目次
凡例
第一章 対外論一般
1 圧制もまた愉快なるかな(82年3月28日)
2 脱亜論(85年3月16日)
3 外国との戦争かならずしも危事・凶事ならず(87年1月7日)
4 一大英断を要す(92年7月19、20日)
5 国交際の主義は修身論に異なり(85年3月9日)
6 私金義捐について(94年8月14日)
第二章 朝鮮・中国論
○ア、壬午政変
7 朝鮮の変事(82年7月31、8月1日)
8 喉笛に食いつけ(漫言)(82年8月2日)
9 出兵の要(82年8月18日)
10 朝鮮事変談判の結果(82年9月4日)
11 東洋の政略はたしていかんせん(82年12月11日)
○イ、甲申政変
12 朝鮮事変(84年12月15日)
13 わが日本国に不敬・損害を加えたる者あり(84年12月18日)
14 朝鮮事変の処分法(84年12月23日)
15 軍事支弁の用意大早計ならず(84年12月26日)
16 戦争となれば必勝の算あり(84年12月27日)
17 ご親征の準備いかん(85年1月8日)
18 官報再読すべし(85年1月31日)
19 朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す(85年8月13日)
○ウ、日清戦争
20 朝鮮は日本の藩屏なり(87年1月6日)
21 朝鮮東学党の騒動について(94年5月30日)
22 速やかに出兵すべし(94年6月5日)
23 安心しなせい(漫言)(94年6月12日)
24 白どんの犬と黒どんの犬と(漫言)(94年6月14日)
25 朝鮮の文化事業を助長せしむべし(94年6月17日)
26 日本兵容易に撤去すべからず(94年6月19日)
27 兵力を用ゆるの必要(94年7月4日)
28 世界の共有物を私せしむべからず(94年7月7日)
29 支那・朝鮮両国に向いて直ちに戦を開くべし(94年7月24日)
30 我にさしはさむところなし(94年7月27日)
31 日清の戦争は文野の戦争なり(94年7月29日)
32 日本臣民の覚悟(94年8月28、29日)
33 支那将軍の存命万歳を祈る(漫言)(94年9月20日)
34 改革の勧告はたして効を奏するやいなや(95年1月4日)
35 朝鮮の改革に外国の意向をはばかるなかれ(95年1月5日)
36 義侠にあらず自利のためなり(95年3月12日)
37 軍艦製造の目的(95年7月16日)
38 戦死者の大祭典を挙行すべし(95年11月14日)
○エ、旅順虐殺
39 横浜の小新聞(94年10月2日)
40 旅順の殺戮無稽の流言(94年12月14日)
41 わが軍隊の挙動に関する外人の批評(94年12月30日)
○オ、王后暗殺
42 事の真相を明らかにすべし(95年10月15日)
43 朝鮮の独立(95年10月23日)
44 二八日の京城事変(95年12月7日)
45 京城の事変(96年2月14日)
46 朝鮮政府の転覆(96年2月15日)
第三章 台湾論
47 台湾割譲を指令するの理由(94年12月5日)
48 台湾の処分法(95年5月22日)
49 台湾永遠の方針(95年8月11日)
50 厳重に処分すべし(95年8月14日)
51 台湾の豪族(95年8月22日)
52 台湾の騒動(96年1月8日)
53 台湾の方針一変(96年7月17日)
54 まず大方針を定むべし(96年7月29日)
解説 福沢諭吉と朝鮮・中国・台湾
資料・史料一覧
朝鮮半島付近関連地図
ソウル市街略図
あとがき
前書きなど
解題(「第一章 対外論一般」より)
本書に収録したのは、『時事新報』(1882年3月1日創刊)に掲載された論説(社説および漫言、以下同じ)である。
福沢といえば何より『学問のすすめ』が有名であり、それについで『文明論の概略』や『西洋事情』が取り上げられるのが普通である。そしてほとんどそれに尽きている。だが、生涯を通してみた時、福沢にとって圧倒的に重要なのは、『時事新報』に掲載された論説群であると私には思われる。特にその対外論は、後半生を通じて福沢が取り組んだ最大の課題であった。それに比べれば、『学問のすすめ』や『西洋事情』は影が薄いとさえ言えるだろう。『文明論の概略』で扱われた「文明」論は福沢における一貫した主題であるとも言えるが、その具体的な現れこそ福沢の対外論であり、特に朝鮮・中国論であった。
福沢がこの期に経験した国際的な大事件に関するもしくはそれに即した論説は、第二、第三章でとりあげるが、第一章では福沢の対外論全般の特質をよく示した論説を、関連する事件・執筆年代と無関係にとりあげる。すなわち、福沢の原体験(圧制・威圧への願望)を示していると思われる論説(1番、6番)、福沢の朝鮮・中国に対する侵略的な野望(仮に19~20世紀帝国主義時代におけるような植民地獲得に対するものではなかったとしても)を示す、もしくはそれを容認する論説(2番)、外戦がもたらす国内・対外的な政治的効果に関する論説(3番、4番)、外交における権謀術数を当然視する論説(5番)、そして日本における初めての本格的な外戦であり、その後の日本の方向を決定づけた「日清戦争」に関する福沢の基本的な姿勢を示す論説(6番)が、それである。なおこの六編の題は旅順虐殺・王后暗殺・台湾問題に関する論説のそれと同様に前後の時期の論説とのつながりが分かるよう、論説を掲載順に配列した第二章ア~ウのしかるべき位置に再掲した。