目次
                      はじめに
I 私たちをケアへと導くもの
 1 人生をケアする
 2 ケアの動機
 3 ケアと自己犠牲
 4 空虚とケア
 5 孤独とケア
 6 ケアを支配する罪悪感
 7 投影とケア
 8 ケアの背後にある同一化
 9 ケアと自己存在
 10 ケアと劣等感
 11 思い出とケア
II 感情とケア
 12 ケアと退行
 13 退行の種類
 14 退行から回復しないとき
 15 ケアと転移
 16 転移のある生活
 17 自立と依存
 18 過剰な依存
 19 ケアを受けるのが苦手
 20 ケアで出てくる感情
 21 感情とつきあう
 22 ケアが与える安心感
 23 ケアへの感謝
 24 ケアと自己愛
 25 ケアに影響する人格
III 「介護家族」とケア
 26 ケアにおける家族の機能
 27 家族とケアの責任
 28 ケアと家族境界
 29 ケアと家族連合
 30 家族役割とケア
 31 介護家族について
 32 ケアと距離
 33 伝承としての子育て
 34 ケアの「対応力」
 35 死のケア
 36 ケアと対象喪失
 37 ケアがあふれていた時代
IV ケアという生き方
 38 関心を向けること
 39 対象を心の中におくこと
 40 許すこと
 41 譲ること
 42 忍耐すること
 43 ケアとコミュニケーション
 44 自分をケアする
 45 ケアを後押しする自尊感情
 46 ケアと自己領域の拡大
 47 ケアと対人関係力
 48 ケアと現実検討力
 49 ケアが変える人生
  おわりに
                 
                
                    前書きなど
                    はじめに
 「教え子の家が見たいんだよ」。再生不良性貧血で闘病を続けていた母が病床で言いました。教師を辞めて二十年近くも経っていましたが、母の心には教師としての役割意識が残っていたし、教え子の現在が気がかりだったのでしょう。
 木々の葉は赤や黄色に色づき、赤城山から吹き下ろす風は冷たくなりました。母を病棟から外に連れ出すには感染症が心配でした。しかし、母の希望をかなえてあげたいと、私と弟は母にマスクをしてもらい、車に乗せて教え子が経営している花屋の前に行きました。今ではその町で有名になった大きな花屋を見て、母は目を細めました。「家が貧乏なんで心配してた。こんなに立派な花屋になってよかったよ」と言い、教え子の花屋をしばらく見ていました。
 私たちは、子どもを育てたり、病人や高齢者や障害者の介護をしたり、学生に教えたり、動物を世話したりします。こうした行為が「ケア」(Care)と呼ばれます。ケアには世話、保護、管理、監督といった「行為」としての意味と同時に、気づかう、心配する、配慮、関心といった「心の在り方」の意味が含まれます。私たちの行動や言動は、常に心の在り方によって影響を受けています。だから、ケアの心を持てば、それは行動や言動にあらわれます。母は教職を離れてからも、教え子のことを心にとどめて、ずっとケアをしていたのだと思います。
 私は本書を通して、ケアについてもう一度考えてみようと思いました。
 「どうして私たちはケアするのか」
 「ケアを受けるとどのような心理状態になるのか」
 「感情はケアにどのように影響するのか」
 「ケアは人間関係や家族関係とどのように関連しあっているのか」
 こうした問いに答えることが本書の目的です。
 心がないケアは、形式的だったり窮屈だったりします。心がないケアは、ケアする側にとっても、ケアを受ける側にとっても冷たい体験や苦痛な体験になるでしょう。子育てのときにも、愛情を持って子どもの成長を願ってするケアと、親の自己愛を満たすために子どもを道具のように扱うケアとでは、子どもが成長していく過程は異なります。老親をケアする場合でも、義務感だけで愛情のないケアでは、親の心は満たされないでしょう。
 介護、福祉、医療現場は多忙になり、ケアから心の部分が抜け落ちてきています。医療技術は進歩して、高度な医療を患者さんたちは受けられるようになりました。しかし、かつての医師と患者さんとの温かな言語交流は減ってしまったように思います。介護や福祉の現場は多忙の割に賃金が少なく、援助者は身体的ケアをするので精一杯です。「心配りまでできない」というスタッフの声も聞きます。また、教育現場でもケアの心が減っているように思えます。その原因は教師のストレスが多いということも関係しているのでしょうし、業務内容が増えて、一人ひとりの子どもの心に関心を向けたり、学生の気持ちを思いやったりする心の余裕がなくなっているのかもしれません。
 どんな状況であってもケアという姿勢を忘れてはいけません。ケアの精神を私たちの心におくことが必要だと思います。
 一方で目を転じると、私たちの地球がケアを必要としています。私たちは利便性を求めて、化石燃料を消費し、森林を伐採し、大気を汚染し、海洋を汚し続けてきました。長い間、地球をケアすることを忘れていたのです。そのつけは大きなものとなりました。温暖化が進行し、北極の氷は溶けて、海面は上昇を続けています。生態系にも変化が生じています。人間が利己的で自分のことだけを考えて生きているだけでは、地球は破滅に向かうでしょう。
 ケアは一つの思想であり、必要不可欠な行動様式です。ケアの対象を心の中心におき、対象の幸せや成長を願うこと、その意思を私たちは持ち続け、対象に働きかけなければなりません。
 人生で勝つことだけを考えている人にケアはできません。ケアすると損をすることもあれば、自分が傷つくこともあります。しかし、私たち人間に今必要とされているのは、まさしくケアの精神なのだと思います。
 ケアの対象はさまざまです。家族、隣人、病人、学生、子ども、高齢者、障害者といった私たちの身近にいる人たち、あるいは自分が取り組んでいる研究や作品かもしれません。そして、私たちをとりまく環境です。
 私たちをケアへと導く心はどこからやってくるのでしょうか。ケアすることで心はどんなふうに成長していくのでしょうか。ケアで人間関係はどのように変わるのでしょうか。ケアをめぐる諸問題を考えることが、本書でいう「ケア学」です。さあ一緒にケアの意味を考えていきましょう。