目次
日本語版への序文
はじめに
第一部 二〇世紀の中国革命の意味を再び問う
第一章 歓声のなかの警鐘――戦場の中国から見た日露戦争
一 歓声があがるまで
二 戦場の歓声と国民に響く警鐘
三 戦後の日露戦争観――歓声と警鐘の推移
四 教科書のなかの日露戦争
五 戦争認識での国家と社会
第二章 二〇世紀の中国革命の理解――新民主主義論を再吟味して
一 なぜ革命が起きたのか――帝国主義時代の農民社会の抵抗
二 どのような性格の革命か――共和革命論と国民革命論
三 一九四九年の意味――新民主主義なのか国家社会主義なのか
四 過去の力と双方向からの省察
第三章 革命自由人、王造時とその時代
一 知的自立への道、清華学校を経てウィスコンシン大学へ
二 大学教授から抗日七君子に
三 抗日民主世論の発行者から再び大学教授に
四 右派分子から反動学術権威に
五 造時の夢、民主主義政治と社会主義経済
第二部 中華の論理、帝国の論理――東アジアの困難な境遇
第四章 中華民族論と東北地政学――「東北工程」の理論的な根拠
一 民国時期の辺境史地研究の伝統――政学一体の学術救国
二 中華民族論の形成と展開
(一)梁啓超と孫文の中華民族論
(二)介石、毛沢東と国共両党の中華民族論
(三)人民共和国と台湾の中華民族論
三 近現代史のなかの東北地政学
四 東北工程の理論と現実
第五章 日本の歴史教科書のなかの東アジア認識――脱亜観念の持続と変化
一 朝貢と前近代の東アジアの国際秩序
二 帝国日本の琉球合併と東アジアの侵略
三 日本の戦後処理と戦争責任
四 脱亜観念はなぜ持続するのか
第六章 東アジアのベトナム戦争――南北三角同盟の対応
一 戦争の第一幕、サイゴンの抗戦からディエンビエンフーまで
二 ジュネーブ協定、冷戦を舞台にした大国の宴
三 戦争の第二幕、統一選挙争取運動から南ベトナム解放ゲリラ戦へ
四 戦争の第三幕、戦争の拡大と中国軍の派兵
五 日本と韓半島のベトナム戦争
六 戦争認識の障害物
第三部 比較の地域史――東アジアのための弁護
第七章 集団主義はアジアの文化なのか――儒教資本主義論批判
一 儒教資本主義論の方法論的な誤謬
(一)資本の本源的蓄積過程に対する誤解
(二)還元論的な単純化の誤謬
(三)歴史的な脈絡を無視した比較上の誤謬
二 二〇世紀東アジアの集団主義――上部構造による強化
(一)二〇世紀前半の中国の散漫な集団主義――部民と宗族
(二)近代日本の国家的な集団主義、全体主義――皇国臣民型の国民
(三)冷戦体制のなかの国家的な集団主義――反共国民と共産国民
(四)国家的な集団主義の退潮と利己的な集団主義――工業化に動員された国民
三 近代ヨーロッパの集団主義――工業化による弱体化と近代的な変貌
四 ラテンアメリカの集団主義――国家主導の工業化
五 小結
第八章 脱冷戦期における民族問題の再認識――東アジアの観点からの省察
一 民族・民族主義の概念と両面性
二 近代民族の形成と自然性――皇国臣民型の日本民族
三 近代民族の形成と制度性――中国、ベトナム、韓国の反帝民族論
四 国民国家のなかの少数民族問題と分断民族問題
五 教科書のなかの民族問題
六 「文化民族」概念の再吟味
第九章 韓国の歴史教科書における東アジアの国民国家の形成史
一 近現代史の構成と疎外されたアジア
二 単純比較に終わった近代化運動
(一)東アジア四カ国の国内外の条件
(二)日本とオスマン帝国との比較
三 特定理念に限定された民族運動
四 国家の記憶を保管するためのコンテナ
五 脱亜入欧論を超えて
第一〇章 多元的な世界史とアジア、そして東アジア
一 国家史-地域史-世界史
二 前近代の地域文明の比較――アジア-ヨーロッパ関係の再認識
三 前近代東アジアのなかの国家史と地域史――中国史は国家史か
四 近現代の東アジアの工業化と民主化
(一)工業化と二つの神話
(二)ナショナリズムと民主主義
(三)二〇世紀史の主な問題
五 農耕共同体、人類の文明的な子宮
訳者あとがき
事項索引
人名索引
前書きなど
訳者あとがき
(…前略…)
本書のキーワードを翻訳者なりに整理すれば「東アジア」と「歴史教育(世界史)」ではないだろうか。最近は韓流のおかげで以前に比べて、韓国に関心を持つ日本人が増えているのは事実だが、その関心の向く範囲が大変に限定的であるのも事実だろう。限定的だというのは、例えば歴史、歴史教育などについての理解がまだまだ不足しているからだ。もちろん外国の歴史を一〇〇%理解するのは、おそらく不可能だし、ある意味ではそこまでする必要がないのかもしれない。しかし古代から密接な関係があり、文禄・慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮侵略)、植民地時代という不幸な歴史を持つ日本と韓国の場合は、お互いの歴史に対する理解がもう少し必要なのではないだろうか。お互い過去に背を向けるのは簡単でも、正直に向き合うのは容易ではないからだ。
一度目次を見ていただきたい。歴史教育を専攻した筆者の関心が、歴史教科書にあることを理解していただけると思う。歴史教育に関心がある読者ならば、まず第五章の「日本の歴史教科書のなかの東アジア認識」から読み始めるのはどうだろうか。その後で第九章の韓国の歴史教科書に対する筆者の分析にも耳を傾ければ、日本と韓国の歴史教育の本質に迫れるのではないだろうか。また日本と韓国だけでなく、第一章と第四章では中国の歴史教育に対してもふれられている。第一章は、日露戦争がどのように中国の歴史教科書に反映されているのかに対する分析で、第四章は中国の歴史歪曲に対抗するためのものだ。中国の「東北工程」に対する関心は、日本と韓国では比べものにならない。日本ではほとんど紹介されなかったが、韓国史である高句麗の歴史が、中国内の少数民族の歴史だったという中国の主張は、韓国内に高句麗ブームを起こす決定的な役割を果たした。日本でも放映された韓国ドラマ「朱蒙」も、このとき制作されたことをつけ加えたい。これ以外にもベトナム戦争、民族問題等々一筋縄ではいかないテーマが読者を待ちかまえている。筆者が提起する東アジアの視角から、一度本書をじっくりと省察されることをお勧めしたい。
(…後略…)