところにあるのではない。本書はソ連の民族政策がいかに矛盾に満ちたものだったか、その歴史の中でいかに多くの暴力的事態が生じたかを克明に跡づけており、美化とはおよそ縁遠い。問題は美化するか批判するかというような次元にあるのではなく、そこにおける矛盾をどのような性質のものとしてとらえるかにある。「アファーマティヴ・アクション」という言葉は弁護ないし美化のための言葉ではなく、独自な矛盾の構造を明らかにするためのキーワードとして使われている。おそらく著者の頭のなかには、この言葉の元祖たるアメリカでアファーマティヴ・アクションがその期待に反して種々の紛争を招き、ある時期以降は巻き返し(バックラッシュ)を呼び起こしてもいるという事実が念頭に置かれているものと思われる。
ここでいう「アファーマティヴ・アクション」とは、各地の民族エリート養成のために、非ロシア諸民族に対して教育や人事に関する特恵的政策(優先処遇)がとられたことを指している。より広くいえば、各地のソヴィエト政権を現地に根付かせるため、それぞれの地域の民族言語の公的場面での使用の奨励(その前提として、それまで文章語化の進んでいなかった多くの民族言語の文章語化・標準化が必要とされた)、大衆的民族文化の振興策などがとられ、これらを総称して、当時のソ連では「現地化(コレニザーツィヤ)政策」と呼ばれた。このような政策がとられたこと自体は従来からも知られていたことだが、本書の独自性は、それが多くの民族にとって「ネイション・ビルディング」としての意味をもったと指摘している点にある。従来の多くの研究は、ソ連当局は「民族自決」の約束を裏切り、諸民族の存続を圧殺してきたというとらえ方をとってきたが、単純に諸民族を圧殺したのではなく、むしろ独自な形で「ネイション・ビルディング」を進めたことこそがソ連の特徴だった。もっとも、だからといって、民族破壊(nation destroying)の要素がなかったというわけではない。著者によれば、ネイション・ビルディングと民族破壊は単純な二者択一ではなく、むしろ裏表の関係にあった。このような両面の併存に注目する点が、本書のもう一つの重要な特徴となっている。
(……)
(…後略…)